舌がんと向き合う日々

舌がんと向き合う日々

2016年4月に舌がんに気づき、6月に手術をしましたが11月に早くも再発。
放射線治療と抗がん剤で一時落ち着きましたが、2019年2月再々発。
そんな舌がんと向き合う日々の記録です。
✳私の発病経過は2016年11/8に、ブログ総集編を2023年9/29に、年表は2022年11/5に掲載中。

昨日は内科の定期通院。

おかげさまでここにかかるきっかけとなった“甲状腺機能低下症”はすっかり安定。

糖質制限生活のきっかけとなった“糖尿病”の値もすっかり改善。

糖質制限生活の影響で悪化してた“コレステロール値”も玉子と揚げ物を減らすことで克服。

体重もピーク時から16kg減。

このドクターに診ていただくようになって2年。

それまでが嘘のように、身体のあらゆる状態が改善してきました。
 
4月から私は新しい職場に変わるので、通院の予約の都合が合うかどうかわからないもので、

「定年退職して新しい職場に変わるので、予約を変更するかもしれません」

と相談すると、

「実は私も異動するんです」

とドクター。滝汗


え?

院長先生なんですけど、そうかここは法人グループの経営だった。

院長も雇われなのか。

残念。

この先生内科医なのに、過去の舌がん患者の症例から私の“頸動脈狭窄症”まで見つけてくれた名医。

「暖かくなると血圧も変化するので、3月にもう一度診せてもらいましょう」

と何とも細やかな配慮。

お願いします。

次が最後か。真顔

残念だな。





定年退職後の再就職が決まったことを、父に報告しました。


取り急ぎメールで。


今年90歳になります。

東京の月島でひとり暮らししてます。


“傘”を“こうもり”

“ハンガー”を“えもんかけ”

と呼ぶ昭和のカミナリおやじだった父です。


夕方になって父からメールでお祝いメッセージの返信がきました。


それなのに!帰宅するとわが家の留守電に、


「メール届いたかどうか怪しいので電話しました。届いたかどうか、電話くれる?」


とメッセージ。ゲロー


もはやメールの意味なし!

電話にすれば良かった。


⇒電話しました。滝汗


いや、もともと夜には電話するつもりでした。詳しい話はメールでは父に伝わらないので。



元銀行員の父。

私が銀行員になった時は心から喜んでくれました。

その後、相談もせずに福祉業界に転職を決めた時も、母は泣いて反対したのに、何も言わずに黙認してくれたのは父でした。


あれから33年。

再び福祉業界に再就職したと伝えると、


「お前ならどこに行っても大丈夫だ。おめでとう」


と繰り返し祝ってくれました。


さらに、娘と私のダブル就職祝いをしたいから、どこかでセットしろと指令が出ました。


「3月中は無理です」と伝えると、「じゃあ2月か?」と言います。


ありがたいけど・・・社会の時間感覚とズレまくってますな。



90歳の父と、60歳の息子。

いつまでも父子の関係は越えられません。デレデレ









今日、本当に内定通知が届きました。
就活終了〜。

福祉の相談の専門職で申し込んだのですが、面接の時に、

「moetitiさんの経歴ならもう少し幅広い業務をやっていただきたいですね。ちょうど来週から一般の事務嘱託職員を募集しますけど、そちらもどうですか?」

と誘われました。

私に選ぶ権利も余裕もないので「それはもう、お任せします」と答えたら、“事務嘱託採用”でした。真顔


でもいいのです。

これで年度で途切れずに働ける。

何より私のキャリアを尊重して働く機会を与えてくださったこと、必要としてくださったことに感謝です。ちゅー

内々定の電話の翌日には内定通知が届いたことにも、すごく誠意を感じました。


これで晴れて、4月から娘と一緒に新入社員です。デレデレ

(それとは、ちょっと違うだろ)