娘のODの診察は色々いつも考えさせられます。

ODの子供達のゴールは、精神的自立と体調回復。

母親のゴールは幸せになること。

ODは複雑で100人いれば100通り。

私の場合、手短にいえば私が幸せにならなければ子供が自立出来ない。

私は、幸せを感じられない。

私の人生はつまらないし私はつまらない存在で価値のないものに思ってしまう。

私が幸せを感じる時、それは自尊心が満たされる時や存在を認めてくれた時。

それと私が子供の頃に出来なかった事を子供がしてくれる時。

心が満足する。

これは自己満足たのだ。

その一つが子供が努力してる時やそれなりの成果を上げた時。

素晴らしい成果ではない。

平均でいいし並みでいい。

でも、子供たちが努力しない時や努力しても並みよりも劣る場合に私は許せなくなるし不幸だと感じる。

これは、私が育った環境が関係してる。

ちっぽけなものなのに拘る私。

それがわかってるだけに乗り越えられないから余計に落ち込む。

ますます私は私を嫌いになる。

子供達は、私よりも恵まれてる環境に生まれてる。

なのに努力しないで甘えてる。

そんな子供達を見ると怒りを感じるんだと思う。

私は、小さい頃に努力出来なかったし、だらしなかった。

私はもともとそんな子だったんだと思うけど環境でそうなったんだと思い込んでる。

そんな自分が大嫌い。

完全に子供と私を重ねてしまってる。


娘がODを発症させた原因は私。

娘は、私の喜ぶ顔が見たくて私が望む子供になろうと努力した。

娘は、絵に書いたような手のかからない子供だった。

小さい頃、よく弟の面倒も見てくれていた。

娘は、私を助ける為に仮面を被って生きていたんだと思う。

なのにちっとも私は幸せそうじゃない。

娘自身、思春期に本当の自分自身がわからなくなったのかも知れない。

私が幸せにならない限り娘は私の気持ちを無意識に汲んで仮面を被ってしまう。

母親の顔色ばかり伺っていては娘は自立出来ない。

娘も幸せになれない。(他の子達も)


では、人の幸せとは何だろう?

どんなにダメな自分でも認めて生きる事なのでは?

私自身、私の母が望むような子供になろうとした。

でも、それって苦しい。

私は、母が望む子になれなかった。

私の存在自体を否定する母だったから。

私自身を認められない私は、いつも不幸を感じるんだ。

娘も私と理由は違うけど一緒。

仮面をとって生きれる人が幸せなのかも。

娘がよいこの仮面をとっても、ちゃんと愛してるのに!!

どんなに悪い子でも愛してるのに。。

私は、知らないといえど娘を追い詰めてしまってたんだわ。



「この社会の枠で考えないで」と先生が言った。

私にとって深い言葉だ。


私は、自分と他人を比べてしまう。

それは自分に自信がないからだ。

私は、自分を信じてない。

劣等感の塊のままでは進めない。

弱くてだらしなくて惨めな私でも全部わかってあげて許してあげなくっちゃ。

そうやって、私が私を認めなくっちゃね。

私が私を認めれた時にやっと私は自信を取り戻すことができると思う。

劣等感から解放される。


私は、私よりも優れている人を見ると嫉妬し羨ましく思う。

そう思うことに嫌悪する。

その事を先生に伝えたら

「となりの芝生は青く見えるんでしょ?そんな事はないんですよ。皆そんなにちゃんと出来てないんですよ。完璧な人なんていてないんですよ。皆おんなじですよ。」

と先生に言われました。

皆それなりに何かを抱えてる。

幸せそうに見えても幸せじゃない人なんてたくさんいてる。

一見、満たされてるように見えても満たされてない人もたくさんいてる。

何もかも優れてそうに見える人でも優れてない面も持っている。

だから羨ましく思わなくてもいいし嫉妬しなくてもいい。

そう考えると楽ね。


もう1つ先生に言われた。

「貴方は人を見てるようで本当の人を見てない」

うん。

そうですね。。

私は、人の表面しか見てないかもしれないですね。

もっと、人の心の深くを見れるような人間になりたい。


いつも、深いお話をしてくれる先生です。

他にもたくさん話してくれましたがブログに書くだけの能力が私にはありません(><)