アクセス解析見てたら、「辛い」で検索されていらっしゃった方がいるんですよ。
他にキーワードがなくて、アクセス解析のページに「辛い」とだけ載ってるんですよ。
わび、さびっていうんですかね。
そう言えば、お坊さんから、前の記事に「いいね!」を頂いたようですが、昔、新宿の、とんかつ屋の入り口に、たぶん、なんらかの仏教の無料小冊子が置いてあって、悟りを得ると、小我が大我になって、何にもしなくても、自然と物事が自分に都合良く動くようになります、とか書いてあったんですよ。
「禅」とかの説明だったのかもしれませんが、それから数年いろいろ考えてみて、今思うと、それって、悟れば、何でも自由に得られるってわけじゃなくて、悟りを得た人の生活の範囲に限られるんですよね。
悟りを得るということは、世俗的な欲や執着がほとんど、ないんですよ。
そういう人の生活っていうのは、世俗的な意味での自由も求めませんからね。
つまり、悟りを得ると、「悟った人としての生活」が求めなくても、自由にできますよって、そういう意味なんじゃないかと。
でも、その自由は、心の平安があるとは言え、かなり質素(本質的)な生活なんです。
釈迦も出家してから悟ったので、世俗的な執着はなかったはずです。
少し、社会から離れて、食べ物や住家をもらってあげてその人に徳を積んであげたり、説法とかして生き方や真理を教えたり、瞑想などを静かに楽しんだわけです。
釈迦の欲のなくし方としては、移り変わる現象を全て非真理として、その現象に執着することのない心を得ることで、欲を消し、煩悩のない平安な境地(何も生じない主体、涅槃)を得たのです。
そして、その状態で人が生きる道を示したのですが、それは正しい考えで、正しい行いをするということでした。
間違った生き方をすれば、欲が出て、物事への執着が強まり、煩悩が強まります。それは、真理から離れます。
人として本来するべき正しい生き方をしていれば、移り変わる現象に執着することなく、現象と心が調和して一体化するので、非真理である現象が真理に変わるのですね。
非真理である現象が真理に変わろうと、そこにも執着はないので、真理や非真理といった分別を超えた、究極の真理を得たのです。
善と悪、他人や自分という感じに分別された世界、またそれらに一体性を持たせること、そのどちらにも、とらわれ過ぎないバランスを得たのではと。
たぶん、我々には理解できないレベルの無のような完全平安の境地を得たのかもしれませんし、もしかすると、絶対的な神意識のような状態を得たのかもしれません。
しかし、まず、我々には、移り変わる現象に執着しないということが、できませんね。
なんとかもっと良い現実が得られないかと、欲を出します。
そうならなければ、ガッカリします。
悟った人なら、欲がないので、ガッカリもしないんですね。
かと言って、そもそも主体は移り変わる性質を持っていて、変わり行く肉体とか現象を我の主体と考えれば、現象に執着することも間違いではなくなりますが、それでは、煩悩が消えないので、悟れないのですね。
そこで悟れば、世俗的なことでも、何でも自分に都合良く動いてくれるのですが、誰も悟れないから、そうならないのです。
本質的に考えれば、全ては一体で自由とも言えますが、社会に身を置く立場では、理屈に過ぎませんからね。
それでも悟りたい場合は、煩悩も悟りと分別しないようにしたり、菩薩の性質を得ることを悟りとしたり、いろいろ手があるのですが、たぶん、それは釈迦の悟りの延長にあっても、釈迦が得た境地とは少し違うはずです。
釈迦が執着をなくせたのは、やはり、そうするための正しい物の考えができ、正しい生き方ができたからであり、住む場所がないと絶望してしまったり、肉体の維持に必死になってる我々とは、次元が違うわけです。
釈迦は、そういう執着もなく生きられたのです。
そういうレベルの生き方を望むなら、それも自由ですが、やはり多くの人は、人間的、社会的な幸せを求めるのですね。
そこでは、究極の平安は一時的にしか得られないと思うし、煩悩もありますが、それならそれで、そういう生き方での幸せが得られれば良いわけです。
我々に大事なのは、本質的真理というよりも、現代日本で幸せに生きて行く知恵ですかね。
ですが、この社会で、釈迦的な悟りをある程度、意識しながら生きるというのも良いかもしれません。
たぶん、そういう生き方の利点は、本質的なことと表面的なことが調和して、この世や、人としての生き方への理解力、物事についての洞察力が増します。
心が安定して、あまり悩むことなく、割と穏やかに幸せに生きられます。
逆に弱点は、社会的な自由を得る力が弱いということです。
そもそも社会にいながら社会的な幸せへの欲が少ないので、他者との戦いよりも静かな平安を求めるのですね。
そういう平安な生活の範囲に限って言えば、ある程度自由に生きられるはずですが、現代社会では、目的への強い執着とか、ある程度の自我の強さがいりますからね。
そういう自由は、能力や力でつかみ取って行くのですね。
社会にいることで、執着や煩悩、エゴが残ってしまう分、ストレスもあり続け、悟り切れない悩みを持つことになりそうです。
自分の悟り観を書いてみましたが、こういう知識は、人によってはまったくいらないかもしれません。
少し興味のある人なら、軽く考えてみたり、生き方の1つとして、心の隅に置いておく程度で悪くないと思います。
たぶん、私の存在のほうが、分かりやすく、みなさんを幸せに導けるのです。
なぜなら、私が現代の真理の伝道師だからです。
社会の悪に強い気持ちで立ち向かいながら、そういう相手さえも癒して生きて行くという素晴らしいバランスを得ております。