受験させられた中学は(無事?)落ちて
幼馴染たちと同じ中学に。
と言っても昔から来るもの拒まず去る者追わず。
まわりと同じが嫌で少し馬鹿にしているようなませた子供だったので友達という友達はいなかったが。
この頃には母は暇があれば父の悪口を言っていた。
それでも母は父のことが好きだったのだと思う。
父に言われれば父の言いなりになる節があった。
父はモラハラ&たまにDVまがいなことをする男だったので洗脳されてしまっていた部分もあると思う。
母はちゃんとした家庭で育ってないので幸せな家庭に憧れていて、それを作りたいのに
現実はそう上手くいかずそのギャップにも苦しんだし、
でも幸せなように見せたくて外ではそういう風に取り繕ったりしていた。
私はそんな母を見るのが嫌だった。
父も母も外面は良く、自分達がいかにいい夫婦か、いい親か、いい家族かを取り繕うのに必死だった。
実際は家庭崩壊寸前だった。
それでも私は母や父に可愛がられたくて、褒められたくて、認められたくて頑張ってきた。
だけどどれだけ母の想いに沿おうとしても褒めてもらえなかった。
今思うと私という人間を認めてもらえたこと等一度もない。
私自身が愛されてると感じることができなかった。
いつも疎外感を感じていて、邪魔もの扱いをされている気分だった。
母と父、母と弟、この繋がりが疎ましかった。
母は父が好きなので良くも悪くも常に気にしており、
弟はあとから産まれたことや異性ということもあり可愛がっていた。
結果、私は自己肯定感が低すぎる子に成長した。
そして中学生でずっとずっとずっと閉じ込めていた何かが、
私の中で爆発した。
私が通う中学は受験があるようなところではなかったが、
結構いいとこの中学だった。
岡山は治安が悪めなのでガラが悪い中学生も当時は多かったが、
そんな中、不良なんてほぼいないようなところ。
だが私は良くも悪くも周りに流されるタイプではなく、
園児の時から協調性がないと言われ続けたタイプだったので、
周りが真面目なんてことはお構いなしに荒れた。
髪を染め、カラコンばちばちメイク、制服は着崩し、スカートはパンツが見えそうなほど短くし、ルーズソックスをはいて学校に行くようになった。
両親とも私が生まれた時からたばこを吸っていたので、
急にどんなもんかと気になり、親の目を盗んで(たばこも盗んで)吸った。
お酒も飲み始めた。
そんな子は殆どいない中学だったので勿論浮いた。
が、気にも留めなかったし、どうでもよかった。
どうせお前らなんかに私の気持ちは分からないだろと一丁前に思っていた。
先生とか、大人たちに気に留めてほしい、構ってほしい気持ちが強かったのだと思う。
授業にも殆ど出なくなり、岡山の中では街にある中学だったのでよく抜け出してフラフラしたりした。
こういうのは大抵同じような仲間とするものかとは思うが私はこの時も一人だった。笑
今振り返ると自分でも変わった子だなと思う。笑