平和活動は、偽善だ! | 北極星を目指す旅のうたびと 詠美衣(えみい)のブログ

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歌うことで酸素を取り込む-“ウタ呼吸”で生きてます。

目指すは北極星。

暗闇で彷徨う人の命をつなぐ、小さな光になれたら…
そんな想いで詠(うた)っています。

いわゆる"平和活動"と呼ばれるものについて、最近思うこと。

"最近"というか、今まで生きてきた中で考えてきたことを
一度ここで整理してみようと思います。

(もちろん私も学びの途中なので、これから新たな気づきを得て
変わったりするかもしれませんが、今の気持ちを素直に残します)

上のタイトルは、自他共に認める(?)平和主義の私が言ったら
みんな驚いて読んでくれるかなーと思ったので、
あえてこんなタイトルをつけてみました^^

見事に釣られたあなた!おめでとうございます!!!!

よかったら、せっかくなので最後までお付き合いを☆

私は平和への想いが強く、中高生の頃からNGOなどの活動に携わってきました。

だけど、「平和活動は偽善だ!」というのもある意味、否定できません。

どういうことかというと、人が人に対して行う「善」は、
結局はすべて「偽善」といえるのではないかな、と思うからです。

「偽善でいいじゃん。だって、人間だもの。」

と、いつからか私は開き直るようになりました。

* * *

私は幼いころ頃から、

目の前で起こる暴力や

大人の不和を見ながら育ち、

極め付けに、肉親の死に触れる
という経験をしたためか、

平和や命というものに対する想いが強い人間に育ちました。

家庭、職場、友人関係・・・いろんな場面でもめ事が起きれば、
いつだって仲介役になって、収拾しようとする平和主義です。


でも、残念ながら、そんな私でも、

そこまでできた人間ではありません。



コンビニで受け取ったおつりを募金するのが惜しいときもあるし、

苦手な人だっているし、怒るときは怒るし、喧嘩するときはするし、

よかれと思ってやったことが空回りすることなんてしょっちゅうだし、

たった1対1の人間関係でさえ、「平和」という状態を維持するのが

いかに難しいか、痛感しています。


こんな風にちょびヒゲつけて変顔してバカなことばっかりやってるときもあるし(笑)


本当は、こんな偉そうに「平和」について語る資格なんてないくらい、

醜くくてどうしようもないエゴも持ち合わせているダメ人間です^^;

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でも、私だけじゃなくて、みんなそうだと思うんです。

なんだかんだいって、人は自分が一番かわいい生き物。

だから、そんな人間が誰かを助けようとする行為は、
ある意味すべて偽善といえるのではないでしょうか。



そんなエゴの塊を持った人間が、
偽善なりにも平和に近づこうともがく姿は、
とても素晴らしいことなんじゃないかと思うのです。

もちろん、最初から人を騙そうとしてやっているのだったら、
それは偽善じゃなくて・・・ただの「偽」です。

でも、純粋に誰かの想いに共感したり、あるいは、
怒りや憤りを感じて行動せずにいられなくなったり、
そういうきっかけで何かをやってみることは、

結果的に偽善になってしまったとしても、いいんじゃないかなぁ?

それがたとえ相手に受け入れられなくても、戦争がなくならなくても、
それは相手が受け取るか、受け取らないかの問題で。

あ、あと、自分を犠牲にしてまで人を助けようとするのも
自分が平和になれないので、本当の平和活動じゃないよね。
(これもまた別の機会に書きたいテーマです)


というわけで、長くなりましたが、まとめると

「偽善でいいじゃん。だって人間だもの」

ということです。

ここまでお付き合いくださりありがとうございました。


色んな見解や誤解も生みそうなテーマだから、
とても書くのが大変だったけど、うまく伝えられたかしら・・・?どきどき。