今回は「あき」を取り上げます。
※ヲシテ - Wikipedia をご参照ください。
季節の「秋」を示す「あき」の二番目の意味は、「みのり」「収穫」です。この「みのり」「収穫」から「あきなひ」の言葉が生まれます。「あきなひ」(商い)の「なひ」は行いの意で、もともと収穫物を交換することです。
「あき」を文法の第一規則に照らしてこの言霊を解釈すると以下のようになります。
「なにものかを生きるあなたは、自分自身を毀ち、天と地を繋ぐ処のものに生きているのである。」
あなたのうちの実りとは、あなたがさまざまな困難に出合い、自身をさまざまに毀つ中で、天と地が繋がれる処のものにあなたのうちにもたらされたものなのです。
また、文法の第二規則に照らせば、
「天はなにものかを生きる処のものに、あなたを毀ち、天と地を繋ぐ処のものに生きているのである。」となり、
天は、あなたを毀つことで、あなたのうちに天と地が繋がれる処のものに実りであるものをもたらしているのです。
さらに、三つ目には、あなたを地に置き換えて、
「天はなにものかを生きる処のものに、地を毀ち、天と繋ぐ処のものに生きているのである。」
となり、これが私たちには一番理解しやすいでしよう。
秋の実りは、天が地を毀ち、天自身と繋がれる処のものに地に恵まれたものなのです。
「毀つ」という表現について、考えたいと思います。
まず、天(神)が地を毀つ、あなたを毀つというのは、天が地やあなたにかかわるためには、地やあなたのままではよくなく、天がかかわるのに適っていなければならず、天がかかわるのに適したものに地やあなたを毀つということなのだということです。
それから、これは我が国に限ったことですが、神は地やあなたにかかわるために自身を毀つことがあるということです。
正月にやってくる歳神は自身を分け(餅に宿らせ=これが本来の年玉です)、これを人が食すことで、人たちの魂を新たなにしてきたのです。
また、神はさまざまな土地神として、人たちから祀られてきました。
神自身としては一つ身のはずですが、同時にいろいろな土地に住まうことができるのです。
自分自身を毀ち分けることが可能なのが、我が国の神なのです。
と、他を毀ち、自身を毀つ神について述べてきましたが、この神は、あなたのことでもある。
あなたは、自身を毀つことで、自分であるものを生きてきたのです。
なにものも、変わらすにあるというわけにはいきません。
自身を毀つことで、否むことができぬ自分であるものを生きてきたのです。
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