母を亡くした記憶を辿ろうと決めたのは自分が母な亡くなった歳よりも年上になったことが大きかったかなぁ、、
わたしは2017年現在35歳になりました!
母を亡くしてから28年経ちますが、今もたまに泣きます。
幸せに暮らしていると思います。
ただ、いつも悲しい気持ちが隣にあります。
「あの時こんな風に辛かったな」とか、「ママは亡くなる時何を思ったのかな」とか、ふとした時に思うと涙が出ます。
でも、28年前に毎日泣いていた子ども時代を思うと今はとても幸せです。
家族もわたしも元気ですし、健康そのものです。
とてもありがたく思う毎日です。
ただ、ありがたいと思う瞬間、幸せを感じるその瞬間に「あの時辛かったからだなぁ」という思いが湧いてきます。
「あの時」の事を少しずつ記録していきたいです。
まずは自分のために。
そしてこのブログを読んで母を亡くした子ども皆さんの少しでも力になれたら、というためにも。
わたしの「あの時」は突然でした。
前のブログに書いたように母は入院もしていなかったし、7歳だったわたしは母が病気だったことも理解していませんでした。
もうすぐ春休みだったある日、その日は曇りでした。
父と母と近くの病院に行きました。
母が何かの薬をもらっていました。
わたしは特に何も思っていませんでした。
家に帰って来たのがお昼くらいでわたしはワガママを言いました。
「マクドナルドが食べたい」って
母は疲れたから「パパと二人で食べて来ていいよ」って言いました。
なぜマクドナルドが食べたいなんて言ったかわかりません。
マクドナルドはあまり食べたことは無かったのですが、当時わたしの地元に駅に出来て話題になっていたので興味があったのだと思います。
父は私をマクドナルドに連れて行ってくれ、二人で家に帰ると母が居ませんでした。
いつも母が使っている原付バイクがなかったのでどこかスーパーにでも買い物に行ったのだと思っていたのですが、しばらく待っても帰って来ませんでした。
今思うと不思議ですが、その時わたしは母が帰ってこないことが全然心配ではありませんでした。
今までそんな事はなかったけど、帰ってこなかった事もないし買い物か用事が終わったら帰ってくると思っていました。
父はとても心配していたと思いますが、穏やかであまり外に気持ちを出す人ではないのでそんなに焦っていたようにはわたしは見えませんでした。
でも多分すごく焦っていたと思います。
その午後は父と母を探しに近くの区役所やスーパー、学校など色々探しに行きましたので。
今思うと父は何も言わないけど深刻そうにも思えました。
母は夜になっても見つかりませんでした。
夜になり、父が夜ごはんを作ってくれました。
わたしは夜ごはんを父が作ってくれたことが初めてで興奮して少し楽しかったような気持ちで「早くママ帰ってこないかな!パパがご飯作ってくれたよ!」って思ってました。
昔書いたその日の母への置き手紙が取ってあるのですが、それには「ママどこにいったの?パパとさがしにいったんだよ、わたしはさきにねるね、おやすみなさい」という文章がチラシの裏に書かれてあります。
今思うと、、って事ばかりでこのブログを書きながら涙が止まりません。
思ったより年月は何も解決出来ないのだと思います。
今日は当日の事を全部書こうと思ったけどなかなか厳しいのでまた気持ちが落ち着いたら書きます。