Emiです。
新型コロナによる影響は、まだまだ続いております。
ちなみに私が住んでいる地域も職場のある地域も特定警戒区域に属しておりますので、ステイホームや営業自粛の期間中は、テレビをつけてもリモートでの演奏会や合唱シーンについても見聞きする機会も多くなっております。
今回は、私の中学生時代の音楽の授業や学校内の合唱コンクールの練習で最も歌った歌をYouTubeで見たことについて書いてみました。
その歌とは、こちらです。
遠い日の歌
です。
こちらは歌詞付きの動画です。
こちらの楽曲は、ドイツの作曲家ヨハン・パッヘルベルの『カノン』をモチーフにしている1982年に発表された楽曲です。中学生の合唱の定番曲でもあります。
なぜこちらの楽曲を学校内の合唱コンクールで歌うことになったのかと言いますと、複数の候補曲の中から各クラスごとに歌いたい楽曲を重複しないように選ぶのですが、ちょうどこちらの楽曲は、他のクラスが候補にしていなかったことと、クラス内での投票数が一番多かったためです。
合唱コンクールの1週間前になりますと、音楽の授業の50分間はもちろんのこと、朝のホームルームの時間でも、帰りのホームルームの時間でも、そして放課後も全員で残って、こちらの歌の練習を行いました。
中学生になると、こちらの楽曲に限らず
混成3部合唱
の楽曲を歌うことが多くなってきました。
なぜならば、中学生の思春期の時期になると、二次性徴に伴う男女の声の違いがはっきりとしてくるからです。
そのため男女で歌うパートや音階についても異りました。
(女子は2パターン、男子については1パターンというのが定番です。)
二次性徴に伴う声変わりと、男女別の歌うパートについての混成3部合唱の話については、過去のブログでも書いております。
混成3部合唱の楽曲とは対照的に、歌詞の内容とGIDの当事者でもある自分の姿とを重ね合わせてみますと、
性別というものに迷いながら歩き続けなければならない自分の姿や
胸の中や、はるか空では、本来の性別であるはずの自分の姿が
心の中では本来の性別の身体や姿でありたいと祈り続ける自分の姿も
いつの日にか本来の性別の姿も
望む性別の人とも巡りあいと願う自分の姿も
そして何よりも、
本来の性別で生きていきたいと燃える思いである自分の姿も
本来の性別の姿で胸に道あふれる自分の姿も
・・・・・
そういった姿の自分自身についても連想したりもしてしまいます。
合唱コンクール当日の実際のイメージはこんな感じです。
動画はYouTubeから拝借しました。
(今後しばらくの間は、このような場面自体を新たに見る機会はなさそうですね。)
こちらの動画で歌っている生徒さんとは全く無関係な話ではありますが、
自分自身の過去の姿と重ね合わせると
歌うパート以前の問題として、
そもそもが黒の学ランの制服 でならなった過去があります。
私の理想は、リボンがついた可愛いブレザーの制服でありたかったのですが、
最低限、制服の下についてはスカートでありたかったのです。
もちろん髪型は校則の範囲内である肩くらいの髪の長さでゴムで束ねて、
歌う立ち位置についてもそうですし、
歌うパートについても女子のパートで
声についても、
女子であると分かる声で
歌っている時は、男子の美しくて綺麗でかっこいい声に心の中ではな想いを抱きながら
(もちろん歌っている時の表情は真剣そのものではありますが)
・・・・・
というのが、本来の過去の自分自身の姿であります。
私の本来の性別であるとして誰からも認めてもらえる日についても、
本当に遠い日の歌そのものなのです。