今日とある真言宗智山派のお寺さんに
お参りしたのだけど…


なんとなく…
門をくぐるとき、
ご挨拶したあたりから
重たい感じがして、
足が進まないといったら
わかりやすいかな…
初めての感覚…


御本尊を前に…
ご真言もうまく唱えられないし
般若心経もつっかかる。
更には空海上人の御宝号を
思い出せない始末。
普通はあり得ない…。


いつものご縁あるお寺さんと
宗派は同じだけれど
御本尊様は違うし…。


私は
あちこちのお寺さんをお参りするよりも
ご縁あるお寺さんや仏さまと
さらにご縁を深める…
というお参りの仕方の方が
合っているのかな… 
と感じながらの帰り道。


何故かいつもご縁あるお寺さんに
お参りしたくなり…


いつもお世話になっている薬王寺さんへ。
住職に理由を話すと
「好きなだけ拝んでいきな。」と
いつもの優しさで包んでくれて。


本堂に入ると、
いつもの居心地の良さ、
肩から力がふと抜ける感覚は、
「おかえり、待ってたよ。」と
仏さまからご加護を受けている実感そのものでした。


おそらく…私の心の中は…

我が家の宗派は曹洞宗。
薬王寺さんは真言宗。
今日ご縁を結ばせて頂いた
お寺はまた違う仏さまがいらっしゃって。


私の中で
「私の感覚で好き勝手に様々なお寺さんの
 仏さまに手を合わせて良いものか…」
「実家に先祖代々受け継がれてきた曹洞宗
 を大切にすることを忘れかけているのではないか」
と葛藤が生まれていたんだと思います。


その心の状態では
真の意味でのお参りはできない。
仏縁に心底感謝し、心を込めて手を合わせることが
できない。


そんな私を否定する私もいて。
私なんて煩悩の塊だ…と
自己分析をすればするほどつまびらかになる…。


仏の道への第一歩は
自分をつまびらかに知ること…
玉置さんのお言葉が胸に染みる…。


お寺さんが合う、合わないと
いうよりは、自分の宗教観や価値観が
今日のような思考を産んだのかなと

感じました。


南無大師遍照金剛🙏