昔、便秘の男友達に浣腸の使い方を聞かれた。

とりあえず友達の用意していた「イチジク浣腸」のパッケージを開けると、そこに一通りの説明がされてあった。 湯煎などで人肌に温めると気持ち良いとか何とか書いてあったので、「温めるとエクスタシーを感じられるってさ」と教えたら、彼は火にかけたヤカンの中に「イチジク浣腸」を放り込んだ。

ヤカンから取り出した「イチジク浣腸」は、プラスティック容器がぶよぶよに歪むほど熱されていた。



「おいおい、こんなの挿れていいの……?」

「馬鹿か! オマエに頼むつもりは無いからな!!」

「そういう問題じゃなくてだ、これ熱いぞ。」

「だって温めろって書いてあったんだろ? オマエが読んだんじゃん!」

「うん。 じゃあホラ、早く挿れてきなよ。 聞き耳立てておいてあげるから。」

「もう帰ってくれ!」



友達は信じられないほどに熱された「イチジク浣腸」を片手にトイレへ。 そしてすぐ戻ってきて、「やっぱこれ熱過ぎるな、ケツが焼けそうだ……」と、今度は水を張ったマグカップに放り込んだ。 おいおい、それ肛門に当てがったりしていないだろうな? 自分は二度と使わぬようマグカップの絵柄をしっかり記憶した。

ほどよく粗熱が取れた「イチジク浣腸」を持って、彼は再びトイレへ。
トイレの中から実況してくれたので、ドア越しに会話していた。



「ちょ、穴がわかんねぇ。」

「もっと上! 上!! 違う違う違う違う、奥だって!」

「うるせーよ!!(笑)」

「自分の穴くらい一発で探り当てろよ。 何年拭いてんだよ。」

「オマエは、出来んのか、よ、ぉっ? おぅっ……っっ!」

「どう? 気持ちイイ?」

「ホッ!」

「ホッて何だよ、ホッて!(笑)」

「いや、浣腸抜いたら液が漏れるかと思って指で押さえた。」

「3分から5分、耐えろってさ。」

「ああ。」



何を思ったか、友達はトイレのドアを開けて顔だけ出してきた。 コイツは本当に浣腸素人なんだと思った。 突然、津波のように襲うあの強烈な便意を知らないのだ。



「アホだなー! そんな事してるt

「はあ!!!」




ブッ・・・ ブーッ・・・ ビッ・・・





「ぎゃはははははは!! けたたましいな!!!!」

「……んっ、んふっ……んんぅっ……」





ブッブッ・・・ ブビビビッ・・・




バタン!





茶化していたら無言でドアを閉められた。

数分後、彼は下腹部を押さえながらフラフラ出てきた。



「もう出ちゃったの? 早いね。 ちょっと期待し過ぎてたみたいね。」

「これヤバいわ……女の子って、皆こんなのやってんの……?」

「いや、皆ってワケではないと思うけど。 そんなに良かった?」

「急にめっちゃ腹痛くなった。 怖い。」

「ちゃんと出たの? ……って、まぁニオイで分かるけども。」

「嘘ッ!?」

「嘘。」

「こんな事なら一人で試せば良かった。
よりによってオマエに立ち会わせたのは一生の不覚だ。」



俺のジョークに乗る気力すら失っていた。
そんなこんなで、彼はそれきり浣腸恐怖症になってしまった。
知っているのに分からないフリをしたり、適当に答えたり……。
悪意のある怠慢は意地悪だ。

寝起きで不機嫌だからと、人に意地悪をする人間にはなりたくない。
俺の知り合いに、根っからのギャンブル好きがいた。
彼女は賭け事が大好きで、暇とお金さえあればすぐパチ屋へ足を運んでいた。 友達の紹介で知り合った人(俺の友人)と恋愛結婚し、「結婚したからギャンブルはやめる」と宣言した。



しかし、彼女は妊娠を機に再びギャンブルに狂った。
産休を取っている間、彼女は実家に身を寄せ母親と二人で暮らしていたのだが、その母親が筋金入りのギャンブラーだったのだ。 そんな母親と一緒に毎晩パチ屋へ行き、漁港で深夜から正午まで働く旦那の稼ぎを丸々つぎ込み、オマケに親子揃って借金をこさえてしまい、妊娠中に離婚という最悪な結末を迎えた。
離婚前、俺は彼女の方から相談を受けていた。 「別れたくない」「彼に謝っても許してくれない」「今別れたらどうやって暮らしていいか分からない」と。



旦那は離婚して間もなく、仲間の輪から自ら外れて行った。 嫁の作った借金が原因とはいえ、身重の女を捨てたと言う罪悪感と、仲間にそれ(主に嫁の借金)を説明するのが躊躇われたためだ。 これは彼なりの気遣いであり、今後周りの支援が必要となるであろう嫁の立場を悪くしないように……という、最後の優しさだった。

だが、そんな旦那の想いをよそに、嫁の方は散々周囲に旦那の悪口を言い触らした。 離婚の原因を「旦那の女関係」と説明したもんだから、血の気の多い仲間は徒党を組んで、旦那の職場へ乗り込む計画を立てていた(頓挫したっぽいが)。

旦那の方に女の影などは微塵も無く、離婚してからも彼は月に一度だけ彼女と会い、借金の返済にあてるお金を「俺は(お金を持っていても)使う時間が無いから」と、渡していたくらいだ。 他の女性に目をくれる事も無く、彼女の事を想い続けていた。 改心したら再婚しても良い、とさえ言っていたくらいだ。

当事者以外でそれを知っていたのは、俺だけだった。
旦那の方に口止めされていたので、誰にも言えなかった。
嫁がこんな風に事実を捏造している事は、とてもじゃないが彼に言えなかった。



そうこうしている間に彼女は出産し、あれよあれよと言う間に新しい彼氏が出来た。 その彼氏がどんな人間なのかは分からなかったが、25歳年上の会社経営者だと言っていた。
彼女はその彼氏に入れ込むあまり、元旦那と月一度会っている事実が彼氏にバレた時、咄嗟に嘘をついた。 「離婚の原因が旦那の女関係だから、慰謝料として毎月受け取りに応じるよう言われてるだけ」と。
彼氏はお金持ちで、彼女を金銭的な面で十分に援助していたらしいので、元旦那からの受け取りを拒否してもらうべく、月一度の受け渡しの日に同席したらしい。

その時の話を旦那側から聞いて、とても悲しくなった。

「待ち合わせ場所に行ったら、いきなり男に殴られた。
『彼女に土下座しろ』と言われて何の事か分からなかった。 聞くと俺は、彼女の妊娠中に他に女を作って逃げた事になっていた。 彼女がそう言ったと、他にも証人はたくさんいると言われた。
本当の事を話しても信じてもらえず、急遽、彼女のお母さんを呼ぶ事になった。 それまで受け取りにはお母さんが来る事もあったから、このお金がどういうお金なのかをお母さんの口から説明してもらえば、きっと信じてもらえると思った。
お母さんが着いてから説明をお願いしたら、『娘の言う通りです』って言われた。
念書なんか用意していなかったし、俺の方は誰も証人がいなかったし、3対1では俺の言い分なんか聞き入れてもらえなかった。 男には散々殴られて、ボロクソに言われて、もう弁解する気も起きなかった。
俺一人が何も知らず、馬鹿みたいに意味の無いお金を払い続けていたと知った。」


それ以降、彼は「エミちゃんまで巻き込みたくないから」と、俺との連絡も遮断し、完全に仲間の輪から脱した。



そんな事があって半年ほどが過ぎた頃、人伝に「あの社長さんの子を妊娠したが、二人の意向で籍は入れないらしい」「あの社長さんは最近、彼女のお母さんと付き合い始めたらしい」という話を聞いた。 もう勝手にすれば良いと思った。 汚らわしいとさえ思った。 お金やお股のルーズな母子の事など、心底どうでも良かった。 きっと始めから住む世界が違ったのだ。



ギャンブラーも程度によりけりだが、他人に迷惑を掛けるような生活を送っているギャンブラーは、どうしてもいただけない。 周りで苦しむ人や悲しむ人がいても止められないなんて、狂っているとしか思えない。
「ちょっと背中に何か付いていないか見てくれる?」
「わかんない。」

「これってどういう食べ物?」
「わかんない。」

「どこに行きたい?」
「わかんない。」

「明日の予定は?」
「わかんない。」

「お腹空いてる?」
「わかんない。」

「この映画ってどういう映画なの?」
「わかんない。」

「ここから何分くらいかかるかな?」
「わかんない。」


こんな受け答えは絶対にしてはいけない。

「わかんない。」と答えるのは構わない。 分からないのであれば仕方が無い。
だが、その言葉の後に「ちょっと調べてみる」だの「どうなんだろうね?僕は○○と思うけど~」だの、次の会話に繋げるフォローを入れるとか、何か場の持たせ方があると思う。 「わかんない。」の一言で全部投げてしまえば、相手は会話を放棄されたように感じるだろう。 それが何度も続けば、関係自体を投げ出しているように捉えられても仕方が無い。

「分からないから答えようが無いんです。
気になるなら自分で考えるか他の人に聞いてくださいね。
僕?興味もありませんから調べるつもりはありませんよ。」


そう考えているなら、こんな受け答えをするのが良いかも知れない。
相手はたちまちその意図を汲み、サッサと離れてくれるから。
愛犬がこの世から旅立った時、バルセロナの港には大きな虹が掛かった。
水平線から雲の上へかけて、迷い無く続く綺麗な橋が。

古くからの言い伝えに「魂が天に召す時は虹の橋を昇って行く」とあるが、それは本当なのかも知れない。


俺は昔から魔法や奇跡を信じている。
ロマンチストと言えば聞こえは良いが、ただ夢見がちに望んでいるのではなく本気で信じているから、しばしば周りには変な目で見られる。 子供じゃないんだから……とも言われるが、現代にまで「おまじない」や「占い」が親しまれている背景には、それらの存在意義を確たるものとする根拠があるのだ。

魔法や奇跡は、信じる者にのみ顕れる。
なぜならば、信じぬ者はそれらの存在を否定し、現実をこじつける。 彼らは、時に非現実的な事象を目の当たりにすると、自らの無知や無力を楯に真相を投げる。 未知なる力を畏れ、拒み続ける。

かくいう俺も、魔法や奇跡を信じる反面「単なる偶然」だという現実を受け入れている。 矛盾しているのかも知れないが、そういう冷静な見識を失えばたちまち頭のイカれたオバサンとなってしまうので、一応は常識を弁えている。


4月4日、愛犬の死を知らされるほんの1分前。
船の甲板に出ると、水平線から天へ伸びた大きな虹があった。 愛犬の様子がおかしいと事前に知らされていた事もあり、命に関わる異状だとは夢にも思わなかったが、この大きな虹を目にした途端、物凄く嫌な予感がした。 今まで、どんなに見事な虹を見ても写真に残そうなどとは微塵も考えなかった俺が、この時はなぜかカメラを構えた。 そして電話が鳴った時、とても悲しい事を知らされる覚悟をした。

愛犬は、あの虹を渡って行ったのだろう。


$太陽を投げつけてやる


船が港に着くまでの間、泣きむせぶ旦那を抱えながら虹を見ていた。
周りでは子供たちが、俺の信じた奇跡を見てはしゃぎ、無邪気に笑っていた。

あれはとても悲しい、旅の終りだった。