こんにちは。
えみるです。
本日は、自分の中の差別意識についてです。
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最近、というか転職してから、自分の無能さにさいなまれています。
ほぼ営業職のようなモノなので、自分の仕事は自分でとってこなくてはなりません。
しかし、
ほんっっっっっっとーーーー!!!に
仕事が取れない。
人との会話が少なくなったからなのか、
はたまたもともとの特性によるものか、
しゃべることが本当に苦手になってしまった。
すると、落ち込む。
どんどんどんどん落ち込む。
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無能で役立たずな自分を認められず
自分を責めてしまう。
仕事をするだけでもストレスなのに
自分を責めて、またストレス。
この負のループを断ち切りたくて色々考えてみた。
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私は、
無能は無価値
役立たずは無価値
無価値のものは攻撃されて当たり前
無価値なものは虐げられて当たり前
無価値なものは見下されて当たり前
そんな風に考えているのです。
多分、自分のことではなくても
能力がなかったり
役に立たなかったり
面倒だったり
誰かのそういう場面を見たら、
見下し、
攻撃し、
虐げるのだろう、
と思ったのです。
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今は、自分にだけ攻撃性が向いているけれども
他人に攻撃性が向かないとは限らない。
日本語が不自由だから
身体が不自由だから
発達が非定型だから
成績が悪いから
物覚えが悪いから
結婚してないから
異性愛者じゃないから
子供がいないから
学歴がないから
収入が低いから
そんな理由で攻撃してしまうかもしれない。
というか、攻撃したくなってしまう。
きっと、攻撃してしまっていると思う。
ダメなことは分かってる。
攻撃されてきたし、その理不尽さも知っている。
だけれども、攻撃してしまう。
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私は、仕事で結果が出せないこと自体に落ち込んでいるわけではありません。
私自身が見下してきた人間であることを受け入れられないのです。
自分が「そういう」人間ではないと証明したいがために仕事をしているので
そりゃあ結果も出ない。
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「そういう」人間であることを受け入れないと、
スタートラインにも立てないと考えている。
結果を出したいと思うのは
「そういう」人間ではないことを証明したいから。
そこには、確固たる差別意識がある。
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最近、やっとこさ「美しさ」というものが分かってきた気がする。
私にとっての「美しさ」は「ありのまま」
私にとっての「美しさ」は「エネルギー」
けれども、
私の中に、それを阻害するものが沢山ある。