ホームレス・エミー2(自伝小説風)

新幹線でメールを開くと
「彼氏と別れた。それで心配になって、エミちゃんが入るプロダクションを調べたら、怪しいから仕事しないで今すぐ逃げて!!」
と、綴られていた。
もう新幹線には乗ってしまったし、新大阪駅ではスタッフが待っている(汗
生まれて初めて乗った新幹線は約2時間強の乗車であったが、その間に逃げることだけを考えた。着いたらスタッフが待っている。
もちろん顔も知っている。
恐る恐る...びくびくしながら新幹線を降り、改札は出た。
着いたら電話をしろと云われていた。
もちろん電話はしないで、助けを求めるかのようにすぐタクシーに乗った。
とりあえず、見つからなさそうなあたりに停めてもらった。
しかし、土地勘などあるはずもなく。
恐る恐る...びくびくしながら新幹線を降り、改札は出た。
着いたら電話をしろと云われていた。
もちろん電話はしないで、助けを求めるかのようにすぐタクシーに乗った。
とりあえず、見つからなさそうなあたりに停めてもらった。
しかし、土地勘などあるはずもなく。
新大阪駅付近ののんびりした雰囲気のマックに入り、暗くなるまで待った。
携帯の電源を切り、夜になってから、公衆電話から友達に電話をした。
「一応、辞めます」と云った方が良い
と教えられたのでとても恐かったが電話してみた。
「申し訳ありませんが、辞めさせていただきます」
云った。
突拍子もなく。
「両親が心配してるから」とかよくわからない理由も作って云ってみた。
しかし、聞く耳持つわけもなく
「とにかく、みんな心配してるから何処にいるか教えなさい」
と云われた。
プロダクションの人たちとは、コミュニケーションも少なく、私に信頼感は無かった。
会話の途中で電話を切り、またタクシーを拾って新大阪駅まで行った。
見つかるのではないかとビクつきながらも、東京までのチケットを買い、すぐに乗った。
―――それから、寮にコレクションした宝物も、洋服も置いたまま戻らず、新宿をさ迷うことになった。
続く(次回、ホームレス・エミー3)
ホームレス・エミー(自伝小説風)

横浜に居た半年間で、1人だけお店の女の子と仲良くなった。
他の女の子と連絡先を交換するのと、お互いの寮の部屋に入ることも許されなていなかった。(しかし、男子従業員は入れる)
連絡先は書かず、貰ったお菓子のお礼だけを書いた手紙も彼女には渡らず破り捨てられた...
しかし、めげずにいたので、その後うまいこと彼女と連絡先を交換できた。
―――まだ、私はそのときススキノ時代からお世話になった上司に気があった。
横浜に来た当初、東京は近くだし、何かがあるのではないかと私の心に希望を溢れさせてくれた。
しかし、現実は寂しい生活が続き、結局私は上司とケンカするようになった。
原因は私が出勤しなくなったから。
完全に私が悪いのだが。
仕事のとき、お客さまを入り口でお迎えし案内をする。稀に上司が案内役をするときもあった。
好きな人に見送られて、別の男性を個室の部屋に案内する。
売られていく子牛のような気持ちだった。
つらかった。
私は精神的に病んでいった。
唯一の友達が、内緒で彼女の寮にかくまってくれた。
自分の寮には従業員が入ってこれるので、家の中にいるのも怖かった。
上司たちとは一応和解できた。
友達が中間に入ってくれたので話合いをした。
(今の環境から逃げられれさえすればいい)
と思い、私はプロダクションをちゃんと調べもせずに入った。
しばらくは東京の他の風俗店で働き、少し経ってプロダクションから仕事の話をされた。
撮影ではなく、ストリッパーだった。
何でもやろうと思っていたので、詳しい内容もよく解らないままOKしてしまった。
私はダンス未経験だが、10日間の公演で稽古が1日半しか無かった。
そして、新大阪行きの新幹線に乗った。
それからすぐに、友達からメールがきた。
ホームレス・エミー2に
続く
ホストさん

横浜での半年はやはり寂しいものだった。
仕事に復帰し、週5日出勤(店には3、4時間しか居なかったが(笑)しても寂しさはまぎれない。
休みの日には、何故かフラフラと東京に行っていた。
特にどこに行く訳でもなく
時には仕事をボイコットし(いけない事だけど)、携帯の電源を切り、東京の渋谷か新宿あたりに逃げた。
元々は芸能人になりたくて海を渡ったから、横浜での暮らしは上司にフられた以外に得るものが無かった。
そんな毎日、友達を作ることも出来ず、商売柄もあり、ある時
「出張ホストてなんだ?」
と、気になった。
(逆にお客さまの立場になれて勉強になるかも)
と、ウマい理由を自分に付けて寂しさを紛らわそうと、あるホストさんに連絡をしてみた。
彼は写真では外見が好みだった。
メールを数回やりとりし、ある日
「横浜に行く用事があるから会わない?」
と営業をかけられた。
またもや掃除をする以外に私は予定が無かった(笑)
彼への第一印象
写真は修正だったのだろうか。(自分が云われたらショックだ)
とりあえず、ファミレスで食事をし(ファミレスか…)、軽く話をした。
とにかく早く帰りたい。
彼はファミレスを出て、カラオケに行こうと執拗に云ってきた。
なんだかとても気持ち悪くなった。
無理やりカラオケに連れて行かれたが、部屋に入って直ぐに彼はトイレに行ってくれた。
チャンス。
その間に私はカラオケの伝票に紙幣を挟み...
逃げた(笑)
電話が鳴ります。
わたし電源切ります。
横浜ホストクラブは“関内”が主流である。
しかし、一度も利用することは無かった。
私は掃除をしている方が楽しかった(笑)
まずイェーガーもシャルトリューズも無い
。
東京に来て最初はバーテンをしてみたかった。
シェイカーが振りたかったから。
しかし、面接は受かったが、そのBARのマスターは存在そのものがセクハラ野郎だった。(苦笑)
やっぱり、遊ぶのならディズニーでミッキーにChu
されたいエミーである。一夜限りのデート2
いろんなところに連れまわされたが、周りに日本人が居なかったので何故か楽だった。
みんな私のカタコトの幼児英語も理解してくれて、アメリカかぶれの彼らにはスラングも通じた。
そのあと、hiphop流れる陽気な車の中で私は何故か泣いてしまった。
毎日がとても寂しかったし、姉が他界してから、その時の自分の境遇に耐えられなかった。
彼も驚いて、
「エミードウシタノ!?ダイジョウブ?!」
と困らせてしまった…。
―――食事はfriday'sだったかで食べた。
デカいぉ肉のグリルを出されたが、当時から私はすでに肉離れが進んでおり、少しつらかった(笑)
私はデザートのシナモンアップルなんちゃらを頼んだが、大きくて食べきれなかったので持ち帰り用に包んでもらった。
デートの最後は、またも彼の友達の黒人さんがマスターのBARに連れて行かれた。
「何飲む?」
と聞かれたのでシリアスに
「コッコ」※以下に注釈あり
と云ったら困った顔をされた(笑)
※コッコは“ココア”のスラング(幼児語かな?)
しかし、出てきたのはコッコではなくコニャックだった(笑)
もちろん私はストレートでいただいた。薄めたぉ酒は仕事を思い出すのであまり飲まない。
彼はレッドブルで割っていた。
そんなんで、夜も深まり、普通なら良い雰囲気になり、motelにでも行きそうな感じ。
が、しかし、私は家まで送ってもらって、
「エミーは変わってるね」
と何度となく云われたので、
「i'm funny」
とか云っていた。
彼は名残惜しそうだったが、私は軽いkissだけして逃げるように帰った。
彼は私の横浜生活で、唯一、私を人間として暖かく扱ってくれた男性だった。
それから、私が彼からの電話にでることは二度となかった…
終わり
次回予告「ホストさん」
みんな私のカタコトの幼児英語も理解してくれて、アメリカかぶれの彼らにはスラングも通じた。
そのあと、hiphop流れる陽気な車の中で私は何故か泣いてしまった。
毎日がとても寂しかったし、姉が他界してから、その時の自分の境遇に耐えられなかった。
彼も驚いて、
「エミードウシタノ!?ダイジョウブ?!」
と困らせてしまった…。
―――食事はfriday'sだったかで食べた。
デカいぉ肉のグリルを出されたが、当時から私はすでに肉離れが進んでおり、少しつらかった(笑)
私はデザートのシナモンアップルなんちゃらを頼んだが、大きくて食べきれなかったので持ち帰り用に包んでもらった。
デートの最後は、またも彼の友達の黒人さんがマスターのBARに連れて行かれた。
「何飲む?」
と聞かれたのでシリアスに
「コッコ」※以下に注釈あり
と云ったら困った顔をされた(笑)
※コッコは“ココア”のスラング(幼児語かな?)
しかし、出てきたのはコッコではなくコニャックだった(笑)
もちろん私はストレートでいただいた。薄めたぉ酒は仕事を思い出すのであまり飲まない。
彼はレッドブルで割っていた。
そんなんで、夜も深まり、普通なら良い雰囲気になり、motelにでも行きそうな感じ。
が、しかし、私は家まで送ってもらって、
「エミーは変わってるね」
と何度となく云われたので、
「i'm funny」
とか云っていた。
彼は名残惜しそうだったが、私は軽いkissだけして逃げるように帰った。
彼は私の横浜生活で、唯一、私を人間として暖かく扱ってくれた男性だった。
それから、私が彼からの電話にでることは二度となかった…
終わり
次回予告「ホストさん」
一夜限りのデート

そんなわけで、食糧危機を乗り越え、やっぱり生きていかなければならないと思い、仕事に復帰した。
それでも独りであることに変わりなく、毎日が孤独だった。
私はスクウェアな性格なので、会社の規律で、
“お客さまと連絡先を交換してはいけない”
というのをくそ真面目に守っていた。
なので営業連絡をすることもなかった。
やがてクリスマスも近づき、私が外に出て唯一する楽しみが“カラオケ”だった。
もちろん1人カラオケ(笑)
CDに録音することも出来るカラオケ機種を指名し、よく録音してはガッカリしていた(笑)
だいたい4時間は居るのが当たり前で、3時間くらいならば水を口にするのみでノンストップで歌い続けられた。
―――そんなクリスマス前のある日、私がカラオケ屋から出て仕事に向かう途中、1人の黒人さんとすれ違った。
たまたま彼と眼が合い、彼はボソッと
「..merry chrismas」
と云った。
私は歌った直後だったので、少し高揚していた。そのうえ、歌うのは英語ばかりだから反射的に
「merry chrismas」
と返した。
彼は通り過ぎてから、振り向いて話しかけてきた。
ジャマイカンのようだったが日本語もそこそこ出来た。
やはり、お決まりでアドレスを聞かれた。
テンションが上がっていたのと、出勤前であまり時間もなく面倒だったので、とりあえず教えておいて後で消せばいいやとアドレスを交換した。
その日はそれで終わり私は出勤した。
後日、電話が鳴った。
「食事をして、映画を視るのもいいじゃない」
とか誘われ、とくに予定もなかったし、とにかく誰も居なくて寂しかったので休みの日に彼と会ってみた。
彼は仕事で「車を売っている」と云っていた。
何だか謎でよくわからなかったが、私は元から人の仕事にあまり口は出さない。
彼は車を持っていて、車の中ではhiphop系のオムニバスDVDをかけていた。
私も好きなので気楽だった。
彼は何故か友達のところにハシゴする。
ストリート系の服屋をやっているジャマイカンであろう友達と交渉し(てか、若干小競り合い(笑)、安く、革のジャケットなどを買っていた。
彼は次々に私を友達のところに連れて行くので、私はおとなしく3歳児並みの英語でついて行った。
続く