直輝は良い加減な男ではない。彼は男気のある男だから、一度始めたことを途中で放り出したりはしない。もちろん、どちらかを選ばなくてはならない場面に遭遇したとすれば、より責任を負わねばならない方を選択するだろうが。
 それとも、彼も人間だから、やはり義務や責任といったものよりも、己れの感情や気持ちに素直に従って行動するときもあるのか。
 思えば、直輝とは幾つもの季節を共に過ごし、歳を重ねてきた。彼は単に夫というだけでなく、幼いときから同じ時間と想い出を共有してきた友であり同士でもあった。
 何故だろう、自分は大切なことを忘れていたような気がする。  
 またも想いに沈んでいる紗英子の耳を、直輝の声が打った。
「凜工房の時計なんて、安いものでも五万はくだらないだろう? 嬉しいよ。ありがとう」
 邪気のない笑顔は、本当に中学生の彼に戻ったようだ。やはり、直輝が時計通だというのは本当なのかもしれない。あの時計店の販売員は、凜工房の時計の良さは、通にしか判らないと言っていた。
「紗英子、外出したのか? これを買いにわざわざ出かけたんだろ」
 気がつくと、直輝が心配げに見つめている。
 今度は心からの笑顔になれた。
「近くだから、たいしたことはないわよ」
「どこまで行ったんだ?」
 言葉は詰問口調だが、直輝が自分の身体を心配だと訴えているような気がして、悪い気はしない。
「N駅の地下街」
「駄目じゃないか。あれほど言っただろ。今は静かにしてなくちゃ駄目だ」
「大丈夫よ。お医者さまももう普通の生活に戻っても良いと言われたもの」
「そうは言っても、油断は禁物だぞ。せめて今年いっぱいくらいは大人しくしてろよ。出歩きたい気持ちは判るけどさ」
 紗英子は思わず苦笑した。
「出歩きたいだなんて、女子高生じゃあるまいし、直輝さんったら、失礼ね」
「そんなことを言ったって、紗英子は知り合ったときから、全然変わってないじゃないか。見かけによらず、お喋りで賑やかで。俺は最初にお前を見た時、今時、珍しいくらい大人しくて控えめな子だと思ったんだ。こんな女の子らしい女の子って良いなって」
 当時の心境なんて、初めて聞かされる。紗英子はまるで自分も十代の昔の戻ったかのように頬を染めた。
「でも、ちょっと見には大人しいタイプに見えるけど、実はそうでもなくて内に強さと情熱を秘めた子だって、すぐに判ったけどな」
「何よ、それって、あまり褒められた気がしないんだけど?」
 紗英子が軽く睨むのに、直輝は愉快そうに声を上げて笑った。
「そうか? 俺は別にけなしてるつもりもないんだが。単に思ってることを言ってるだけだよ、まあ、褒め言葉と受け取って欲しいところだ」
「素直じゃないところ、直君は全然変わらないのね。褒めるのなら、素直に褒めてくれれば良いのに」
 と、紗英子も昔を思い出している中に、つい〝直君〟と当時の呼び方になっていた。結婚するまで、紗英子は直輝をそう呼んでいたからだ。
「そっか? どうやら、それは完全にけなされてるようだな」
 口ではそう言いながらも、直輝は特に気を悪くしている風はない。こうして話していると、まるで本当に十四歳の昔に戻ったかのようだ。
「俺からのプレゼントも開けてみてくれよ」
 促され、紗英子は頷いた。
「本当だ、ごめんね。お喋りに夢中になって」
 今なら、こんな風に素直に謝ることもできる。夫婦なんて、存外にこんなものかもしれない。たった一つのボタンの掛け違えだけで、着ている服が合わなくなってしまう。だけど、もつれた糸をそのままにしておいたら、どんどん絡まって、どうにかしようとしても解けなくなってしまう。
 やはり、面倒がらずに誤解や行き違いは取り返しがつく中にちゃんと説明し合ってなくしておかなければならないのだ。
 紗英子はリボンとラッピングを解き、オフホワイトの小さな紙箱を手にのせた。その箱にも同色の可愛らしいリボンがついている。そっと蓋を開けると、中から現れたのはイヤリングとネックレスのセットだった。鮮やかな緑の石がキャンドルの光を受けて煌めく。
「素敵」
 紗英子は思わず歓声を上げ、直輝の顔を見た。
「この石はエメラルドね?」
「ああ、よく判ったな」
「だって、五月生まれの誕生石だもの。直輝さん、だから選んでくれたんでしょ」
「うん、まあ、そういうことだな。お店の人に相談したんだよ。結婚記念日とクリスマスと両方兼ねたプレゼントがしたいんだって。そうしたら、誕生石は守護石でお守りにもなるから、これなんかどうですかって見せてくれたんで、即決。俺もひとめで気に入ったから」
 ネックレスは滴型で周囲をシルバーの縁が控えめに囲んでおり、イヤリングもそれとお揃いのデザインだ。シンプルだけれど、品が良くて可愛らしい。
「嬉しい、本当にありがとう」
 紗英子はイヤリングを耳に付け、ネックレスも首にかけようとした。しかし、なかなか上手くゆかない。
 直輝が苦笑して側に寄ってきた。
「相変わらず不器用なヤツだな、貸してみろよ」
 紗英子からネックレスを受け取り、直輝は紗英子の後ろに回った。紗英子は背中まである長い髪を纏め、うなじを見せる。
「じっとしてて」
 直輝の声が更に近づき、冷たいネックレスのチェーンが素肌に当たった。次いで、温かな手の感触が紗英子の首筋をつうっと撫でる。
「相変わらずだよな、お前のうなじって昔っから色っぽくて、そそられるんだ」
 直輝の息づかいがふいに荒くなり、次の瞬間、紗英子は背後から強く抱きしめられた。
「お前のうなじが色っぽいのに気づいたのが付き合い始めた夏だって告白したら、どうする?」
「中学二年の夏って、じゃあ、初めて二人だけでデートした、あの夏祭りのこと?」
「うん。紗英子が浴衣を着て、髪をアップにしてただろ。あの時、うなじが丸見えで、それが俺の眼に妙に色っぽく見えてさ。別に全体を見ても色っぽいなんて思わないのに、何でだか首筋を見ると、妙な気分になるんだ。この子はうなじでそそられるんだなって、思ったんだ」
「やあね。爽やかな笑顔を振りまいてたくせに、内心はそんなことを考えてたの。直輝さんって、その頃から、むっつり助平だったのね」
「むっつり助平、そりゃ、ないだろう」
 直輝の声が笑いを含んでいる。
 彼が笑う度に、熱い吐息がうなじにかかり、ゾクゾクとした震えが首筋から身体全体に走った。
 やがて直輝の手がゆっくりと動き、紗英子の胸のふくらみをセーター越しに包み込む。
「なあ、良いだろう?」
 その言葉が何を意味するのか、流石に判った。二日前のことがある。ここで拒絶すれば、もう後戻りはできない、二人の関係がのっぴきならない状況になるのは明らかだった。
 それに、今ならば、難しい理屈など関係なしに直輝に身を委ねても良いと思える。いや、何より誰より、紗英子自身が直輝に抱かれたいと切望していた。
「直君」
 昔のように少しだけ甘えて呼ぶと、直輝は即座に反応した。しばらく紗英子の胸をセーターの上からその感触を楽しむように揉んでいたかと思うと、もどかしげにセーターをたくし上げた。その下のスリップも乱暴に押しのけると、ブラジャーが現れる。彼は手慣れた様子でフォックをはずす。やがて、小柄な割にはふっくらとした乳房がまろび出て、直輝の息は更に荒くなった。
 直輝はそのまま紗英子を抱き上げ、寝室へと運んでゆく。ベッドに静かに降ろされた時、紗英子は甘い期待に身体が震えるのを感じた。
「―好きだよ、紗英子」
 直輝はいつも紗英子の身体中に触れながら、惜しみなく愛の言葉を囁くのを怠らなかった。本心もむろん混じっているのであろうが、その点はマメな男だ。
 直輝の手によって、セーターを脱がされ、すべてを剥ぎ取られてゆく。ベッドの下には脱ぎ棄てられたセーターや下着が散らばった。ブラ、ショーツ、スカートが放り投げられた。薄手のストッキングはもどかしいのか、直輝は一挙に引き裂いた。
「そのストックキング、高かったのよ」
 紗英子が訴えると、直輝が含み笑った。
「また同じものを買ってあげるから」
 紗英子は既に直輝の手によって全裸にされていた。
「やっと何も考えずに、昔のように愛し合えるんだね」
 熱っぽい視線が紗英子の身体中を這い回る。思えば、夫が自分の身体をこのように欲望も露わにして眺めるのはどれくらい久しぶりのことだろう。
「愛してる」
 直輝が紗英子の身体の中でもっとも色気を感じるといううなじから始まり、鎖骨、胸の谷間へと熱い彼の唇がゆっくりと降りてゆく。直輝は女体を愛撫するための時間を惜しまない。
 ゆっくりと丹念に焦らすことによって、彼は紗英子の身体中に火を点す。小さな無数の火をあちこちにつけて、ゆっくりとそれらを煽り、紗英子の中で眠る官能を高めてゆくのだ。
 彼の巧みな愛撫によって、紗英子の四肢のあらゆる感覚は高められ、やがてそれは極限にまで追い上げられてゆく。身体の隅々に点された小さな火はいつしか一つの大きな焔となって燃え盛る。
「うぅ、あぁ」
 紗英子は悩ましい声を上げながら、ベッドの上でのたうち回る。胸を執拗に愛撫された後は、脚を大きく押し広げられる。直輝の頭が開かされた両脚の狭間に埋まっていた。
「直君、そこは駄目、駄目よ」
「何が駄目なんだ? 紗英子はここを舐められるのがいちばん好きなんじゃなかったか?」
「だって、気持ち良すぎて、壊れそう―」
「壊れれば良いじゃないか。こんなに気持ち良くなるのは、久しぶりだろ?」
 紗英子を容赦なく追い上げる直輝の声もまた、欲情が滲んで甘く掠れている。
「だって、恥ずかしい」
「何を今更、恥ずかしがる必要があるんだ? 俺たちは夫婦だろ、こんなことは何度もやった」
「久しぶりだから、声出すのが恥ずかし―」
 言いかけた言葉は言葉にならなかった。
「あ、あ、あぁっ」
 紗英子は自分でも信じられないくらいの嬌声を上げながら絶頂に達した。
 大きな焔が紗英子をすっぽりと飲み込み、灼き尽くす。
「どうだ、気持ち良かったか?」
 顔を覗き込まれても、紗英子は荒い息を吐きながら、瞳を潤ませるばかりだ。
「胸と舌だけでこれだけ乱れるなんて、紗英子は信じられないほど嫌らしい身体をしてるんだな」
「―直君の意地悪」
 紗英子が拗ねたように言うと、直輝が紗英子の目尻に浮かんだ涙を唇で吸い取った。
「でも、そこが堪らなく可愛いんだ。俺はもう長い間、こんな風に可愛らしく乱れるお前を見ていなかった。漸く欲望に素直になった紗英子を見られて、嬉しいよ」
 チュッと音を立て胸の先端を吸われ、紗英子はまた声を上げて身体をくねらせた。
「あうっ」
 直輝は紗英子の反応が気に入ったらしく、何度でも胸の尖りを執拗に責め立てる。揉んでは吸い、吸われては揉まれを繰り返している中に、ベリーのような可憐な胸の蕾は唾液に濡れて淫靡な光を放ち始めた。
「見えるか? お前のおっぱいが濡れまくって、物凄く嫌らしく見える、こいつは堪らんな」
 直輝は堪りかねたように、紗英子の形の良い乳房のあちこちを強く吸い上げてゆく。先端だけでなく、こんもりと盛り上がった部分のすべて、乳輪と余すところなく口づけていった。その度に、チュッ、チュッと嫌らしい音がしじまに響いてゆく。
「もう、いや。直君、許して、このままじゃ、私、狂っちゃうから」
「いやじゃないだろ」
 直輝が乳房を銜えたまま喋ったので、紗英子の身体にまた妖しい震えが漣のように駆け抜けた。
「やん」
 身体をくねらせる妻を、直輝は満足げに見つめる。
「今度は俺の番だ。紗英子の可愛らしい身体で俺を楽しませてくれ」
 直輝は一旦、紗英子から離れた。それまで執拗に責め立てられ弄られていた胸が急に淋しくなった。紅いグミの実のような尖りは触って欲しいとしきりに訴えている。ひんやりとした外気に触れ、まだ濡れたままの胸の突起がふるりと震えた。今はその程度の刺激すら、紗英子の身体に快感をもたらしてしまう。
 時間をかけて丹念に愛撫された身体は、今やすっかり敏感になり、些細な刺激さえにも反応してしまうほど感じやすくなっている。
 直輝は紗英子を軽々と持ち上げた。自分が下になって座り、紗英子をその上に跨らせる。
「さあ、自分で挿れるんだ」
 最早、ここまで来ては逆らえない。紗英子は夫の言葉に導かれるままに自ら腰を上げ、再びゆっくりと降ろした。丁度、直輝のすっかり勃ち上がったものが紗英子の秘所に当たつている。直輝の舌や指でさんざん捏ね回され、弄られた花びらは幾重もの襞をすっかり潤ませ、しっとりと濡れて準備を整えていた。
「う―」
 紗英子の秘所が切っ先を飲み込み、直輝自身をいざなうかのように奥へ奥へと誘導する。紗英子はゆっくりと腰を沈め、直輝のものを受け容れていった。
 突如として、直輝が紗英子の腰に両手を回した。そのまま一挙に腰を引き寄せられ、紗英子は夫のものを完全に飲み込むことになった。更に強く抱きしめられれば、直輝の剛直がなお深く紗英子の中に沈んでゆく。結局、紗英子は最奥部まで夫を受け容れさせられ、飲み込まされることになった。
「これでも嫌か?」
 耳許で熱く濡れた声は、淫らな欲情に濡れている。
「―素直になるんだ」
 声と共に、真下から烈しく突き上げられ、紗英子は悲鳴を上げた。
「直君、私、もう―」
 もう、駄目。その言葉は直輝の烈しい口づけによって遮られた。何度も勢いをつけて腰を打ちつけられ、紗英子は直に達した。今し方、最初の絶頂を迎えたばかりの身体はたちまちの中に切なさに飲み込まれ、大きな焔に灼き尽くされる。
 あまりに烈しい快感に、眼の前が真っ白にになり、意識が一瞬飛んだ。
 それでも、直輝は何かに憑かれたかのように紗英子を揺さぶり続ける。今、達したばかりなのに、また次の波が来そうで、紗英子はあまりの快楽地獄にもがき、喘ぐしかなかった。
 直輝は腰を回し、あるときは彼自身を殆ど抜けそうなほど引き抜き、一挙に最奥まで刺し貫く。しまいには紗英子は烈しく揺さぶられ、意思のないマリオネットのようにがくがくと身体を揺らすだけになった。
 何も身につけず、ただ直輝から贈られたエメラルドのネックレスだけを身につけたままの姿で、紗英子は身を仰け反らせ、切ない声を上げ続ける。
 苦しい、でも、死にそうなほど気持ち良い。
 紗英子は下から執拗に突き上げられながら、あまりにも烈しすぎる快感に涙を流した。
 きっと、あの夢は私自身。
 二日前に見た淫らな夢の主人公たちは直輝と自分だったのだ。紗英子は確信を深めた。
 だが、目覚める間際、夫にあられもなく脚をひらいて跨っていた女がちらりと顔を見せたような気がする。そのときに見た女の顔は自分ではなかったような―。