Let's go on a journey! ~世界編~ -30ページ目

Let's go on a journey! ~世界編~

夢の 世界一周しちゃう!!!???

Let's Go!! Go!!!! Around the world!!!


“なんとなく そう思った”


こういう感覚は
簡単に見過ごしてしまう


“強くピン!ときた!” ならまだしも

“なんとなく” だから

「ま、気のせいか」  で片づけることができる

でも
この “なんとなく”  はすごく大切な感覚なんだと思う

無視しちゃだめだって 今は思う


~3月31日~

毎日ネットはしてるけど
その日に限って 私はネットしてなかった
朝から外に出かけていたし
人と一緒だったから その人に気を使ってその日 一日はやめといた


その日の夜中
差していたコンセントプラグが ひとりで勝手に抜け落ちた
急に目が覚めた

「ネットしようかな」

“なんとなく” そう思った

ちょっと考えて
でも 辞めといた
深夜だし 明日の朝すればいいし
何もこんな夜中にわざわざ起きてすることじゃない

簡単に見過ごして すぐ寝た


翌朝 起きて
“なんとなく” 真っ先に ネット繋いだ



お母さんからのメッセージ

「ばあちゃんが昨日の夜 亡くなりました」



いきなりの知らせに びっくりした

その前にも
ばあちゃんの具合が悪い というメッセージが立て続けてあった


見てなかった
携帯の電源も切っていた


今すぐに帰っても お葬式には間に合わなかった


日本と コロンビアの距離は やっぱりそうとう遠かった


もし もっと早くにこのメッセージ見ていたら
早い飛行機に乗って 間に合ってたのだろか?



この前までいた
インドの宿で
急に ばあちゃんのこと思い出して
「ばあちゃん元気なの?」ってお母さんに聞いたことがある

その時は 元気だったから
帰国したら会いに行こう
って “なんとなく” 思ってた

それから
帰国して
なんとなく 会いに行こうとは思っていたものの
結局 行かなかった


いつも “なんとなく” を 常に 見過ごしてきた




昨日は 教会に行って ひとりで泣いた




好きなことをして
海外を飛び回って 幸せだと思ってたけど

会いたい人に すぐ会えない
大切な人に 最期のお別れもできない
辛さも味わった

こんな思いをするのは もう二度目だった



思い立ったらすぐに会えるというのは
なんと 有難いことなんだろう と思う




じいちゃんが死んだのは
私が子供の時だった

大好きだったから
じいちゃんの葬式では
私は火がついたように泣いた

そのときのことを
ばあちゃんは後々よく私に話してくれた


あれから30年経った

ずっと一人だったばあちゃんは
やっとまた じいちゃんと一緒になった


私は大人になった


若かったお父さんとお母さんも
いつの間にか じいちゃんとばあちゃんになった


命を繋いでいくことは 使命みたいなもんなのかもしれない


自分が死にかけた時にも 全く同じ事を思った


孫を抱かせてあげるって
最高の 親孝行 なのかもしれない


時間の流れは 思うより早い



最高に幸せだった!
そう思うために 
あとどれくらい やりたいことを残しているだろう



ばあちゃんの
お葬式行けなくてごめんなさい

遠い日本の裏から ばあちゃんのこと想ってる

大好きだよ

帰国したら 今度は必ず 真っ先に会いに行く




桜の季節は なんか切ない

photo:01



お母さんが撮った今年の桜
アングルがイマイチ!!( *`ω´)/

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