皆さん、こんにちは!
今回はワンネスプロデュースのセッションを受けたので、そのことについて思ったこと、考えたことについて文字にして残そうかと・・・♪もし、気が向いたら最後まで読んでもらえたら嬉しいです♪
yuikoさんとのセッションは話過ぎちゃう!(笑)
否定せずに寄り添ってくれるからなのか、普段人に話さない赤裸々なところまで、軽やかに言葉になるのがとっても不思議!
今回は「女性性」についての話をしたよ!
今の私はというと、
仕事はバリバリする!仕事に男女関係ない!
「女だから」ってできないって舐められたくない!
そうやってずっと生きてきた
それこそ力仕事だって、勤務時間だって、女性らしさを使わず、馬力で突っ走っている(特に職員の中では)
生徒たちのまででは、女性ではなく、母性と父性で接しているかな?
仕事を始めて、女性の毎月の月経があると、男性と同じように働くのはしんどすぎる~。とピルを服用もし始めた。
だから、世の中のジェンダーバイアスには憤りを覚えるし、女性や男性で区別されることがとっても嫌い
そうして性別の違いを打ち出して、社会でずっと戦っているのが私だった。
でも、セッションで「戦わないとだめなの?」「なぜ男性と同じようにじゃないとだめなの?」っと問いかけられた
ふと立ち止まって考えてみると、確かにそうで
戦わないことも選べる
男性と違うだって選べる
なのに、どうして私は同じようにを選んでいるのだろう?
それは、幼少期の体験と経験に紐づいていた
両親共働き、母はとても古風は人で
「女は家事と仕事、両方できて一人前」
「社会は男性社会だ。女の待遇はどうしても悪い」
「女性は男性を立ててこそ。それが女性らしさだ!」
そういう価値観のもと育てられていた
幼少期の私は不満だらけ
女だから家事をやらないといけない
男である弟がのんびりしているのに
文句をいうと、「男はいいの、嫁さんもらえば」
と一蹴されることがとてつもなく悔しかった
なんで私だけ?女だから?
なんで女だけ?
なら、女でいたくない!!!
そうやって、女性性を拒否して、悔しい自分を守ってきたのかもしれない。
かわいらしい服装をすることも
ぶりっ子をすることも
女性だから、配慮されることも
周りにそういう人がいると嫌悪感が湧いてきて
「私はあんな風になりたくない、カッコいい人でありたい」
と女性性の否定を動力に頑張ってきた
社会での女性の役割・立場への否定の設定の強さは
母からの信頼、期待に答えたい私が作り出してきたもの
母の悔しさを解消しようとする小さな私の目一杯の愛情なんだと思った
母の思い描いた世界を私はこれからも生きていく必要はないし、もう充分。
女性性の否定は、強さにつながるけど、ちょっと強くいるのもしんどくなってきたし(笑)
もっと穏やかに楽しく戦わない世界を描く、選ぶをしよう!と
前を向いてみたはいいものの…、まだ全然上手くできない。(笑)
けど、私は女性である私を好きになりたいな~と思えたセッション終わりでした。
またセッションは続く!!!!