結構端折って書いてるつもりなのに長いですねーチーン
読んで下さっている皆さん、ありがとうございます。


年末年始に実家に帰り、父の様子を見てこれは退職を早めなくてはいけないなと。腹水で妊婦さんのようになっていた父のお腹。
腹膜播種で腹膜も硬くなっているから相当痛いと思うのだけど、痛いと一言も言わない。
元気な頃は

熱が36.8℃くらいでそりゃ大騒ぎ

の人だったのに。
名古屋に戻り、退職は1/16になった。
父が夫に自分が死んだら私をしばらく母のそばに置いて欲しいと頼んでいたのでどのくらいの期間になるかわからないから荷造りをして。

1/21の夜に名古屋を出て、実家に帰る事にした。

父は1/4に入院し、在宅で点滴の管理が出来るような処置をした。二泊三日の予定だったのだが、腸閉塞になってしまい入院が延びていた。

1/21の夕方、母から電話。

明日の午前中にお姉ちゃんと来るねって言ったら嬉しそうにしていたよ。

と。その日一緒に面会をした弟一家。
弟が熱を出して弟だけ実家に残っていると。
夜の22時くらいに夫に「じゃあ行ってくるね」と言い、車に乗り駐車場から車を出そうとしたその時、電話が鳴った。弟からだった。
あ、何かあったなってわかるよね…。
電話に出ると

お父さんが急変したって連絡が来たから、俺たちはこれから病院に行くから、お前も病院に来て。

って言われても5時間くらいかかるわけで。
すぐに自宅に戻り夫に
お父さんが急変したって。無理だから喪服の準備をして。数日間の荷物も用意して、会社に連絡して。
と言ったけれど頭の中は真っ白だった。

東名に乗ったくらいにまた弟から電話が来た。
内容は予測がつく。

お姉ちゃんを待つか?って言われたんでしょ?もういいから早く家に連れて帰ってあげて。

その電話の後ろから母の叫び声が聞こえる。

お父さん、お父さん、どうしてー

いや、本当にどうしてだよ…。私がこれから帰る時だったのに。

実家の近くのインターを下り、24時間やっているスーパーで大人用の紙おむつ(頭を洗うため)、脱脂綿、スポンジブラシを買ってから実家に行った。

実家のドアを開けるとお線香のにおいがして、

お父さんは死んだんだ…

と痛いくらいに思わされた。母が誰も間に合わなかった…と言って泣き崩れた。弟の目も真っ赤だった。

リビングに寝かされていた父。
そこから私の記憶が途切れている。
次に記憶があるのは髪の毛を洗うからと言って母に色々準備をしてもらう物を伝える場面からだ。
後から夫にきいたら1時間くらい、父に抱きついて泣いていたらしい、全く記憶に無いのだけれど。

父は自衛隊を退官してから自衛隊の話は一切しなかったのに、死んだら制服を着させて欲しいと言っていた。なので、着替えをした。
こんな言い方は良くないけれど、私は亡くなった人を着替えさせる事に慣れている。そうしてどんなに重くなるかもわかっている。1人では無理なので母と弟にも手伝ってもらった。

母が制服を用意していたはずなのに見つからず、姪のお食い初めの時に作ったスーツを着せた。
髭も弟に剃ってもらったし、綺麗になった。
葬儀には昔の父を知っている方も来て下さるだろうから、痩せて頬が痩けている姿をプライドの高い父が見られたくないと思い、買ってきた脱脂綿を頬の方までしっかり詰めて、父はふっくらした顔になった。

友引が重なり家に少し長くいられた父。
毎晩蒸しタオルで顔を温めてからクリームを塗っていたら病人とは思えないくらい肌がツヤツヤになった。
その、クリームを塗る時に口角を上げていたら、微笑んでいるようになった。

色々な事が落ち着いた頃、父の日記を読んだ。
半分以上が私の事で、体調の心配。
亡くなるその日の夜も自分が数時間後に死ぬなんて思ってもいなかったろうから、私の心配。

なぜ父は私を待っていてくれなかったのだろう
私は酷い事を言った、だから会いたくなかったのかな
体調が良くないから在宅で面倒をかけると思ったのかな
私が看護師で色々父に言ったから会いたくなかったのかな

私は会いたかったし会えると思っていたのに。
私を看護師にしてくれた父に私が出来る限りの事はするつもりでいたのに。
また名前を呼んで欲しかった。

色んな事が頭の中をグルグル回った。

今思えば、弟が熱を出して実家にいたことはラッキーだったと思う。母1人の時ならとても運転して病院には行けなかっただろう。
私の体調を気にして、夫が帰ってきていた時間だったのかもしれない。

そう思えるけど、その時もそう思ったけれど

どうして私を待っていてくれなかったの?

その思いと、自分が父にしたことの後悔だけが残ってしまった。それは何年もずっとずっと。どうして?と父にききたい、でももう父はいない。謝りたい、大好きだったと言いたい、ありがとうも沢山言いたい…でももう父はいない。
父が答えてくれる事はもうない…。

この思いが強すぎて私は父の死を受け入れられていなかった。4年間、ずっとずっと思っていた。
その間に仕事で多くの患者さんの最期に立ち会わせていただいたけれど、ご家族が揃っていると不謹慎だが羨ましかった。

どうして待っていてくれなかったの?
娘が看護師で良かったの?本当は知りたくない事もあったんじゃないの?

ずっとずっと思っていた、