サクサク書いて行かないと!と思って書き上げた長文がサクサクっと消えました
気を取直して書きたいと思います
父のスキルスがわかってから私は泣けなくなってしまった。父を含め家族から出る質問、不安。
それは私が看護師だからきいてくるんだろうなって。父の前では絶対に泣かない母も私の前では泣く。
そうしたらね、泣けなくなってしまった。
私の心の中のシャッターがガシャンて音を立てて閉まった、そんな感じ。
ちょっとの隙間さえ許さないくらいに閉まった。
感じる事をやめた。
完全には無理だけど、娘として感じる事をやめた。看護師の私が家族から求められていると思ったから…自分がね。
そう、自分が。
今ならそんな事は無かったとわかる。でもあの時はそう思ってしまったんだな。
父のオペは私が父のお腹に手を突っ込むという最悪の事態にならずに無事に終わった。長かったけどね。
リンパ節を90個郭清したそうで、それで10時間くらいかかったかな。
オペ室から出て来た父は前歯二本の入れ歯を外し、
無い歯をわざと見せて笑顔でサムズアップ👍
父よ、絶好調だな、おい
それから1週間くらい後だったかな、先生から病理検査の結果を聞く日になる。
今回郭清したリンパ節90個のうち78個からガン細胞が見つかりました。今後の治療としてはまず、内服の抗ガン剤を始めて、そこから点滴の抗ガン剤と合わせた化学療法をやっていきます。
リンパ節からも出るだろうなと思っていたけど、この数は私もさすがにショックだった。遠隔転移もしているとわかったし。
父は言った
抗ガン剤治療はやりません。ガンのステージが一気に上がったという事ですよね?私の体の中にはガン細胞がまだあるという事ですよね?
ガンと共存します。
顔色1つ変えずに言った。
強い人だなぁと私は見ていた。
先生は抗ガン剤の治療成績や予後の事も説明してくれたが、なんせ頑固親父なので曲げない。
よくご家族で話し合って下さいと言われたな。
私は父の体だし、父が思うようにすれば良いと思った。それに、手術とか治療とかを拒否する患者さんが周りに説得されてそれをした場合…やっぱりね…となる結果も看てきたから。
母はそれで長く生きられるかもしれないならやって欲しい。弟は孫が産まれるんだよ?顔を見たくないの?大きくなるのを見たくないの?と孫という最強の武器を持ち出してきた…そりゃそうだよね、お父さんに会わせたいよね。
そんなシリアスな場面で父は言った
孫を浴槽に沈めたくないからなぁ
何言ってんだか、この人。
そして私に質問してきた。
抗ガン剤を使わなかったら孫の顔が見られないかな。
いやー、そのくらいはまだまだイケると思う←軽いな、私のこの返答の軽さナニ
という事なので、お父さんは抗ガン剤はしません!
と宣言して終了(笑)
実家に帰ってから母と弟に責められる責められる。
この時、初めて少しだけ心のシャッターを開けて泣いた。
私だってお父さんに少しでも長く生きて欲しいもん。
お父さんが死ぬなんて嫌だもん。
でも、お父さんがそうしたいならそうすればいい、それだけなのに。
私は冷たいのかな。私が看護師じゃなかったら違ったのかな。
お風呂の中で泣いた。
昔、弟と2人で沈められた浴槽の中で
結局、父は抗ガン剤治療をする事にしたんだけどね。
孫に負けて(笑)
オペから1カ月で退院してきて、ひと月半後の年明けからTS-1という内服薬を開始する事になった。
私は病院は辞めて、バイトで看護師をやっていたから時間の融通はきいた。
飲み始めてから毎日電話した。
副作用が出ていないかどうか。
平気だった…でも、1週間経った日の朝の4時に母から電話が来た。
お父さんの顔色が急に悪くなったの。夕べまでは何とも無かったのに。顔がシミだらけになって、背中の皮がベロンてめくれてる。
あーもう抗ガン剤治療は出来ないなそう思いながら
今日、外来を受診して。今日の分の薬は飲まないで受診して。
結果、SJS(スティーブ・ジョンソシンドローム)←Google先生が教えてくれるよ
名前だけはカッコイイんだな、名前だけは。
でも、稀な疾患なの。で、結構怖い疾患なの。背中の皮が剥けたと聞き、真っ先に思いついたSJS。やっぱりね、嫌だって言っている人を無理に説得するとこうなるのよね…上手くいかないの。
肝臓と腎臓の採血データも、うえっと思うほど上がっていた。
父はもう、抗ガン剤治療は出来ない。
他の薬はダメなんですか?とか薬の量を減らしたらとか質問したらしい。先生も無理だと言ったと。
父と電話で話した。
お姉ちゃん、治療が出来なくなるって事はこれからお父さんはどういう風になっていくんだ?動けるうちに色々やりたいからその辺をお姉ちゃんの経験値でいいから教えてくれないか。
そうだねー、オペをしてから1年経つ頃に再発してくるんじゃないかな。だから、10月くらいまでにやれる事はやった方が良いと思うよ。それから1ヶ月くらいで腹水が溜まり始めると思うから、お腹の痛みが強くなったら病院で鎮痛剤のコントロールを考えてもらったらいいよ。孫には会えるから、それは大丈夫。楽しみにしてようね。
ありがとうな。やっぱり笑はきちんと話してくれる。お父さん、笑を信頼してるから。ありがとうな。
この時に初めて質問した。
私があの時に検査を受けろっていったことで検査をして今、こうなってること…良かったと思うか?って。
当たり前じゃないか、だから色々考えられるんだろう。そんな事考えなくていいんだから、ありがとうな。
私の言っている事を聞いていた夫は、電話を切ると
おまえ、辛いなら泣いていいんだぞ。
と一言だけ言って別の部屋に行った。
泣けなかった。
心の中で私の予想が外れますように、それだけを思ってた。
父の死が現実味を一気に帯びた。
泣きたいのに泣けない自分、父の質問に冷静に答える自分…もう、全てが嫌だった。
看護師じゃなかったら何もわからなくてお母さんと一緒に、泣けたのに。
私は看護師である前に娘なのに
ずっとずっとずっとそう思っていた。