私を形作っているものを知りたいと思うようになったのはいつからだろう。



だいぶ隠せるようになったと思うけれど(というより私は人に見せることでそれ以上のものをブラインドの向こうへ閉じ込めているのかもしれない)、
このネガティヴさと感傷、考えすぎる癖、異常な自信のなさ。
人はそんなこと考えていないのに。


なんだか気味悪いんだよね。
1桁の時は天真爛漫だった、誰よりも。人見知りなんてしなかったし、他の子よりちょっと早熟だったかもしれないし、いろんなことに興味を示しすぎたとは思うけれど、だからと言ってそれほどの違いを感じてはいなかった。

小6になったら今の私の原型はだいたいできあがっていたと思う。
中学になってそれを強固なものに仕立ててしまった。他人が怖すぎて、知り合いのいないクラスに溶け込むことができなかったから。内省する時間が増えた。



何が今の私を決めたのだろう。それがわかれば解決できるのに、と思う。
よくカウンセリングとか自己形成の話ででてくる親の愛情不足とか、いじめとか、そんなものはないと思う。普通の小学生。



その間にある小さな変化の1つは、
人見知り。うすうす自分では気づいていたけれど、3〜6年一緒のクラスだったからそんなに深刻にとらえていなかった。
だから、半数は持ち上がりの中学に入ったとき、こんなに苦しむだろうとは思っていなかった。


あとはやたら本を読むようになったこと。もともと他の子よりは読んでいたけど、あの頃は1日2冊読んでた。ちょうど自律神経が乱れる年頃だったからか、本を読んでいると酔ったけれど、気持ち悪くなりながらも読み続けるぐらい、自分の頭の中に出来上がる世界に夢中だった。

ただ、そんなに難しい性格に何か与えるような本を読んでいたわけではない。はまったものといえば、推理小説、妖怪レストラン、ノンフィクションの動物物語、ドイツのファンタジー(これは理解が難しかった)、はやみねかおる、あさのあつこ、青木和雄。
本に共感して泣くようになったのもこの頃。

そういえば、悔しいとか悲しいとかそういう感情でしか泣いたことがない。本とか映画を見るとき、だいたいの人は感動して泣いているのに。私はなぜかサイドのふられた女の子に共感して泣いてしまう。

大学に入って意味わからないぐらいすぐに泣くようになったけれど、きっと私は泣き虫だと思われているけれど、
高校まではすぐ泣く人のことは信じられないと思っていたし、自分のことに関してはどんなに悲しくても、人がいないと泣けなかった。誰かの涙を見てようやく泣けた。


身長のことを気にするようになったのもこの頃かも。チビをネタにできるようになったのは高校になってからだ。身長を長所としている女の子はいっぱいいるのに、なんでここまでコンプレックにしているんだろう。
そうはいっても、私より背が低い子なんて片手で数えられるぐらいしか見たことがないし、その5cmの差が私を苦しめているのだけれど。

あぁ、でもこれをこじらせたのも中学の時だ。身長だけがかわいくて、顔も声も思考もそれに似合わない自分が嫌だった。キモいって思ってたし、今も思う。同じ理由で、人にうらやまれる女の子の象徴も嫌い。何も生かせないから。
"女の子"に似合わなすぎる自分が嫌いで、でも間違いなく女の子であるのがつらい。

"小さいのに頑張ってるね"もだいっきらい。
ハンデをもった子が何かを成し遂げることは感動を呼ぶんだろう。限界があるって思ってるからこその言葉。小さいから努力するんじゃない、頑張るしかないじゃない、他の子と同じ速さで走るのにも同じようにピアノを弾くにも必死だったんだよ。私は見せ物じゃない。
勝手にレッテルを貼って、そのくせ、優ちゃんは(地)頭がいい、とか言わないで。大人の勝手な感情を押し付けないでよ。
身長は関係ないとか言いながら、その言葉がすでに私を特別視しているってことに気づかないの?
って今となっては思うけど、小学生の頃は人の努力の量なんて見えてない、それが普通だって思ってた。
こんなこと思うのもおかしなことなんだろう。



どれだけ考えてもナイフがつきとめられない。
よくある仲間はずれに残酷な悪口、
未だに許せない親の言葉、冤罪、
理不尽な怒りとか嫉妬、
ちょっとしたガラスの破片は見えるのだけれど、それでそこまで何かが変わったとは思わない。誰にでもあることだから。

私は何か重大な記憶をなくしてしまったのだろうか。(それがもし他の人にとってもナイフになっていたとしたらどうしよう、とも思う)

喉に刺さった小骨がいつしか溶けてなくなるように、時間と強い抗力でナイフをなくしてしまおうと、何度も必死でやってきたのに、まだ変われない。
だとしたらやっぱりナイフを探し出して引き抜くしかない。それによってまた血を流すとしても。

でも見つからない。


それとも、他の子にとってのガラスの破片は私にとってのナイフだったのだろうか。傷を負ったのではなくて、そもそも欠けているのだろうか。
そんなの信じたくない、最初から決まってただなんて思いたくない。




こんなこと考えてる自分がまた気持ち悪い。って思いながらここに書いてる私はなんなのかな。





って、
最近は部活のことで精一杯で考えずに済んでいるけれど、毎月こういう日は来る。



たった今は考えてないけどね 笑
1ヶ月前に書いたままほってあったから投稿してみる。



普通になったら私ではなくなるんだろうけど、こんなに考えてる私は、周りからしたら意味わかんないんだろうなぁ、だからけとばされるんだろうなぁ。

普通と違う自分は、需要がないんだろうか。