宇多田ヒ●ルの曲を聴きながらPCの仕事をしていたら・・・
想像でしかないけれど、
”求めても得られない理想の母”がテーマになっているような曲も多くて
んまー共感する部分があり・・・泣けてきます
女性は、誰もが”母親向き”ではないってことだ。
我が家で言えば。
私は就学する前から、慰められた記憶ってほとんど無いし。
引っ越しをして方言も環境も変わって、年長時代を過ごしていた時は
「無」の状態だった。笑いもせず泣きもせず過ごした年長時代。
家で抱きしめられたり、母の膝に乗せてもらったなーとかも無かった。
欲していたので、あれば覚えている。
あきらめて我慢した記憶しかない。
毎日、よく母に怒られてヒステリーを起こされて・・・怖くて夜泣いて寝たり。
母の鬼のような形相と怒鳴り声は・・・大きくなってからも胸に堪えた。
時々見せるご機嫌な母の笑顔にホッとしたりもした。
基本的に”自分の話”か、愚痴しか言わない母だったので
こちらからのコミュニケーションがなかなか取れず・・・それは今でも変わらない。
心配はしてくれているのだろうと思うが
幼少時からの母との距離がありすぎた。
お茶も断られたこともあるし、ふたりきりでお出かけなんて今後も無いだろう
家を出ても私を見に来ることもなく、電話もなく、小包なんかもほぼなく、里帰り出産をしなかった私の次女に会いに来ることもなく。
それでも、娘として少しは気にかけてるんだな、と今では思う。
次女が生まれた後
「●●さんがそうしてたっていうから、送った」
と一回だけ冷凍された手作りのおかずを段ボールに詰めて送ってくれた。
そう。一回あっただけで、覚えていられる思い出になった。
「あんたが心配だから」とは言ったことはない母。
欲しい言葉とは逆の言葉で、どこまでも心を叩いてくる。
今までいろいろ暴言も吐かれて、それは忘れようとしても 奥底に仕舞っても、ひとつではないので
どれにする~?と選べる状態。
女が母以外居ない核家族の中で、母だけが頼りの場面でも
頼りにしたことはなかった。
引っ越しばかりで毎度新しい人間関係を築いていかねばならないストレスにも
微笑んで居られるくらい「無」で居られた。
ただ中3での引っ越しは少し堪えた。
ヤンキーだらけの学校で卒業式を迎えるとは思ってもみなかったヨ
ただ、いつも休まるところは 自分の胸の中のみだった。
現在は、娘ふたりに恵まれて
同性が居る家族生活を身に染みて感じている。
歳頃のせいか、ふたりとも私のことが大好きで
手を抱えて寝たがるのだけれど
「暑いーー!」と私がお断りさせていただいている。
それでも数秒はふたりに手を捧げるのだけれども。
こんなに母親に甘えたことはない。とふたりを見ながらよく思うのだけれど
健全だな、と叫びまくる娘たちを叱りつつ、ほほえましく思う。
先日の長女の弱い歯の治療のため、また歯医者に一緒に行ったら
相変わらず手を握り締めてあげないといけなかった。
・・・
甘いのだろうか
・・・
自分がひとりでできてたことなので、甘いんだろうなと思うのだけど
境目がわからない。
自分に置き換えたら、
「子育ては放置」という結果しか出てこない
それが正しいことだとは思えない
お蔭さまで、今日は玄関の階段の一部をDIYで白く塗ったほどアクティブに一人で動けるメンタルを手に入れている。
適当すぎて、写真なんてUPできない。
そのうち家族からクレームがくるんじゃないか?と思うが・・・ま、いっか!
コンクリを強化するためのスプレーもして、下地も塗って・・・ようやく塗料を塗って・・・
時間はかかりますのう
五人くらい辞めてったバイトもひとりきりのポジションでもう一年以上仕事してる。
それ・・・母を含め実家の育て方が効いてると思う。
「THE・放置」
嬉しかったとは言わない。
ただ、今となっては
「経験をありがとう」と言える。
よそ様の基準や価値観に添えるような行動がとれるようになるまでは・・何年も時間が必要だった。
まだ矯正中
よそ様のことを考えつつ、自分の生きたいように生きたい。
それは娘たちにも伝えていくつもり。
とにかく私の病んでいた時期は終わった。
小さかった娘たちも大きくなって、自分の意志表示もよくできるようになった。
自分の意見もバンバン言ってくれる。
ひとりで赤子の娘を抱っこしながら、ご飯の材料を買いに行ったり、
孤独なお世話をする時期も終わった。
本当にしゃべれない長女と毎日を過ごすふたりの時間は長く感じたな。
今は成長したふたりを信じることで心が楽になっている。
わがまま言いたい放題のふたりとバトルはするが。
また明日から夫両親が泊まりに来るのだ・・・・ごはん、二泊分どうしよう・・・
作ると思うけど。