一年間たいしてブログを書いていないくせに(-。-;)
大晦日だけは毎年書いているグリーン☆です。(大晦日だからってのもありますが・・・)
さて、
今年はグリーン☆にとってどんな一年だったかというと
過去との対峙・・・
要は生まれてこのかた違和感を感じ続けてきたことに、納得と確信を得られた年でした。
もちろん夫とのことも含まれていますが、
ワタシ自身のことです。
棚卸とでもいうのでしょうか・・・
グリーン☆は少し変わっている子供のようでした。
小学校に入ったころぐらいからしか覚えていませんが、
寝る前に
死ってなんだろうと思って眠れなくなったり、
死んだら、今この死を考えている頭の中の意識はどこに行くのだろう?と考えたり、
踏切の前から飛び込んだら、痛いという意識と死はどちらが先でどちらが後に来るのか?
少し面白いのだと、
高速道路のサービスエリアのトイレの前で
もしこの扉がすべて透明だったら、みんな同じ方向向いてるんだ(笑)
なんかおかしいなんても考えてました。
でも、死について考えることは
決して死にたいということではなく、どうして生きているかを考えていました。
いわば、死があるから生がある。
死が怖くて死をないものにすると、おのずと生きることもなくなってしまいます。
こんなこと
親兄妹に話したら、この子いじめにでもあっているのかしらと心配させるのがおちです。
友達に話したら、頭がおかしいと思われて気持ち悪がられるでしょう。
(現に、兄妹からは変っている、我儘、自己中と言われ続けてきました。)
だから、物心ついた時から
思考は分離して自分の頭の中にだけ留める癖もできています。
しかし、ある本を読んだのがきっかけで
みんな当たり前としてスルーしていることに対して、
いちいち私は立ち止まって考えていたから、
周りの人と足並みをそろえられなかったんだと気が付きました。
思考の深さはみんな違うんだ・・・
だからと言って、どれが正しいとは言えません。
自分の物差しいっぱいいっぱいを使って考えて出す結論はどれも尊いと思います。
だから、全てにおいて悪はないと思っています。
そういえばこんなこともありました。
給食のスープにホチキスの針が10個ぐらい入っていたこと。
除けて食べてそのまま食器を片付けました。
誰にも言わずに思ったことが、
みんなも入っていただろうけど、ちゃんと除けて食べたかな?
大人になって気が付いたのですが、あれはいじめでした。
上履きもよくなくなるし、画鋲も入っていた。
教科書もよくなくなってたし・・・
上履きが無くなればスリッパを職員室で借ればいいし、
画鋲は取って教室の画鋲入れに戻したし、
教科書は本屋さんに売られていたので親に買ってもらっていました。
誰かがやったのだろうけど、誰がやったなんてまたくお構いなしの子供でした。
ただ、今どうしたらいいかだけが重要で、
まったく、本人はいじめられてる自覚がまるでなかったのです。
いじめているほうも面白くなかったでしょうね。
そんな生き方をしきた私が、
夫と出会い、見送ったことを考えると少し納得のいくことであると考えています。
しかし、一人の人生を考えた時生き方が間違っていたのではないか
不安になっていたところでしたが、
考えること、思考することはやはり私には必要なことで、
それができたから、この他人から見たらどうしようもない人生を
面白おかしく、時には泣きながらも内面からそして、客観的にも分析しながら
生きてこれたのかなと思います。
そんな私を彼は
『分析屋』と呼んでいたことを思うと、すべてお見通しだったのかな。
私が死を迎えるまで、終わることのない探索の旅はまだまだ続きそうです。
大晦日の忙しいときに
グリーン☆の面白くもない身の上話読んでくださってありがとうございます。
思ったことの半分も表現できない自分にガッカリですが
それもまたグリーン☆(笑)お許しください。
最後に、
きょうの朝ごはん
今日から留守にするので冷蔵庫の片付けを兼ねて・・・
見事にグリーン一色
さてさて、実家に集合する前に
あの方のお墓にでもまいりましょうか・・・
それでは
皆様、よいお年をお迎えください(^-^)/

