今回は自我の手放しについてお話ししていきます。
自我の手放し。
ネットで検索すると色々出てきますね。
お金に対する執着や人に対する執着。
執着している事は本人にとっても苦しい事なのでそれを手放して楽になりたいと皆さん考えられるのでしょう。
この執着とは言い換えれば自意識、自尊心とも言えるかもしれません。
自分に注目してほしい、自分が一番でありたい、人よりも抜きん出ていたい。
結局は他人なんかより自分。
他人なんかどうでもいい、自分さえ輝いていれば。
という事になります。
これをツインレイ(カルマ付きツインソウル)や苦しい恋愛に悩まれている方に当てはめてみると、
とにかく自分が安心できるように振る舞え、不安がらせる相手が悪いと自分勝手に思っている状態です。
また、不倫関係であれば相手の奥様や自分の夫の気持ちなど無視して本当に私のことが好きなら早く別れてよと自分勝手に思うこと。
いつ別れるの?いつまでこのままなの?
とにかく自分自分なのです。
そこに他人を思いやる気持ちは皆無です。
彼への執着を手放すために自分の時間を充実させる、次に会った時のために美容やオシャレに力を入れるとかそんな表面的なことでは自我の手放しはできないのです。
結局はそれすら自分のことしか見ていない。
自分自分自分、もっと私を見て見て見て!
この人たちはどこまでお子ちゃまなのでしょう。
自分自分の人は結局周りから嫌われ同じ穴の狢とつるむ事になります。
視野が狭くなり何が正しい事か分からなくなる。
ツインレイという言葉は不倫の免罪符にはならないのです。
自我の手放しとは自分以外の誰かを思いやり輝かせること。
本当の自我の手放しをしたいのなら自意識過剰な自分を捨て人のために生きることです。
みんなが心地いいように、みんなが輝けるように。
人のために生きると結局は自分が周りから大切にされ輝きだすのです。
仏教の言葉に「渇愛」というものがあります。
これは砂漠の中で喉が渇いたから水をちょうだい、もっとちょうだいと、そしていくら水を飲んでも喉の渇きは癒やされない思うのと同じように、
もっと愛してもっと愛してと愛される事に執着していること。
愛して愛してと思っているうちはどんなに愛されていても満たされることがないのです。
逆に自ら人に愛を与えれば泉のように枯れることなく湧き上がってくるものなのです。
いくらでも愛を与えられます。
たとえそれが不倫相手の奥様であったとしてもです(これは彼の面倒を見てくれてありがとうなどと思うのではなく、奥様の幸せを願ってあなたが身を引くという事です)。
そして自分の心も満たされる。
自己中で自意識過剰な自分を手放し人のことを一番に思いやる事でそんな自分を誇りに思うことができるでしょう。
これが本当の自我の手放しです。