今回はスピリチュアル的にみる死刑制度についてお話ししていきます。
被害者の心情を思いやれば加害者には死をもって償わせるべきだと考える人は多いでしょう。
しかしこれがスピリチュアル的にみると、
魂界のルールに則ってみると、
全くの大間違いであることが分かります。
何よりも一番に伝えるべきことは
人間如きが人間の魂を好きにしていいルールは無い、ということです。
人間が裁かなくとも神により裁かれるのです。
これは宗教の話ではありません。
カルマの記事で何度もお話ししていますが、
無差別殺人や強盗殺人など魂の縁のない人を殺せば魂は消滅となります。
それが魂の縁のある人であった場合はカルマとなり逆の立場で苦しめられるようになっているのです。
人間が死刑で裁かなくとも魂は消滅させられるのです。
人間が死刑で裁かなくとも地獄+来世のカルマで100年に渡り苦しめられるのです。
もちろん犯人追跡の目から逃げおおせたとしても、時効を迎えたとしても罪が消えることはなくその償いは別の形でさせられるのです。
また魂の縁のない人を殺した場合は魂が消滅するとお伝えしていますが
そのルールにより死刑を実行する人の魂も消滅してしまうのです。
かなり特殊な職業なのでその職業に就くために生まれた魂は消滅すると分かっていて生まれてきているとは思いますが。
それでも、
そのような消滅はあってはならないことだと思います。
ここからは死刑にまつわる心の在り方についてお話ししていきます。
被害者の加害者への心情としては殺しても殺したりない、同じ苦しみを味合わせてやりたい。
そのように思われる方が多いと想像がつきます。
しかし死刑判決がくだることを望み犯人を憎しみ続けることにも物凄いエネルギーを必要とします。
私たちがすべき事は憎しみを燃料に死を望むことではありません。
私たちがすべき事は「赦す」事です。
それは犯人のためではなく自分たちのために「赦す」のです。
松本サリン事件で冤罪被害に遭われた河野さんのインタビュー記事をお読みください。
ここに全てが書かれています。
精神性が高いとはまさにこの方のことを表す言葉です。
特に当事者でもないのに死刑制度賛成、加害者は死んで当然と声高に唱える人。
大勢で正義の棍棒を振り回しストレス発散する事は精神性の高い人がすることではありません。
「人は間違うものだ」
だからこそ魂界のルールがありカルマがあるのです。