Happy life

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2015.11.22 結婚
2016.2.3~ハネムーン&妊活解禁
2016.9~ 不妊治療開始

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2月22日で娘は生後1カ月を迎えました。


あっという間に毎日が過ぎ去ってしまっていたので投稿が遅くなってしまいました。


退院してからは、会陰切開とお腹の傷もまだ痛んでいたので痛み止めの内服でコントロールしながら2週間ほどでお薬飲まずに過ごせるようになりました。


その間にみるみると体重は落ちて、あっという間に妊娠前の体重に戻ったのですが、、体重は落ちても体型は変わってしまったのが悲しい現実。ピッタリデニムが腰で引っかかって入らなくなっていました…

生後7日目、退院した次の日に、仕事帰りに主人がお七夜のお祝いの鯛とお惣菜を買ってきてくれました。


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こんなに立派な鯛が注文しなくて店頭で買えるなんて!天下の伊勢丹様はさすがです✨

仕事帰りに私が食べたいと言っていた鈴懸のいちご大福を買うために伊勢丹へ行ってくれたそう。

ありがたい‼️私は身なりを整える余裕さえなく、すっぴんパジャマで円座クッションに座りながら美味しいいちご大福を頬張りました🍓

私の場合、実の両親が近くに住んでいるとはいえ2人とも仕事をしているのでお手伝いにきてくれることは難しく、週末こちらが実家に帰ってご飯食べて帰ってくるスタイルでした。義母は静岡で祖母の体調不良が続いてこちらに来られず。。
不満もありましたが、もう開き直るしかなく…

そんな話をお友達にしていたら、この1ヶ月間の平日は、お友達がご飯を作りにきてくれたり、ランチを買ってきてくれてうちで食べたりしながら、家事を手抜きさせてもらいすごく救われました。


夜2時から3時台の授乳があるので、それに1時間以上かかるとどうしても日中眠たくなってしまい、頭も回らず身の回りのことがおっくうになってしまうので、

ご飯だけでも作ってもらえたり買ってきてもらえるとかなりありがたかったです。

でも毎回お友達にお願いするのは申し訳ないので、教えてもらったドゥーラさんを依頼して、週に1回来ていただきました。

ドゥーラさんには、お弁当にもなりそうなおかずやお夕飯など1週間分作っていただき、私の母乳に良さそうなメニューをその場で考えてくれてました。

自分の食事を誰かに作ってもらう機会ってなかなかないので、根菜類やタンパク質をふんだんに使った煮物やお味噌汁、おひたしなど、これまで自分の味付けがいかに濃いかを思い知られて我が家の食卓に変革をもたらすいいきっかけになりました。


主人が作ってくれたりもするのですが、麻婆豆腐、カレー、ハッシュドビーフなどのザ・男飯‼️なので、、スパイシーなものや香辛料の入った刺激物はあまり良くないみたいょ、、とプライドを傷つけないようにやんわりと伝えたら、それからは健康的なお弁当を買って来てくれるようになりました。笑


さて、娘はというと、母乳とミルクの混合にしています。オペ後母乳の出が遅くて不安が残るまま退院したので、退院後4日目と10日目に母乳外来へ行きました。退院後4日目の母乳外来では、体重が4日間で18gしか増えておらず、助産師さんからミルク強化週間の勧告を受けたのでミルクを盛り盛りしたら10日目の外来では増えすぎていてミルクを減らしていく方向に。この母乳とミルクの量のバランスにかなり悩みました。母乳が出て来ているから母乳の回数を増やしていきたかったのですが直母乳の回数を増やすと乳首が痛くなってしまい、回数が増えるごとにヒリヒリして毎回恐る恐る咥えさせることになるので、毎回搾母乳をしてあげていました。搾乳するとあげる量もわかるので1日トータル量を確保できてるかどうかの目安になるのですが、直母乳だと飲んだ量がわからず、そのまま寝てしまうこともあるので足りているのか心配になります。

そんなこんなやってこの1ヶ月、毎日授乳ノートとにらめっこしていたら1日が終わる…という毎日だったので、お友達が来てくれたりドゥーラさんが来てくれたり話し相手がいることが何よりも嬉しかったのです。笑


そして、1カ月健診は平日だったので夫も休めず、お友達が付き添ってくれました。
広尾の愛育クリニックだったので健診前にランチをクリスプサラダワークスで食べました。はじめての外出ランチがクリスプサラダワークスだなんて、オシャレ〜✨
無事に終わって、外出許可も入浴許可も貰えましたニコニコよかったね💛


1カ月、無事に元気で育ってくれてありがとう。

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私たちのもとに産まれてきてくれて、ありがとう。


我が子は私の体調を気遣うようにとてもよく寝て元気いっぱいな親孝行な子です。


子育てさせてもらえることに感謝だなー。



でもいつか…

この子が大きくなったら、弟か妹が欲しいと言うかもしれない。

まま友とのお付き合いの中で、2人目の話題を振られるかもしれない。


その度に、少し心が痛むかもしれないけど、


「命を救ってもらえて今生きていること以外に欲を言ってはいけないよ。助かったこと自体が奇跡なんだから」


と父に言われた言葉通り


生きていることに感謝して、
子育てさせてもらえることに感謝する気持ちをわすれずに


我が子を大切に育てていきたいと思います。




ここからは、リアルコウノドリの世界。


これから出産を控えている方には恐怖感を与えかねないので読むのをお勧めしませんが、、


自己責任でお願いします🙌



無事に産まれて、次は胎盤を出して…ってところまでは良かったのだけど、


子宮収縮がなかなか起きず胎盤を剥がした際に


出血が止まらなくなってしまい


出血源がわからなくて


何度かガーゼを詰めたり結紮したりしてましたが


それでも出血源を押さえてる手を離すとジョボジョボと流れ出る血…


麻酔のない状態での結紮やいろいろな処置はそれはそれは痛くて、出産し終わったのに産んだあとの方が痛い。とさえも感じた。


そして


あれ、おかしいな。


顔面から血の気がサーって引いていく。


あ、これヤバイやつだ。


輸血しないと死ぬやつだ。


コウノドリ最終回がよぎる。


あれよあれよとスタッフたちが集まってきて、


下半身は出血源を探るのに試行錯誤してて


上半身はルート取ったり血圧測ったりでわちゃわちゃ。


でももう抹消血管潰れてて何度か刺し直される…


いや、でも痛いとか言ってる場合じゃないから助けてください…


血圧が50台まで下がって、昇圧剤入れて頭低くしてなんとか90台をキープ。


口には酸素10Lマスク。


でもここで思いもよらぬ一言。


「輸血4単位しかありません!!」


ぇ!?病院なのにストック4単位しかないんですか?足りないよ、死ぬよーーー


私の身体はもうショック状態で、全身震えが止まらなくなっていました。


とりあえずあるぶんの輸血を入れたいのに、


まだ解凍できなかったりして


急いで解凍した輸血はドリップ全開では間に合わず


シリンジで吸って手押しで注入していました。


そして、輸血が足りないので別の病院に搬送することになり


でもなかなかその搬送先の病院が決まらなくて


なんとか受け入れてくれることになった先は聖路加国際病院でした。


救急車はすぐに来てくれたものの、


22日は53年ぶりの大寒波が訪れた大雪の日。


車はみんなゆっくり運転していて


救急車でさえも止まったりしながらゆっくり運転でした。

救急車の中でわたしは、もう輸血も使い切って、下からは出血してるし、間に合わないかも…


そう思って、救急車に同乗してくれた母には


「もしものときは、赤ちゃんをよろしくね。」


と言ってしまいました。


出血が止まらなかったら、子宮を摘出するかもしれないと言われ、


今後の妊娠が望めずひとりっ子になってしまうことや、夫に申し訳ない気持ちもありましたが、
冗談抜きで失血死がよぎったので


ほかに方法がなく、命の危険があるのならば、子宮を摘出するのは仕方がないね、と母と話しました。

その判断は案外、冷静だったかもしれません。


救急車から病院に着いたとき、私は意識だけは落ちなかったので


上からしんしんと降る雪を見上げたのを覚えています。


そして、救急車を追いかけて来てくれようとした家族はこれまた大変で、


タクシーがみんな夕方で上がってしまって10社ほど電話しても捕まらなかったそうです。

唯一繋がったのが登録していた陣痛タクシーだったのです。



救命救急センターに着いたら、お部屋に入れないくらいの大勢のドクターが対応してくださいました。


あとから聞いた話ですが、この日はカンファレンスがあり皆ドクターたちが残っていたので産科、麻酔科、救命、の先生方がフル装備で対応できたそうです。


とてもラッキーでした。


そして、産科のドクターが子宮を残すことも選択肢として塞栓術も試みてくださったそうですが、


それでも出血が止まらなかったため、子宮摘出せざるを得なかったそうです。


とにかく最後まで意識だけは落ちなかったので、


動脈血のルート確保や鼠径部からの血管造影など


痛い痛い。早く全身麻酔に切り替えてくれー!


と心の中で叫んでいました。笑


そして、そのあと全身麻酔に切り替わり、目が覚めたらICUで呼吸器に繋がれていました。


はぁ、生きている。


命救ってくれたんだ。


感謝だ、生かしてくれてありがとう。




17時05分に赤ちゃんが産まれ、

その後わちゃわちゃして搬送されて

オペが開始されたのが20時すぎ

オペ後、家族が説明を受けたのが次の日の1時半だったそう。


私が目を覚ましたのは2時半でした。


オペが終わって私の顔を見るまで、家族はずっと待っててくれていたそうです。


何より1番近くにいてくれた母が、


オペ後「生きてる…!」と家族に漏らしたのは


病状を誰よりも理解していたからこそなのだと思います。


インフルエンザで自宅療養していた父も、私のオペが終わるまで起きていてくれたみたい。


23日の朝、私は抜管してもらって、呼吸器が外れ、気道浮腫があり声が出せなかったけれど、その後家族とも面会することができ、


生きていることへの感謝の気持ち

支えてくれた家族への感謝の気持ち

懸命に命を救ってくれたスタッフの皆さんに感謝の気持ちが湧き上がりました。


子宮はなくなったけど、卵巣は残してくださり、

子どもは産めないけど、女性ホルモンは出せるみたい。


失ったものは大きいけれど、


無事に産まれてきてくれた娘の誕生の喜びの方が大きいので、


前向きに!


これから大切に育てていきたいと思います。


読んでくださりありがとうございます。


これから出産を迎えられる方にはかなり衝撃的な記事になってしまいましたが


子宮摘出までする例はまれで、年に1例あるかないか。


人生はどう転ぶかわかりませんね。



これからご出産される方々、無事の安産を心から願います!!






















破水から始まったのでそのまま入院となったのですが、なかなか本陣痛が来なくて


痛みもなく破水だけがチョロチョロと動くたびに起こる程度で日曜日が過ぎて行きました。


このままだと羊水なくなっちゃうよー!


24時間以内に出さなくて大丈夫なのー?


と心配になる自分もいましたが、


月曜日の朝7時にLDR室に移動して促進剤を使用することに。


朝移動してから朝食を取った後、促進剤のアトニン12ml/hからスタート。


人によって効き方が違うから、様子を見ながら量を上げていくそう。


30分ごとに倍量に上がっていくアトニン。


それに比例して陣痛がコンスタントに来るように。


12時には10分間隔、15時頃には2-3分間隔に。


助産師さんが循環を良くするために足湯をしてくれたり


てるてる坊主にアロマオイルを垂らして胸元に付けてくれたりしてリラックスできる環境を作ってくださいました。


陣痛が来るたびに

キタキタキタキター!といって交代で主人と母に腰を押してもらったり肛門をテニスボールで押さえてもらったりしました。


座っているよりも立っていたり前かがみの姿勢になっていたほうが楽だったな。


そして、16時前頃に院長の安達先生が来てくれて、子宮口がなかなか開かないので手でアシストしてくださり


これで1時間は早まるから!と言ってくださいました。


先生の見立てでは17時頃には産まれるとのことで、


それまではいきみ逃しに必死に耐え、


16時半頃からいきむ練習をして


イザ分娩!!!


もういきめる!と思ったらありったけの力を振り絞るに尽きるのですが、


これで脳出血した人見たことあるから少し抑えてる自分もいて、


でも先生と助産師さんにもう一回!とかって促されながら


誰か肛門押さえててとは言えない環境になってしまい


力いっぱい振り絞りました。


頭も肩も引っかかったけれど、無事に大きな大きな3642gの女の子が産まれてきてくれました。


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大きいからか、産声も力強くて、元気に産まれてきてくれたことに感謝しかありませんでした。




さて。このあとからが大変でした。


続く…