先日わたしの文章が冊子に載りました。
大学時代の先輩に紹介され、書いてみました。
だだ自分の半生を綴ったものです。
長いのですが読んでいただきたいです。



生きていくということ

91年秋1キログラムに満たない体重でこの世に生まれたわたしは、後に脳性麻痺という障がいを背負って人生を歩むことになります。

 強い願い

出生時から色々と大変で、もしかしたらお腹の赤ちゃんを諦めなければならないとまで言われていたみたいですが、母は絶対諦めたくない動いている赤ちゃんをどうして殺せることができるのか、その思いが大きすぎたと言っていました。
父は母子ともに危ない状況になるのであればお腹の赤ちゃんを諦めた方が良いと周りから言われて右往左往それでも、両方助けたいと言う思いでいたといいます。
この2人の思いを受けて私はこの世に生まれてきました。


絶望しか… 

高さ1メートルから見える景色は時に残酷でしかなく、振り返ってみると、しなくていい経験ばかりしていた気がします。
イジメ、虐待、暴力、手紙事件。
集団生活を送るようになってから、教育現場、支援先で重く辛い日々が待っていました。
皆さんは【学校生活】をどのように感じていますか?
わたしは学校生活は勉強と遊びの場だと思っていたのですが、私は勉強も遊びの時間もいつしかイジメ、虐待を受け耐え続けるという時間の方が大きかった気がします。
耐え続ける日々が続き、気付いた時には心はぼろぼろで周りの同年代の子たちが眩しいくらいに私の心の色は真っ黒に。
今振り返ると、なんでなの?というくだらない理由ばかりで痛くて重い出来事達に苦笑してそして自分自身にお疲れ様と労わることが出来る。
でもその最中は、必死で立ち向かってはぼろぼろになっての繰り返し、
どうにか光を見つけたくてでも見つからなくて…
だから無理に立ち向かうのも放棄してぼろぼろのままでいいや!と
時が経つのを暗闇の中で 蹲って待っていると、光が射す。その一部始終に一喜一憂をするけれど何か物足りなくて。
ある時、気がついたんです。
『ああ、私は楽しいこと経験してないな』
それは女の子だったら誰しもが経験する事。学校生活の中でもしたかったけど出来なかった。
おしゃれに、女子トークに、買い物に、恋愛…
だけど夢中にはなれなかったのです。
夢中になる前に、立ちはだかる自分の現実。
あの頃は立ちはだかる様々な出来事に上手く対応できずに真正面から受け止めていました。
受け止め過ぎて体へのダメージも勿論ありましたが心へのダメージの方が強く幼い頃に思い描いていた人生とは程遠い。 
どんなに乗り越えても私を赦してはくれない現実に、絶望しか感じなくなっていく見えなくなっていく。

そんな風にしか思えなくなる私が私自身が嫌いになっていました。
嫌いになり過ぎて訳わからない日々が続いていく。
その間に何度の試練が待ち受けていたのかなと思い出してもキリがないくらいです。

目指す人生の指針

高校に行って大学に行って仕事をしてと、そんな風に思い描いていた未来が何度もゼロになる。
そのうち、生きていく道が見つからなくて小さな希望の光も見えなくて、わたしの人生は障がいのせいで狂ってしまったと何度も何度も思ってしまいました。
悔しいことに、持って行き場のない憤り・感情を全て自分で抱えて無理矢理オブラートに包んで飲み込んで。
そうしないと立っていられないから…
自分の中に潜んである狂気を偽りの言葉で誤魔化してはやり過ごす。
そうしているうちに私の中での想いや言葉が全て綺麗事のように思えてきてしまい言葉を話すことがより一層苦手になっていきました。
誰かに頼りたくてすがりたくて…そうした思いとは裏腹に人は通り過ぎていく。
結局、最後まで頼れるのは自分だけだと思い知らされるのです。
沢山の言葉や想いをやり過ごして来たとしても、その先の一歩を諦めずに踏み出すことを止めませんでした。
だって、わたしの人生必ずどこかに光が射すと想いたかったから。
「そうじゃないとあまりにも不公平。」
その想いだけがわたしを強く支えていました。
押し寄せてくる巨大な壁の波に必死に抵抗して覚悟を持って一歩を踏み出すけれど、目の前に広がる試練という壁はそう簡単には乗り越えることを許してはくれなくて。
学校現場で体験した、介助員からの虐待も同級生からのイジメも教員からの手紙という形での人権侵害も。
そして障害者就労支援作業所での施設長からの行き過ぎた暴力も。
この出来事全て命がけで闘いました。
頑張って頑張り過ぎて次第に体が言うことを聞いてくれなくなり精神疾患にまでなりました。
精神疾患になってからの歳月は途轍もなく長く苦しい年月。
クリニックで「あなたはPTSD心的外傷後ストレス障害です。」と主治医に診断されてから、今年で10年が経ちます。この10年病状は良くなったり悪くなったりを繰り返しPTSDから併発した病気も。
毎食後に飲むお薬をみて感じること発作が出るごとに感じることは同じです。
「いつになったら病から解放されるのか。」
お願いだから、もうやめて。
わたしは車いすという高さ1メートルで生きるだけで精一杯。
だけど現実は…違います。
背負っている重荷が、背負わされてる苦い記憶が傷がわたしには重たすぎて、生きていくことすら放棄したい時がこの10年の間幾度となくありました。
祖父が遺してくれた言葉を、両親の想いを無駄にしようとしたことも幾度となくあります。
赤の他人に傷付けられて死ぬくらいなら、自分で自分を傷付けて人生を終わりにした方が何倍も救われる。という間違いだらけの思考に取り憑かれて傷付けた日々も…正直ありました。
不思議なことに体に傷をつけてから自分の存在を改めて感じ呼吸をしていることに気付くのです。

滴り落ちる涙共に…

情け無いことに死ぬのも怖いと思い知らされ、だったら自分で全てを、苦くて痛くて重い過去も受け入れて全部を抱えて生きていくということを長い時間をかけて覚悟をしていったように思います。
一度覚悟を決めたことでもそれを貫くのは容易いことではないと痛感し、何度歩みを止めて引き返そうと思ったか。
覚悟する事が大きすぎて、もう背負えないよ!と泣いたり嘆いたりした事も幾度となくありました。
だけど、誰もわたしの人生を代わって歩いてくれません。
自分の人生は自分で歩かないといけないから、いくら辛くても悲しくてもきちんとした足どりで確かな一歩を踏むことが大切だと覚悟をし直しながら歩いていく。

あの時に「もし」だとか、「こうしたら良かった」と振り返り思い巡らすこともあるけれどあの時の対処法はあれが精一杯で、どうにか命を保つことが最優先。
これがわたしの「生きていくということ」だとようやく思えています。
これから先も、色々迷うこと自分を見失うこともあると思います。
だけど命を大切に、「生きていくということを」を止めることなく歩いていきたいです。