夏に根腐れしそうになってた
インパチェンスが復活して、また咲いている!(≡^∇^≡)
11月の霜の降るまで元気に咲いてくれると思う!
聖書の野の花についての有名な句。
「きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、
神はこのように装って下さるのなら、
あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。」
(マタイによる福音書6章30節)
私達は花のように、愛され生かされながら、
祝福をまわりに与えていくような存在として造られていると思う。
花というのは、きれいに鮮やかに咲いて、
人がそれを見るだけで清々しく感じたり、励まされる存在だ。
そしてこの聖句は、私達はもっと花より大切な存在だと言っている。
誰でも他の人にとって、大きくても小さくても助け手、
祝福となれる要素を持っているのに、でも、
なにか利己心、もっと認められたいとか、自分を高める欲求によって、
祝福を発するチャンスが「ふさがれて」しまっている!
自由に流れる祝福となれるのに、
それを堰き止めてしまう…、
「ふさがっている」ことを意識しないで生きてしまう…、
神様を知らない生き方とはそういうものではないだろうか!
でも、自分達は価値ある特別な方に愛されていると思っても、
実際はねたみや嫉妬または劣等感が働いて、
「相手に負けないぞ!私の方がずっとよく出来るんだから!」って
自分の価値を見せようとするのが、私たち人間の現実!
だから、自分を人を知りさらに上を行くのは、神を知ること!」
自分を知ることは、自分を愛して止まない神が
なにを意図して自分を作られたかを知ること!
どうすれば自分の得意分野が人の助けになれるか?
誰もに与えられたそんな分野!
聖書は、私たちは「意味と目的」を持ってデザインされたと語る。
先日、知り合いの大学生が人と比べて悩んでいたらしくて、
下のこの解釈を話してあげたら
「救われた!僕なりでいいんだね。」って満円の笑みを返してくれた!
『ウサギとカメ』
うん、耳タコ話しでも、この解釈は真理をついている!
「うさぎとかめのお話で、
なぜ かめが 勝ったのか?
それは、見ているものが違ったから。
うさぎは かめを見ていた。
かめは ゴールを見ていた。
ひとと比べることが当たり前の世の中では、
うさぎさんになりがち!
かめは、自分の目指すゴールを見据えて全力で走った
うさぎなんぞ眼中になかった・・!」
全文はフェイスブックの「ひと・こころ塾」
で。
何のために生まれて、何をして生きるのか~!
神のくれた「意味と目的」
そんな動かない自分の軸を見つけるが勝ち!
それを『人からしてほしいように、他の人にする!』
それは神様との関係でしか見つからない、育まれない!!
世界が「聖書」を読んでいるのに、私も読まずにおれようか!
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