eltanmacknan1980のブログ

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夏に根腐れしそうになってた インパチェンスが復活して、また咲いている!(≡^∇^≡) 11月の霜の降るまで元気に咲いてくれると思う! 聖書の野の花についての有名な句。 「きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、 神はこのように装って下さるのなら、 あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。」 (マタイによる福音書6章30節) 私達は花のように、愛され生かされながら、 祝福をまわりに与えていくような存在として造られていると思う。 花というのは、きれいに鮮やかに咲いて、 人がそれを見るだけで清々しく感じたり、励まされる存在だ。 そしてこの聖句は、私達はもっと花より大切な存在だと言っている。 誰でも他の人にとって、大きくても小さくても助け手、 祝福となれる要素を持っているのに、でも、 なにか利己心、もっと認められたいとか、自分を高める欲求によって、 祝福を発するチャンスが「ふさがれて」しまっている! 自由に流れる祝福となれるのに、 それを堰き止めてしまう…、 「ふさがっている」ことを意識しないで生きてしまう…、 神様を知らない生き方とはそういうものではないだろうか! でも、自分達は価値ある特別な方に愛されていると思っても、 実際はねたみや嫉妬または劣等感が働いて、 「相手に負けないぞ!私の方がずっとよく出来るんだから!」って 自分の価値を見せようとするのが、私たち人間の現実! だから、自分を人を知りさらに上を行くのは、神を知ること!」 自分を知ることは、自分を愛して止まない神が なにを意図して自分を作られたかを知ること! どうすれば自分の得意分野が人の助けになれるか? 誰もに与えられたそんな分野! 聖書は、私たちは「意味と目的」を持ってデザインされたと語る。 先日、知り合いの大学生が人と比べて悩んでいたらしくて、 下のこの解釈を話してあげたら 「救われた!僕なりでいいんだね。」って満円の笑みを返してくれた! 『ウサギとカメ』 うん、耳タコ話しでも、この解釈は真理をついている! 「うさぎとかめのお話で、 なぜ かめが 勝ったのか? それは、見ているものが違ったから。 うさぎは かめを見ていた。 かめは ゴールを見ていた。 ひとと比べることが当たり前の世の中では、 うさぎさんになりがち! かめは、自分の目指すゴールを見据えて全力で走った うさぎなんぞ眼中になかった・・!」 全文はフェイスブックの「ひと・こころ塾」 で。 何のために生まれて、何をして生きるのか~! 神のくれた「意味と目的」 そんな動かない自分の軸を見つけるが勝ち! それを『人からしてほしいように、他の人にする!』 それは神様との関係でしか見つからない、育まれない!! 世界が「聖書」を読んでいるのに、私も読まずにおれようか! ...