キョウコです![]()
セッションしていると
自分の記憶とお母さんの記憶が
全く違った!!ということが
意外にも多くあるのですが、
今日はその理由について
お話したいなと思います!!
めちゃストレートにお伝えすると
まず、記憶になる前の段階で
その出来事についての捉え方が
人それぞれ違うので、
起きた出来事をそれぞれの人に
説明してもらうと
少し違った感じになります。
これ、
意識できるのは、
起きた出来事は同じで
人により、出来事に対する
解釈が違うのかもなというのは
想像できると思うのですが、
実はそれだけではありません。
解釈に入る前に
脳が重要と判断するものが
人それぞれ違います。
人には
感覚の受容器(感覚を受け取る器官)があり、
その情報が体の色々を通って
脳に届けられるのですが、
(どんな感覚かによりどんな経路を通るかも
違うのですが、ここでは割愛!)
受け取る情報の全てを
脳が「あるもの」として
情報処理するのではなくて、
取捨選択をしています。
例えば、
もし今携帯を持ち上げながら
椅子に座ってこのブログを
読んでいるとします。
きっとあなたは
私の記事を読みながら
色々想像して考えて
読んでくださっていると思います。
携帯の重みを感じている方も
いると思います。
では、
携帯の温度については感じていますか?
携帯の質感についてはどうでしょうか?
座っている椅子とお尻が
どのくらい接しているか、
どのくらいの圧力か、
ザラザラしているのか、
ツルツルなのか、
感じているでしょうか?
自分の膝がどのくらい曲がっていて、
足が床にどのくらいくっついていて、
何分くらいくっついているか
感じているでしょうか?
きっと、
感じてはいるけれど、
そこまで意識に登ってはいない
(言われるまでは気にしていなかった)
のではないでしょうか?
それもそのはず。
全ての受け取った感覚や情報を
全て「あるもの」として
意識に上げると大ごとだからです。
全てを意識に上げると
エネルギーを莫大に消費して
餓死してしまうとも
言われています。
だから、
不要な感覚や情報は
脳に届いてはいるけれど
わざわざ意識にあげないように
(認識させないように)
脳が取捨選択しているんです。
それが感覚以外でも起こっています。
同じ出来事を経験しても
人それぞれ
その情報を脳があるものとして
選択することもあれば
大して重要な情報ではないと
意識に上げないこともあるので
同じ経験をしているのに
見えたものが違う
(=目では捉えているけれど、
認識しているものが違う)
ということが起こります。
認識したものが違うのに
そこからまた
人それぞれ自分の思考や価値観の
フィルターを通して
それを解釈するので、
もう全く違った経験に
なってしまうことがよくあります😂
誰が悪いとか、
思いやりが足りないとか、
想像力が足りないとか、
ではなく、、
もう、人それぞれ
見えるもの(認識するもの)も
感じ方も
事実と思っていることも
異なるのが当たり前なんですよね!
これを知っておくだけで、
両親は、
私のことが大切じゃないから
覚えていないのでは?
パートナーは私を愛していないから
こんなこともわからないのでは?と
思うことが少なくなるかなと思います。
いつもより少し専門的な
人間の面白さ、
伝わったら嬉しいです![]()
![]()
(噛み砕き過ぎているので
実際と少しニュアンスの違う表現も
含まれます🙏)
