礼拝説教のメモの要約

ルカの福音書 12章1-7節「あなたは神様に覚えられる高価な存在」

はじめに

偏った説教への注意と福音の重要性
最近、偏った説教が増えているため、福音から逸脱しないよう注意が必要です。説教はあくまで福音に留まるべきです。

自己価値の認識と偽善の警告
私たちはしばしば、学歴や成績、SNSでの評価など、世俗的な基準で自分の価値を測りがちです。これにより、日本人の幸福度は低い傾向にあり、感情によって自己価値を低く見積もってしまうことがあります。

イエスはパリサイ人の「パン種」つまり偽善について警告しました。
彼らは人前で尊敬を集めながら陰で人を貶める演技をしていました。私たちは、偉ぶったり、人に対して厳しく当たったりするなど、偽善者のように振る舞っていないか自己吟味する必要があります。
真の教えは、自分自身を愛し、隣人を愛することです。

イエスの十字架と罪の悔い改め
パリサイ人たちは激しい敵意を抱き、イエスを貶め、罠にかけようとしました。しかし、イエス・キリストの十字架は、彼らの罪を明らかにしました。
使徒の働き2章22-24節、31節に記されているように、人々がイエスを十字架につけたことが指摘されると、彼らは罪を認め、悔い改めてイエスを信じました。
これは、イエスが私たちの罪を赦すために十字架につけられたことを示しており、私たちはこの十字架から目を背けることはできません。

ゲヘナと神の愛
イエスは律法学者たちの信仰生活が偽善であり、罪のパン種であると指摘しました。「ゲヘナ」とは、神に見捨てられることを意味する言葉です。イエスは、私たちがゲヘナに投げ込まれることがないよう、神に捨てられ、十字架につけられ、ゲヘナに投げ込まれるという想像を絶する恐怖を味わわれました(マタイ27:45)。
その絶叫「エリ エリ サバクタニ(わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか)」は、イエスの深い苦しみ、孤独、そして神に捨てられたことを表しています。

あなたは神にとって価値のある存在
イエスは、「体は殺しても、魂を殺すことのできない者たちを恐れてはならない。むしろ、魂も体もゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい」と教えました。
神は5羽の雀や私たちの髪の毛一本に至るまで覚えておられます。イエスは弟子たちを「わたしの友」と呼びましたが、彼らはイエスを見捨てて逃げました。それでも、神はあなたを「高価な存在」として生かしてくださいます。

この神の深い愛と、友のために命を捨てるほどの大きな愛(ヨハネ15:13)を示された神をこそ恐れるべきであり、死を恐れる必要はありません。

この説教は、私たちの自己価値の認識、偽善への警告、イエスの十字架の意味、そして神の計り知れない愛について深く考えさせる内容となっています。