しゃくさんのTwitterで
”シルク織物職人。最後の言葉”を知りました
泣けて仕方なかったけれど
他にも沢山、色んなエピソードが
あったんですね
「日本製」にも繋がる想い
春馬くんが知ったら、きっと尋ねたに
違いないな・・・
しゃく
@shakunone
㈱笏本縫製の代表取締役。ちいさな町工場3代目。何者でもなかった僕の経験だからこそ、きっと毎日の発信をとおして、誰かの背中を押せるはず。
ブランド70%になった自社新作みたいです

”シルク織物職人。最後の言葉”
これを伝えることには意味があります
無名の町工場が「ブランドを作る」と
言った時。笑わず力を貸してくれた
最初のシルク織物の職人さんなんです
(2022/9/30)に工場を閉鎖されました


工場を閉鎖するいよいよその時がきた。 職人になって構えて30年。大半が「命を削る」ような日々だった。ここ数年は家に帰ることが恐ろしかたった。 そのくらい 「何かしなきゃ・・・」 と何かに追われていた。生き残りをかけて設備を整え、 多品種小ロットの生産を可能にした。 これは自分の夢でもあったし、全てを賭けてもやりとげたかったし、 それが実現できる環境だった。
しかし、時代は変わった。 クールビズ。リーマンショック。 そして、 当時のメインのクライアントのお家騒動。立て続けに信じられないような事態に直面。 それに加え、まとまった生産ロットのある仕事はコストの安い中国製に変わっていった。 さらに、追い打ちをかけるように物価の高騰。 思い返せば、 平成7年に最初の工場の増築と織機の導入から今まで、 投資額は3億を超えている。
顧客の新規開拓。 納品の単価を上げる交渉。 人件費を削る。とにかくできることは何でもした。 ゼロから銀行との話し合いを何度も重ね、 経営計画のや返済計画も立て直した。それでも国金の返済利息の支払いを怠り、 気が付いたら支店から 「回収専門部署」に回された。払いたいのに、払うためのお金が無い。 悔しく、情けなかった。頭の中の半分は「いかに借金を返済をするか」だけだった。
それでも自分の生命保険と、 残された工場を処分すれば何とか家族だけは守れると真剣に思っていた。自分の生命保険どころか、 子供たちの学資保険も解約しちゃってたし。私が死んで残せるのは香典くらい。たぶん「最悪の終わり方」 を覚悟していたのかもしれない。書き出せば終わらない。 あっという間の時間だったし、必死過ぎて記憶もあいまいな部分があるがこの工場で1人 「終わらせる」 ことばかりを考えていた。人で何とかしようと、工場のスタッフを解雇し、 途方に暮れてからの方が時間が長くなったころ。急に舞い込んできたスポットの仕事の対応に困った。力を貸してくれたのは、むかし私自身が解雇した元工場長。久しぶりに2人きりで夜中まで工場を回したんだよな。あの時はまた頑張れるかもしれないと希望を抱いていたが、 それ以上に糸値が高騰した。さらに息の根を止めるようにやってきたコロナ。最終的に心が折れた。 働く理由がまるで分らなくなった。
いい商品を作ることが何よりの正義だと証明したかった職人人生。すべては自分の判断や決断の結果で自業自得だ。 変化に対応できず時代に淘汰されだけだ。そう言われればそれまでのこと。 ぐうの音も出ないし、 そのとおりだと思う。工場を畳むという、 死ぬよりも辛い決断をしている職人たちがいる。
私と同じか、それ以上にもがいてる人たちがいる。 まだまだ日本には1度失うと2度と取り戻せない技術や、繋いでいくべきクリエイティブがある。 無念の想いで諦めていく人たちもいるけれど、その人たちが努力をしていなかったのかと言うと絶対にそんなことはない。きっと不器用ながらに血のションベンがでるような努力をしてきた人たちもいたはずだ。会社が廃業するとか、 倒産するなど、苦しい中でもどこか他人事のように感じていたのかもしれない。
でも、 自分事になって初めてて気づいた。こうやって多くの日本のモノづくりは失われていくのだ。だから、これでもかと精一杯の力で戦ってる人たちに、 私は簡単に努力不足だとは言いたくない。もし業界の一部の人間の気分や、無茶な買い叩きで失われるクリエイティブがあるのなら、それは絶対にあってはってはいけない。まあ、偏屈で小難しい俺だけど、 それでも、 ここまで仕事を続けてこられたのは、たぶんこの仕事が好きだったことと、仕入れ先さんや顧客に恵まれていたことが大きい。よく考えてみれば幸せなことだ。特に最後の最後だと覚悟したこの1年は自分のカッコイイと感じるデザインが広告に採用されたり、旧縁の仲間たちから励ましの声をもらえたり。 クリエイターとして嬉しいことが多かった。
でも、金がないと続けられない現実。理不尽な値下げを要求されたり、 急にハシゴを外されて怒りに震えるような時もあった。反省なんて数えきれないほどあるし、 いまだに許せないようなことだって山ほどある。それでも後悔など微塵もないから不思議なものだ。
ここまで色々な方々が応援してくれたし、自分が目指したもの、 見た夢は正しかったと思っている。
最後はそれだけで十分。
どうもありがとう。
この言葉を読んで、私は胸が苦しくなった。それはおそらく関係値以上に、同じような苦しみや悩みを抱えて一緒に戦ってきた経験があるからだと思います。正直、この文章がすべてで、これについて外野がどうこう言うべきことではないような気もしています。
ただ、どうしても他人事だと聞き流してほしくなくて、こうしてTwitterで発信をしたり、ブログを書いています。
職人さん自身も書いておられますが、命を削るような日々だったのだろうと思いますし、結果的に廃業の決断をせざるを得なかったとしても、それまでに努力をしてなかったから今の結果なのかと言うのは絶対に違うと思うんです。
春馬くんの想い・・・

Twitter&blogより
引用させて頂きました<(_ _)>