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菜の花畑

発達障害を持つ母親として、毎日の生活の中のエピソードをとりとめもなく気まぐれに書きます。

ハナの発達過程に違和感を覚え始めたのは、


1才前後。


首すわりやハイハイ、初歩は人並みだった。


目が合うと、よく笑ってくれた。


食欲も旺盛で、よく寝た。


いないいないバーもキャッキャッと笑ってくれて


愛嬌のある可愛い子だった。


だけど、違和感。


それ以外では、あまりコミュニケーションが感じられない。


今だからある程度、説明出来ることだけど、



意味のある言葉が出る前に、ノンバーバルコミュニケーションと言って


例えば本人と相手(母親の私)との間に何か物体があったとして、


それに興味が沸いた時、本人は「あーあー」とか言いながら、


相手に目線を送り、その後気になる物体に目をやる。


または、それに指差しが入ったり、感情的に訴える眼差しが入ることもある。


そこに意味のある言葉の形成は、ないけれど、


相手を通して伝えたい気持ちは、十分伝わってくる。


発達用語でいう三項関係みたいなの。




娘にはそれが全くなかった。


興味が有れば、人の反応なんてお構いなく、それに向かい


こちらから働きかけて関心を引こうとしても、


興味がなければ、全く無反応。振り払って行ってしまう。


人とのコミュニケーションに全く関心がない。


言葉の遅い子に、周りや保健師さんは


「言葉掛けが少ないからだ。」


「もっと子供と向き合って、楽しく関わって下さい。」


よく言われたけど、当時はもう訳が分からなかった。


娘の事は愛嬌はあったし、とても可愛く思っていた。


一緒に遊び、話しかけ、唄をうたい関わってきた。


同じ年頃の子が母親と楽しそうにやりとりし、おしゃべりも上手になる。


その当たり前の親子関係が、私達にはない。


「子育て下手。母親失格。」の目線を感じる。


だけど、単純にそんな風に思いたくなかった。


そういった順調に子育てしているお母さん達と、自分の子育ては


なんら劣っていないと思った。


だけど何で?何で?が頭の中で迷路に入り込んでいるように


グルグル渦巻いていた。


誰も答をくれなかった。


病院の待合室で。


同じ1歳過ぎの子を持つ親子のやり取りを見た。


母親と子の会話が弾んでいる。


周りもそのやり取りを、微笑ましくほのぼのと見ている。


なんで私達親子にはできないんだろと、ずっと様子を見ていると


母親が、上手に話しかけているというより、


子が母親に働きかけ、言葉や会話、やり取りを引き出している。


別に特別、その母親が関わり上手なわけでもない。


今、思うと、定型発達の子育てなら当たり前の事なのに、


私だってあんな風にやり取りができたら


1日中だって喜んでやっていたい。



だけど、うちの娘は全く関心を示さないし、


こちらから、働きかけても全く無視。


母親の一方的なつぶやき、独り言、空振り状態で


傍で見ている人には、ほのぼのどころか、不自然な親子感。


違和感が漂っていたと思う。




この2組の親子を並べて見たら、


単純に、上手な子育て母と下手くそな母とに分けられるんだろうな


勝手に思わざる得ない当時のつらい自分がいた。


でもハナへの愛情には誰よりも自信を持っていた。


それは卑下しないで、胸を張りたいと思っていた。



当時の、


20年以上前の、発達障害の研究はまだまだ未開に近い状態だった。


どこへ相談に行っても、書物を探しても、誰も答えてくれない。


何も答が出ない。


頭の中でグルグルと迷路が回っていた。