以下、現在私が殆ど克服したとは言え、今も心から残念に思う私の中の学歴厨発動の経緯です。
私の実家家族は7つ離れた兄①、5つ離れた兄②、そして私の三人兄弟です。父親は代々大地主の長男で大正生まれの旧帝大医学部卒。本人は水泳で身体も鍛えて学業も出来たので海軍士官学校に行きたかったそうですが、跡取り故に兵役を恐れ医学部へ行かされました。子が生まれてからは事業を起こし成功。兄①は地頭に恵まれ中受でTK(当時はKK)、校内順位で常に1〜2番、然程苦労しなくても模試では全国首位。大学受験も当然のように現役東大理系で前受けしていた私立K大からは「東大が万一ご縁が無いようでしたらご連絡ください、入学金授業料4年間免除いたします」とまで仰って頂いた。
私は常日頃から「お父さま、お兄ちゃまは本当に凄いのよ。貴方も結婚するなら彼らのように優しくて楽しくてかっこよくて頭の良い人がいいわ。せめて早慶東大卒よ。」などと何かにつけて言われ続けた。まるでそれ以外は残念という価値観が根付いてしまったのは確かである。
私はというと…名門と言われる幼稚園に入り小学校受験をしました。その幼稚園は全員当然のように私立小学校受験をするようなところでしたが、幼い頃の私は余り自我が無く、優秀な兄たちに守られるように育ち可愛がられることを何より居心地よく感じるようなリーダーシップとかとはおよそ無縁な子供でした。そんな私に園長先生は「〇〇さんはFがいいわ。この子のタイプはDFがぴったり!」と、私とあと数人にその学校受験専門に受け持つ個人塾を紹介し受験する時には推薦状まで書いていただいた。DFに対するこの個人塾の実績は素晴らしく、後から同級生は勿論、先輩後輩まで蓋を開ければ同じ門下生が多くいたことに今でも驚いています。父は7歳の女の子を通勤ラッシュの電車に乗せることを断じて許さず、我が家からなら近く、ラッシュとは逆方向の電車で通学するDFなら大賛成でした。併願は大正生まれの父ですから乃木大将が学長を勤めたことのある学習院を。どちらも簡単にパスしてしまったので私はてっきり小学校受験など簡単なものだと思い込んでしまっていました。後で聞けばその学校周辺の地主が我が家系だったとか、カトリックだったその学校ゆかりの大教会の司祭さまが友達だったとか、いろんな手札でちょくちょく学園長さまたちとお会いする機会があったのだとか。
次回へ続く