宮本浩次4年半ぶりとなる待望のニューアルバムが2026/6/10(水)にリリースされることが早くも発表されている ! アルバムタイトルは、なんと 映画『爆弾』の主題歌でもある『I AM HERO』。昨年10月31日公開から話題のロングランヒットともなったこの映画『爆弾』の感想を、ズバリ一言で云うなれば、とてもセンセーショナルな作品だった !
物語は、そのタイトルが示す通り「爆弾魔」と化したサイコパスな謎の男の連続爆破予告によって巻き起こる、悪辣かつ複雑怪奇な事件の真相に迫る、クライムサスペンスである。
文字通り、物語は開幕序盤にして大胆な爆破シーンで描かれる、スプラッター描写やゴア描写のような、思わずゾワゾワッと目を覆いたくもなる、衝撃のシーンが次々描写されてゆく中で、
劇中での主軸となる舞台は主に “取調室”という限られた空間での、息もつかせぬ頭脳バトルと心理戦の応酬により繰り広げられる、いわば密室劇である。
ただこの一連のシークエンスを手掛かりに、とりわけ社会の根底でうごめく人間の”道徳心”や”倫理観”といったもので、単に事の真相を炙り出すことだけが、本作に提示された究極の「答え」である ! と、謎解きロジックに有りがちなそれなりの「答え」で、作品そのものを安易に見限ってしまう行為は、場合によっては見えない分断を深め、物語そのものの本質を見誤ってしまうようなことにもなりかねないが、
ところがエンドロールにて流れるこの『I AM HERO』によって、本作による物語の解像度がひときわ高められた気がした。
一幕.ニ幕.三幕と巧妙に包み隠されていたように思えたある真実は、決して本作の求める「答え」そのものでもなければ、これは誰しもに与えられた壮大で切実なる「問い」でもあるのだということ。
時に我々は無自覚的ながらも、知らず知らずの内に特定の誰かを『爆弾』のように捉え、また断罪しようとしてしまう。分断された社会は忽ち人を隅に追いやり、遂にはその誰かを社会の不適合者とまでみなしてしまう。一方でまた、誰しもの心にも『爆弾』は潜んでいる。
ひしめく社会の欺瞞や非難、憎悪や嫉妬、憤りに怨恨、、といった、この歪んだルサンチマンが、誰しも心の奥底に、極めて普遍的に棲みついている。
『 人といふ人のこころに一人づつ囚人がいて呻く悲しさ 』 、、
劇中、「爆弾魔」自称スズキタゴサクによって、彼の心に残る捨て置けない一篇として暗唱されたシーンの、これは石川啄木 歌集『一握の砂』の冒頭を飾る「我を愛する歌」の章の中のその一篇だ。
「我を愛する歌」の章の中には、他にも
「こみ合へる 電車の隅にちぢこまる ゆふべゆふべの我のいとしさ」や、
「一度でも 我に頭を下げさせし 人みな死ねと祈りせしこと」、、などが謳われてある
都会の雑踏の中で孤独を感じる自分を愛しく思う姿であったりや、
私に頭を下げさせた人は皆んな死ねばいいのに、、といった他者と自分とを比較し、他者より自分を高い位置に置こうとする感情、ひいては他者よりも優位に立ちたい、或いは有意にある他者をうらやむ感情、、
それはまた、我を愛するがゆえに自分を守ろうとする”自己保存への衝動”とも云い変えることができる
もっとも、他者との繋がり合いは、利他の精神を育み、思いがけず自己を救済する ! ところがそこに人はなかなか思い至らない、つまりはこの「利己心」こそが生む、人といふ人のこころに一人づつ囚人がいて抑え持っているその呻き、その悲しさという「不発弾」である。
人はなぜ絶望するのか、絶望の淵に直面した時、自分の心の中に “ 折り合い “ をつけることが出来たらどんなに楽だろうか。
劇中では、そんな心の中の “ 折り合い “ をつけることのできない登場人物らの、苦難と葛藤が、その深層心理をついて、ありありと描かれている。
“ 折り合いのつけられなさ ”で云えば、見つからなかった最後の「爆弾」が、全てを物語らせるかのよう、この物語には、真の終わりは訪れ得ないのかもしれない。
本作には、そういったレトリックには語りきれない、リアルなテーマを孕んだ、現代社会への鋭い問いかけが込められている !
不条理で不寛容な現代社会に於いて、謎の男”タゴサク”演じる佐藤二朗氏はNHK『SONGS』番組内でこの『I AM HERO』について
『誰もが持つドロドロした感じや、誰もが持っているちょっとした悪意とか.. この『I AM HERO』は “ その問いに対するアンサー ”じゃないか...』とそうコメントされていた。
また、
『当たり前のように世の中は理不尽で当たり前に悪意に溢れている。それでも真っ当に生き抜いてやろうじゃないか...という気迫や気概が込められている、それができるあなたはヒーローだよ..と云ってくれている気がして感謝しかない..』とも !
実に劇中での葛藤する登場人物らそれぞれのまるで断末魔のような叫びが、楽曲へと見事に落とし込まれ、昇華された、これは誰しもに与えられた切実なる「問い」に対するアンサーソングそのものである。
この目を逸らすことのできない大きなテーマを書き下ろした宮本浩次自身もまた、この現代社会に生きる一人の当事者として、我々と同じ痛みや苦しみを抱えながら、この当たり前に理不尽で当たり前に悪意に溢れた世の中へと、静かに問い、また懸命に抗いながらも、それでも真っ当に生き抜いてやろうじゃないかと、そういった表現者としてのアディテュードで、確かな説得力をもって、《らしく輝いて生きて行くぜ♪》と、未来を少しでも明るく照らし出そうと、真正面から《行くぜ堂々♪》と歌う宮本浩次は、正真正銘のヒーローそのものであり、
またそれができる “あなたもヒーローだよ”と、この歌はそう云って耳を傾ける全ての人々の肩にそっと手を置いてくれているようで、正に感謝しかない。
映画『爆弾』という作品世界を通して、この歌は分かち難く対極にあるこの「絶望」と、その先の「希望」こそを克明に描き出している !
《 そうガキの頃からどデカい男目指して生きて来たつまりだった,♪》 《 今宵どうたい ? 俺はどうだい ? らしく輝いて暮らしてるかい ? ♪》
この衝動息づくロックの原風景を見るような、ローファイなサウンドがもたらす、ざらついた質感と無骨なエッジ感が、いかにもヘビィで、それでいてスリリングだ。開始6秒辺りからのファズの効いたギターリフといい、それに追随してビルドアップしていくスネアのダブルストロークといい、イントロからして「俺」の咆哮が荒々しくも炸裂している !
おまけにそのキレのあるブリッジミュートといい、はたまたインサートで不意に差し込まれるギターのチョーキングといい、正に「俺」の衝動すら沸き立っている !
この一曲に貫かれたディティールにも拘った丁寧な音作りが、曲のテンポ感やこの躍動感溢れる16ビートのリズムとも絶妙にマッチしており、非常に痛快だ !
そこへエッジボイスを効かせ、鋭く啖呵を切る宮本浩次の力強いボーカリゼーションが、更に楽曲全体をダイナミズムにいっそう際立たせている!
およそソロ活動によって獲得された、そのしなやかな肉体性が、まさしく音楽そのものに高次元で還元されている。
ところが意外にもこのAメロ(Verse)でのキーは《Am 》による所謂ナチュラルマイナースケールで構成されている。この極めて内省的かつ抑圧的 《Am》というダークで暗い印象となりがちな短調なコードkeyに乗せ、あくまで歌われているのは、
《〜俺の衝動 俺の感情 流れる時に押しつぶされてなんか負けそうOh No〜♪》といった闇深い「閉塞感」や、《〜こんなもんかい、こんなもんだい やりきれない自問自答〜♪》という、どうしようにもない「やるせなさ」「心もとなさ」からくる、これもまた、ある種の人といふ人のこころに去来させてしまうネガティブな感情、それは誰もが身に覚えるのある感情だ、そこには未来が仄暗く見えてしまうような、「俺」のそこはかとない「絶望感」が、取り繕われることなく表出されている。
このAメロパートでは、歌詞の文脈に合わせて Am → G → F♯ と「跳躍」して「着地」という展開のコードがひたすらループする。
所謂トニック→ドミナントから、スケールに存在し得ないノンダイヤトニックの《 F♯ 》へと経由しながら、再び安定のコードへと戻りたがるトニックへと、正に「俺」のやりきれない自問自答がとめどなく繰り返される。
たが、この胸のすくようなコード感で刻まれる音のレイヤーからは、そういった「閉塞感」や「無力感」のような暗い印象こそなく、むしろ眠らせていた細胞を叩き起こし、奮い立たせるかの、逆境に置かれているからこそのポジティブさが、まるで親密な距離感をもって響いてくる !
この不思議な感覚の正体の肝となっているのが、先にも述べた、この転調感のあるスケール上に存在し得ないディグリーで記す《VI》の《→ F》の音の半音上の《→ F♯》というコードのそれだ。
所謂パラレルスケールをキープしつつ、同主音のドリアンスケールの借用コードを借りて挿入させた、云わば「モーダルインターチェンジ」というその技法である。
これはモード旋法の一つで、こういったマイナースケール上の中でも”より”明るい印象と ポジティブさを与える「特性音」として、このように最小限の変化を最大限に生かせる特徴をもつ。
このパッと光の差すような特性音を用いて
《らしく輝いて暮らしてるかい♪》から《なんか負けそうOh No♪》と《俺の夜明けさ♪》から《行くぜ堂々♪》へと至る、それら四行詞の文末へと意図的に当てることで、こういったマイナースケール上の中でも、より明るい印象とパワフルさが増し、それがフックとなり、更に語気の強化や強調、或いは言葉の強い印象付け、といった特定の効果をもたらせることが可能となる。
これによりAメロ〜Bメロ直前の《行くぜ堂々、堂々〜♪》に ”より”推進力が増し、「期待感」が高まることで、聴き手に”より”明るい方向へと向かっていることを示唆させる。それにより、この「絶望感」からの場面転換という流れができ、よって自ずと「解決感」が得られ、聴き手の思考も次第にポジティブ変換されてゆくのだ。
これは単なる表現技法に留まらぬ、ある一定の到達点を目指した、彼なりのアリゴリズムを見事に組み込ませた手法だ !
転じてBメロ(Bridge)〜(Chorus)のサビに向かって、比較的黒鍵が少なく”より”白鍵の多い(Fメジャーキー)という、この”より ”メジャー感” の強い長調のキーを用いて力強く転調させることで、正にこの歌は愚直なまでにストレートに、この《悲しみの地平線♪》のその先の光明の差すような「希望」の描線こそを、実に克明に描き出していると云えるのだ。
ところがこの歌は、大サビ〜ラスサビ〜というクライマックスからの流れのこのFメジャーキーによって、最後は VII7 → IIIm というトニックと同じ役割を担うこの「Am. (IIIm)」を使って、ドミナント→「トニックAm. (IIIm)」といったこの終止感の強い流れを活用しつつも、最後は再びそのAmのコードによってフィニッシュとなる、所謂「偽終止」という構成で帰結する。
これはただ単にループさせているのではない。我々は性懲りも無くこの「絶望」と「希望」という《愛と悲しみのこの世界》で、この悲喜こもごもとした人生を幾重にも重ね繰り返してしまのだ
その繰り返しこそが人生であると伝えるこの歌は、正に人といふ人のこころに一人ずつ抑えもっているこの「絶望」と、その先の「希望」への、その両極にこそ優しく寄り添うのだ !
そうして思うのだ、彼にとっても恐らくはきっとそうで、人生とはその繰り返しであり、それは我を愛するがゆえの自己保存への衝動に過ぎず、人間という動物の本能に起源をもつ、他のどんな生き物よりもそれは本源的である。だから食欲も金銭欲もセールス欲も名誉欲も、みな自己保存への本能に発しないものはない。
そこに描かれる大きなテーマの一つでもある、彼自身の「本当の自分の声」に起因するものとは、一方でまたそれが彼にとっての人知れぬ社会に向けた憎悪や嫉妬、憤りに怨恨といった歪んだルサンチマンでさえあったにせよ、
彼はそれらのくすぶる内なるその思いを「歌」の中でこそ、正に「爆発」発揮させ、「俺の野望」や「俺の明日」へと繋がる「希望」に満ち溢れたこの『I AM HERO』という大名曲を巧みに描き出したのだ !
そう考えると先日までの彼のソロツアー「新しい旅」の中での発言による「この曲から始まりました」と発せられていたという、あの『close your eyes』も『哀愁につつまれて』も『over the top』も『Today〜胸いっぱいの愛を〜』も、この『I AM HERO』同様、彼が彼自身に問い、自問自答を重ね続けてきた、その「問い」に対する一つの回答ともなって聴こえてもくるようだ。
彼にとってその繰り返しこそが、「宮本浩次」として生きる「営み」そのものでもあり、
そこにはまた「いくしかないじゃん、生きてるんだから」のあの宮本浩次の名言こそにもやはり辿り着いてゆく、、
この「生きる」というキーワードこそは、
ここ近年の宮本浩次の発言だけに留まらず、それら歌の中にもしばしば様々な表現で頻発して出てくる。
一方で、それはこの先の死を見据えるかの、あの『メメントモリ』の「死を想え」の名言さえ、まるで想起させる
「メメントモリ」とは、かつて中世ヨーロッパの修道士たちが、日々の生活の中で死を意識し、人間の命がいかに儚く、またそれに直結して死がいつ訪れてもおかしくないという事実を受け入れて、その上で倫理的な生き方を追求したというその思想に基づく、
この概念はバロック時代の様々な芸術作品のなかでも頻発して表現され、人生の儚さと死という避けられない事実を視覚的に示したのだという、
これらの象徴は、人々に対して今という瞬間瞬間をいかに大切に、その日その日を最大限に生きることで、人生をより豊かに、より充実して送られるという事を動機付けとした哲学としても捉えられている、
よもや人生の午後という後半に差し掛かった
《私という名の物語は最終章♪》とも歌う彼にあって、この終末感をまるで意識した今という瞬間瞬間をより大切に、その日その日を最大限に生きる「生き方」こそを、そこに感じずにはいられない。
そう思うと、いつか終わりがくる人生の引き際、去り際の美学に対する、宮本的その生き方こそに、ヒロイズムそのものをまた感じずにはいられない。
彼にとってそうやって生き抜くことは
歌い続けていくということと同義とも云え、
歌い続けるが為に、問い続けることもまた、それは彼がそこに安住しないという意志への表明そのものともまた云えるだろう
そうして我々はこの挑戦し続けるヒーローに今日を生きる為の途轍もないパワーとエネルギィを勝手に与えられ、今日も明日も明後日もこの日々を生きるのである。
これこそがこの理不尽な世の中を生き抜く英雄像そのものとも云えるのではないだろうか。。
俺の野望 俺の絶望 俺の明日 さぁ行くぜ I AM HERO. I AM HERO I AM HERO I AM HERO............ ......... .......... ...... ......... ................ .......... . ........... ................
