はじめまして、閲覧頂きありがとうございます。



こちらの記事ではネガティブ要素がありますので



苦手な方はUターンでお願いします🙇🏼‍♀️








おおまかな目次

・自己紹介と家族構成👪

・発達障害と診断されるまで

・凹凸な青春時代

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そもそもこのブログを書こうとしたきっかけが、

気力はあるのに体力が外に赴かない。

発達障害特有の傍から言う怠けからです。





遅れましたが、自己紹介をします。私は公務員をしている(3月の更新で切れてしまうので、していたになります)1児のカーチャンです。

家族構成は私、子供、私の兄弟、祖母です。

文章は苦手なので分かりにくいところばかりですが適当に流してくだされば…と思います🥲




実は私には先天的なADHD、後天的な不安障害、適応障害、愛着障害などがあります。

私ですら見ただけで、あの人と関わりたくないわという人種に部類します。



そして最近うちの子供にも発達障害があることが分かりました。

私と同じくADHDか、自閉症とのことです。





そんな人生モード高難易度な親子の凹凸ガッタガタな日々を綴っていこうかと思っている次第です。






私の発達障害認定までの経緯をざっくり説明しますと、元々ADHDを持っていた私を育てきれなくなって母親が私を4歳で捨て、その後仕方なくで養育することになった→母方の祖母にも見放された後に、そんな状態を見かねた親戚が児童精神科に連れていってくれてそこで初めて愛着障害と分かるところからがスタートです。(初手から重い…笑)






同じような身の上話を児童精神科の先生にもするのですが、この時点でまあご想像の通りで先生を混乱させて相関図を書かないといけないということにまでなります😂

そしてひとつずつ1から説明していくのでトータル4時間以上も病院にいることに。

(あの時は先生大変だっただろうな…)




その後、発達障害特有の病院に通えないという事態になり通院は途切れるのですが、問題はここからです。






社会人になると今まで「天然だね」と一言で済まされていた困り事が、バイトや仕事をし始めるとそうはいかなくなりまして世間とのギャップや自分の仕事の出来なさに痛感しました。





その後やっぱり困るからと頑張って通院中な訳であります。

病院に通うってだけなのに何年も掛かってしまいました…😭






その困り事などを説明して、現在通っている心療内科の先生から「ADHD多動型かな」とやっと愛着障害以外の診断が付きまして「ようやくなんだ…良かった」と安堵するところまでいきました。







今じゃADHDやHSPなんかも聞き慣れて来るようになりましたよね。

心療内科のカウンセラーもなかなか予約が取れず何ヶ月待ちなんてこともざらに…😭(これが1番困るかも)







そんな私の青春時代はチラッと覗いていこうかと思います🙌

遡ること10数年前…






ほんの一昔前は面白い子扱いされて、文字が頭に入ってこない事、ひとつの教室にたくさんの人がいてじっとしなきゃいけない、時間配分の読めない遅刻ばかりの私をサポートしてくれる友達や先生がいたのが救いなのですがそれでも困り事は沢山あってですね…。






小学校中学年の頃までは何とか通えていたのですが、小学校5年生の頃を境に本格的なイジメにあい不登校気味になります。






このイジメというのも、その時が初めてだった訳ではなく保育園の頃からあったんですよね😂

単純に発達障害からくる人とのコミュニケーションが上手く取れないなどや、真似をしているつもりは全くなかった(自覚がなかったに等しい)けど、行動や瞳孔や言動までをも真似してしまうという不快感を相手に与えてしまうこと、






そして愛着障害で人に構って欲しくて、嘘をついたり、気を引いたりして相手を混乱させてしまうことだったりで相手にされなくなっていくのですが、そんなことは当時のじゃじゃ馬娘は気にしません。




ガンガン相手に突っ込みにいってしまったんですよね。「◯◯ちゃん、先生、あーそーぼー!」と。よって皆から(先生も含め)無視されたりイジメを受けてしまうという日々でした。






愛着形成がほとんど皆無だったので人との関わりが本当に下手くそだったんです。

大人になってマシになったかも?と錯覚しますが今でも人とのコミュニケーションはうまくいきません。







4歳の時には既に母親に捨てられており、養育者である祖母は仕事人間だったのでほとんど家におらず私は友達の家を転々としていました。






今となっては構ってくれる誰か、愛してくれる誰かを探していた。そんなように思い返します。





当時のおうちにあげてくれる大人たちは何も深いところまで言わなかったけど、たくさん母親以外の人達に助けられてきたんだなとこの記事を書きながら実感しています。







そんな私にも親友と呼べる友達がやっと出来ます。中学校から1番近くに住んでいる子がいて友達の友達を通じてひょんな事から仲良くなるのですが、全く私と正反対の性格の子なのです。







本ばかり読んでいて教室ではいつも隅っこにいるような子。注目されることは嫌いでいつも誰かの後ろに付いていて、イエスマンでありながら多彩な才能も持ち合わせている。







でも何故か一緒に無言でいると落ち着く子だったのです。仮にAちゃんとします。

いつしか誘ってくれた友達と一緒にAちゃんのおうちに遊びに行っていたはずが、大勢で遊ぶのは苦手な私なので友達が来ないタイミングを狙ってAちゃんと遊ぶようになります。






することと言っても毎日、毎日漫画を読んだり映画を見たり。

Aちゃんのおうちには漫画やショップから借りてきたDVDがたくさんあって、ただひたすらお互い無言で見続けるだけなんです。







いつしか家族公認になり?「おうちにいるのが嫌ならここに居なよ」と居座らせて頂くことになります。







それが中学1年の秋頃のおはなしです。

優しさのかたまりというか、寛容なお母さんでした。






いつしか頑張っていた学校も文字を読むペースが遅く、頭に入っているつもりでも入ってこなくて授業についていけなくなり中学2年を手前にしてヤンチャをし始めます。






そうするとどうなるか…ギャルなお友達と絡み始めるわけです。

みんないい子たちです。優しくて人のことなんか気にしないで好きなことを貫いてる芯のある子たち。

そんな子たちが私を迎え入れてくれたんです。







でも仲良い子達が出来ていく最中で小学校とのギャップが凄くて学校がだんだん辛くなり、気づけば起立性調節障害になり朝も起きれなくなりまた不登校気味になるわけです。







そこで出てくるのがAちゃんです。

こんな状態の私をAちゃんちが受け入れてくれたのです。

言うなれば同居?居候させてくれたのです。







母親がいなくて学校になかなか行けない私をAちゃんのお母さんが「うちの母親が男作ってフラフラしてたんだよ、だから気持ちが凄くわかるし見てると助けてあげたくなる」と。







そして毎日Aちゃんちのお母さんがご飯を用意してくれて、朝起こして、学校まで送迎してくれるようになった訳です。

あの時は母親がいたらこんな感じなのかなと、こんなことまでしてもらって…と毎日申し訳なさでいっぱいでした。






でも自分ではどうすることも出来ずに、生きていきたい願望は人一倍あった私は結局甘えてしまうのです。






そんな中学校時代はほとんどAちゃんのおうちで過ごしました。

なんなら高校も最初の数ヶ月はAちゃんのおうちから通わせて頂きました。







Aちゃんち以外のおともだちのお父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんや私の親戚のみんな、たくさんの人が母親代わりになってくれた10代でした。









みんな自分の母親より優しくて、面倒見てくれて、社会性をたくさん教えてくれました。

良いことも悪いことも、ときには叱ってくれたことも。







今生きれる糧や社会性はそんな大人たちから出来たものです。

あの時はみなさん本当にありがとうございました。今では不器用ながらも1人の子供を育てることが出来るようになりました。








正直、この話を書くまでたくさん涙して一つ一つ整理しながらどこまで深堀しようか…と悩みながら書きました。

今回は目次にある通り、おおまかな私の自己紹介も兼ねての記事になるのですが皆さんに伝わっているでしょうか…😂?

だいたいの人柄が掴めていたら幸いです。








次の記事で少しずつ日常を書いていけたらと思います。

年度の変わり目や卒業、入学式、社会への1歩や花粉症で皆さんしんどい時期かと思いますが、

自分の身体と心は大切にして、直感でダメだと思ったら一旦休んで欲しいなと思います。







私は仕事が上手くいかず、現在休職中です。

3月で更新を切ってしまうので無職な未来ですが😂

辛い時は辛いと言葉に出してあげると身体は素直なのでそれに反応してくれると思います。







終わり方も、途中乱雑な文章も多々目立ちますがこのブログを通して色んな人とお話できたら嬉しいなと思います。







それではこの辺で*˙︶˙*)ノ"