立教大学 活字文化公開講座に行ってきました。
テーマは「絶望を書く、希望を描く ~芥川賞、直木賞作家からのメッセージ~」となっていて、ゲストはともに2015年第152回の芥川賞と直木賞を受賞した小野正嗣さん(45歳)と西加奈子さん(38歳)です。
(以下、敬称略)
最初にパンフにあった二人のプロフィールを記しておきます。
【小野正嗣(おのまさつぐ)プロフィール】
昭和45年(1970年)大分県生まれ。作家、仏語文学研究者。東京大学で学んだ後、パリ第8大学で博士号取得。2015年『九年前の祈り』で芥川賞を受賞。現在、立教大学文学部文学科文芸・思想専修准教授。
【西加奈子(にしかなこ)プロフィール】
昭和52年(1977年)イランのテヘラン生まれ。大阪やエジプト・カイロで幼少期を過ごす。関西大学法学部卒業後、さまざまなアルバイトを経て平成16年(2004年)『あおい』でデビュー。平成19年に『通天閣』で織田作之助賞、平成25年に『ふくわらい』で河合隼雄物語賞を受賞した。平成27年(2015年)1月、『サラバ!』で第152回直木賞の受賞が決定。著者に『舞台』ほか、エッセイ集『まにまに』、最新刊の絵本『きみはうみ』など多数。
私は二人の作品を読んだことがないのですが、時々作家の対談などに聴衆として参加して結構話が面白いので機会があれば参加の申し込みをしています。
今回の会場は立教大学のタッカーホールというところでしたがほぼ満員で全員が二人の愛読者ということでもないと思いますので、私と同じような動機で参加している人も多いのではないかと思います。
ところで私は西加奈子という作家の名前を初めて耳にした時、私の好きな歌手の「西野カナ」を連想してしまい変なところで関心をもってしまったのです。
実は今回西加奈子の話を聞くのは2回目なのですが、彼女は大阪弁で独特の親しみやすさを感じさせます。
西野カナも私の耳では大阪弁のような雰囲気で語り(出身からすると三重弁とか松阪弁とでもいうものかもしれませんが…)、しゃべり方も西加奈子と乗りやリズムが同じようで妙な共通点を個人的には感じています。
今回のトークでも小野正嗣の話に「ウン、ウン」と相槌を打ちながら熱心に頷いていて(人によっては年上の話にする相槌としては失礼と思う人もいるかもしれませんが…)、私としては率直な印象を受け好感を抱きました。
話の内容ですが、プログラムでは「改めて小説を書く、読むことの魅力について考えます」となっていて一応は次のような構成でした。
【第一部】「異文化と創作」
小野正嗣氏、西加奈子氏がそれぞれフランス、中東での暮らしから得た異文化体験が創作活動にどのような影響を与えたのか。また創作意欲をかき立てるモノやコト。小説を書く動機とは何かについて語り合っていただきます。
【第二部】「言葉と感性」
文学に関心のある(作家志望)学生3名を交えて、小野作品・西作品の魅力を探ります。感性を磨くために必要なこと、表現力を伸ばすためにどのようなことを心がければよいかなどについてお話いただきます。また小説を読む意味についても考えます。
ただこのような舞台でのトークは当然のことながらきっちり筋道だてて展開していくわけでなないので以下では私が印象に残って話を脈絡には欠けると思いますが書き出してみたいと思います。
(聞き取り違い、記憶違いも多々あると思いますので正確ではないと思いますがご容赦ください。なお今回の内容は後日読売新聞に掲載されるということです)
最初に私の全体を通しての感想を述べておきたいと思います。
少し突飛なのですが、昔素粒子物理学の入門書を読んだとき出てきた「ウロボロスの蛇」を想起しました。
「ウロボロス(ouroboros)の蛇」というのは巨大な蛇が自らの尻尾を呑み込んでいる様を指し、ある物理学者が「素粒子物理学研究を進める事によって宇宙の全体の構造がわかる」と考え, それを古代神話に出てくる「ウロボロスの蛇」になぞらえたというのです。
宇宙という超マクロのものと素粒子というこれまた超ミクロのものが一つの輪のようにつながっているという事だと私は理解しました。
つまり今回の講座になぞらえれば、異文化を突き詰めれば日本文化の本質が分かり、また日本文化を突き詰めれば異文化全般しいては人間の有する普遍的な文化の本質がわかるのではないか ということ、ある意味しごく当然のことを改めて考えたしだいです。
それでは二人のトークの印象的なものを書いていきます。
<小野> 大分県の人間関係が濃密な小さな集落で育った。話し言葉は豊かだが本を読んでる人を見たことがないようなところ。フランスに留学している時多文化に接する機会があったが、改めて自分自身の小さな集落、故郷を思うきっかけとなった。
<西> 父の仕事の関係からエジプトで小さいとき育った。そこは肌の色も言葉も貧富でも日本と違い実に様々、全然違うと感じた。自分の手柄でないのに圧倒的に恵まれた生活をしていることに後ろめたいものを感じた。
そんなことからかフラットでありたいという気持ちが強いし、マイノリティーを書くことが多いのはそんな体験があるのかもしれない。
<小野> 地方は閉鎖的なイメージが強いが一方で他所から来たものを受け入れるという面もある。そして閉じられた世界から異質なものにつながっている、開かれているという感じを持っている。
<西> 高校生の時自分が衝撃を受けた文学(モリスンというアメリカの黒人女性作家)は友達に言わなかった。小説はシェアするという感覚はなく、自分だけに語っている大切なものと感じた。
<小野> 大学で初めて留学生を含めて様々な人間の集まっているところに居て自分の生き方、文化を振り返ることになり再発見をすることになった。
<西> アメリカの作家アーヴィングの影響をすごく受けている。その小説にはまるですべてのことが書いてあるように思えるしそれも「ジャーン、ドーヤ!」といった風ではなく改行なく淡々と書いてあることで却って「何故、何故」といろいろ考えさせられてしまった。
『サラバ』では小説の筋のための不自然な展開は絶対にしないように、ナチュラルにしようと心に決めていた。
<小野> カリブ海を舞台にした海外文学で気づいたのは一般的にはイメージとしては明るいものがあるのだろうが、陽が強い故に却って影が濃くなるという面があるということ。
<西> 大阪に帰って来た時カイロと生活の乗りのようなものがすごく似ていると感じた。東京に来ると大阪がエキゾチックに思える。
ローカルなものドメスティックなものを突き詰めていくと世界文学、グローバルなものにつながっていく気がする。
<小野> 作品の中でステレオタイプの母親に愛されている子供ではなく、ネグレクトされ見放された子供が出て来るが事前に書こうと思って書いているのではなく作品が要請してくるような感覚。社会の周辺に追いやられた人を書くことが多いようだが何故なのかよく分からない。
また登場人物として様々な人物を描いているようでも実は同じ人物を描いているのではないかと思う事がある。
「作家性」例えば「西加奈子的なもの」というのは同じテーマとか人物像を書き続けているのかもしれない。
<西> インタビューを受けた時に、書いている時には思いもしなかったことをインタビューに同じように答えるうちに後でそうだったんだと思いこむような気がする。
<小野> ナチスのアイヒマンが自分に都合の良い綺麗なストーリーを作ってあたかも自身でもそれが真実であったと思いこむようなことを次元は違うかもしれないが多くの人はしている、記憶を捏造しているのかもしれない。
<西> 本を読むことが楽しくなくなったら地獄だと思うが幸いそのようなことはない。作家になってからの方がメチャメチャ読むようになった気がする。ワクワク感は変わらない。
<小野> 作家になってから注意深い読者になったと思う。その作者の心情がより分かるようになった気がする。自分が書いたことにしたいと思うような気になることもある。
<西> 東京は「女子アナ」のような感じがしている。大好きだが例えば中央線の沿線が画一化されていくような気がするのは残念。
<小野> 地方の方がもっと均質化が進んでいるような感じがする。東京の劣化コピーのような印象を抱いているような人もいる。根が田舎のオジサンだから息苦しい感じがして田舎の風通しの良さが恋しくなることがある。
<西> 就活はしなかった。就職氷河期だったので就職せずアルバイトすることが劣等感にならなかった。これだけが世界だ、すべてだと思うとしんどいことになる。
<小野> 自作で老人と子供の境、自他が曖昧なのは外観だけでは分からないものがたくさんあると思っているから。また田舎での子供時代を思うとオッチャンが実は今老人であるが自分にとっては相変わらずオッチャンであり客観的な時間と自分の時間とは少し違うような感覚と似通うものがあるのかも。
<西> 昔は田辺聖子の作品のように書き言葉の大阪弁があり話し言葉とは違っていたらしいが、今は話し言葉の大阪弁がそのまま書き言葉になっている。ストレスがない。
<小野> 大分の方言は通じないので書き言葉としての大分弁になっている。
英語でも実は放言があるが綴り自体が変わりその方言が表現される。
メモから多少当日のトークの再現を思い出し思い出しして書き起こしたのですが、音楽のライブ以上にその場の雰囲気を出すことが難しいと思いました。
二人の会話は結構真面目で深い話をしているのですが、ユーモアがあり大らかな語り方をしている部分もあるのですが字面にすると(もちろんこれを書いている私の非力が大きいのですが)臨場感が全く伝わりません。
多分後日掲載される新聞の記事も同様かなと思っています。
ただ内容は抜粋でしょうが当然そちらの方が正確だと思いますのでご覧になってください。
下記の写真が、西加奈子さんです。西野カナにちょっと似ていませんか。