久しぶりに記事を書くことにしました。

テーマは「人工知能(AI)と俳句」です。

 

 私が購読している日経新聞で人工知能(AI)の記事がない日はまずない。

最近ではAIである「アルファ碁」という囲碁ソフトが世界最強といわれる囲碁棋士に圧勝したことが大きな話題となった。

 

2045年には人間の作った、人の脳を模した機械であるAIが人類の知性の総和を超える「シンギュラリティ(技術的特異点)」に到達するとのアイロニーともいうべき予測もある。

 

AIが人間社会にもたらす影響は幅広く、明るい未来を開く希望的予測もある一方、かなり深刻な問題をもたらすとの見方もある。

 

現在、AI絡みで話題となっているものを思いつくままに列挙すれば、「自動運転車」「介護あるいは接客のロボット」「AIによる病気の診断」「AIによる投資運用・融資審査や監査」「自動翻訳」「AIスピーカー」「AI創薬」「AI兵器」等々がある。

 

懸念の中には高度の知的労働を含む人間の仕事がどんどん奪われ半減してしまい、その結果として格差がますます拡大するのではないかというものもある。

 

文化・芸術の分野でも、AIによる自動作曲の話題があったし、人気仮想アイドルの「初音ミク」の活躍も画期的である。

更に日経「星新一賞」という文学賞にAIを利用した作品が寄せられ一次選考を通過したということもあった。

(短い作品なので読んでみたが、まだまだ生硬で評価には早計と感じた)

 

 

ところで私の想像に近い予想だが、そう遠くない将来「AIが作る俳句」が「人が作る俳句」と区別できなくなるのではないかと思う。

(もちろんその前提として、「アルファ碁」を開発したようなAIによる俳句作りを研究テーマとする人が現れることが絶対条件だが……。)

 

そもそも俳句は、周知のとおり原則十七音と言葉の数が少なく、更に大方の俳句は季語を配する短詩型で比較的パターン化し易い構造を持つ。

季語は1万を優に超えるともいわれるが中にはほとんど死語と化しているものも多そうであり、実際に句作に使われる季語は思ったより少ないのではないだろうか。

AIのデータ処理能力からすれば極めて少ないといえそうだ。

当然、基本的な文法や俳句の大まかな約束事(季重なりの回避や一句一切字など)はAIに一定の条件として付与して置く必要はありそうだ。

ネット空間にはビッグ・データとなり得る夥しい数の俳句が存在している。

井原西鶴は一昼夜に二万三千五百句を独吟し周囲をあっと言わせたらしいが、AIは「AIが作る俳句」のネタ(情報)ともいうべき既存の句数が十分に多ければ、ほんの僅かの日数、それこそ一日で今まで国内で作られ公表された俳句数を簡単に凌駕できる句数を作ることも可能なのではないだろうか。

 

ただ囲碁やクイズなどと異なり、俳句の場合は勝敗や明確な内容の良否の判断基準がない。

プロの俳人の句やいわゆる高点句などをデータベース化できれば、AI俳句の内容向上も十分可能かもしれない。

 

ところで本来俳句の背景には作者の世界観・人生観・自然観・美意識などがあるはずで、AIには当然のことながらそんなものはない。

(と現時点では考えるが、AIに心・自意識を持たせる試みをしている研究者もいるらしい)。

しかしビッグ・データである膨大な過去の俳句の解析から作句パターンをディープ・ラーニング(深層学習)で経験的に学び、「それらしく俳句を作ること」は十分可能であると思う。

ひょっとしたら却って人間の発想を超えた「取り合わせの妙」はAIの方が長けているかもしれない。

幸い読み手としての人間は想像力豊かに句を読み解いてくれたりするので論理的とは言えない句も感性が受容してくれることも大いにあるのではないか。

 

「アルファ碁」でいわれたようにAIの思考経路は実は現時点で人間の窺い知ることのできないブラックボックスとなっているという。

何とも言えない得体の知れない不気味な世界が俳句にも訪れるかもしれない。

 

 

 

叔父が亡くなり父方の田舎である群馬県でのお葬式に参列しました。
叔父は亡き父の次弟で行年86歳(満85歳)での逝去でした。
4ヶ月程前に父の墓参りの折に特養に入所していた叔父のところに立ち寄り面会していたのが結果として生前最後の挨拶となりました。

亡くなったとの連絡をもらいましたが、生憎都合がつかず通夜には出席できず、お葬式・告別式のみの参列となりました。
叔父の暮らしていた町はJRの最寄り駅からのバス便も1時間に1本で、私は自宅から電車を乗り継ぎ往路・復路でそれぞれ4時間弱の移動時間となりました。

行年(ぎょうねん)86歳の行年は享年(きょうねん)と同じ意味で基本は数え年での亡くなった年齢となるようです。
お葬式では満年齢はあまり使われないようで、「天から享(う)けた年」の意の「享年(=行年)」が相応しいのかもしれません。
肝臓がんの手術をしたりして晩年はすっかり体力の衰えていた叔父ですが、男の平均寿命(直近で81歳)を考えると長生きした方といえそうです。

菩提寺は真言宗豊山派で、父の葬儀の時もご住職に横浜まで来ていただき読経をあげていただきました。
その時も感じたのですが、そのご住職はとても朗々としたよく通る良い声の持ち主でお経も一層有難く思われました。
住職は「和讃」と言われていて「仏などを和語で讃嘆した歌」という意味のようですから、まさしく歌のように内容も分かりやすく素直に感動するものでした。


葬儀、告別式、初七日の法要も滞りなく終わりご住職から法話がありました。

宗派により考え方や形式は異なるのでしょうが、そもそも葬儀の意味合いですが、故人を仏弟子として仏様のもとにお送りするということで仏弟子の証拠として俗世の名前から浄土での名前としての戒名(意味付けが違うのかもしれませんが法名、法号と同義?)が与えられるということになります。

戒名は本来であれば生前に受戒し修行に励み師から受けるものなのでしょうが、現実には葬儀の前に儀礼的に戒を授かり住職からいただくことになります。


叔父の戒名は「慈法院圓覚保善居士」で、院号の「慈法院」は慈悲の「慈」、仏法の「法」を個人の生前の人柄からつけさせていただいたとの説明でした。
ただもともと院号というのは、お寺の中に小さな寺院(例えば、大徳寺の大仙院)を建立した人に贈られるものなのだそうで現在では随分簡単に頂いているということになります。
次の「圓覚」は道号といわれるもので仏道に入った後の僧侶としての号で、鎌倉に円覚寺という格式の高いお寺がありますので良い道号を頂いたのでのではないかと思いました。
「保善」が本来の戒名に該当する部分で俗世での名前の一字が入っています。

「居士」は位号で、大人の男であれば「信士」「居士」、大人の女であれば「信女」「大姉」が戒名の下に一般的に付けられると思います。
子どもの場合は「童子」「童女」、幼児は「孩児(がいじ)」「孩女(がいにょ)」、赤ん坊は「嬰児」「嬰女」がつけられるようです。
住職によればあの世では故人は「保善さん」と呼ばれることになるとのお話しでした。

この「戒名」は宗派により異なり、浄土真宗では授戒作法を行わないので戒名とはいわず、「釈○○」とする法名が授けられることなるのだそうです。
民俗学の折口信夫(おりぐちしのぶ)の別名の「釈迢空(しゃくちょうくう)」は法名ということになりそうです。

私は、お葬式(葬儀)と告別式をほぼ同義と思っていたのですが、まずお葬式は故人を仏弟子とするための授戒と仏弟子となった故人を浄土へ導く葬送からなり、告別式というのは宗教的儀礼であるお葬式とは別に親族親戚や親交のあった者たちが故人との別れを惜しむ儀礼という意味で本来は日時を改め行うものなのであるのが葬儀の後あるいは葬儀中に焼香をもって行っているものということなるそうです。
確かに有名人が亡くなった時には、葬儀のあと大分日数が経ってから「お別れの会」が催されたりしているようですが、そういうことなのかと改めて合点しました。


仏事のしきたりは奥が深そうなのでまた別の機会に少し調べてブログに書いてみたいと思います。
昨日は天候も穏やかで、妻の提案もあり多摩川堤の河津桜を見に行きました。

場所は川崎の等々力緑地にある市民ミュージアムから歩いて2~3分のところです。
咲き具合は5~6分開花といったところでしょうか。

既に数人の人が写真撮影をしていました。

河津桜は寒緋桜(かんひざくら)と大島桜の自然交配種だそうですが、花見の時期の代表的な桜の品種であるソメイヨシノに比べ花の色が濃く、また早咲きであるのはよく知られているところです。

この多摩川堤の河津桜は十本前後で迫力には欠けますが、色の少ないこの時期には楽しみですし、また有名な静岡の河津町(河津桜の名前はこの町に由来)や三浦海岸に比べれば人出もほとんどなくゆっくり鑑賞できるのが利点です。



河津桜1


href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160220/17/elegantdragon/4c/b9/j/o0800060013572260972.jpg">河津桜③



ところでここの河津桜だけではないと思いますが、目白がたくさん来て花の蜜を吸っていました。
目白は一か所にじっとしていない上、とても小さく数を数えることは難しいのですが20~30羽はきていたのではないでしょうか。

私のコンパクトデジカメではなかなか上手く撮影できなかったので、妻がデジカメ一眼レフで撮った写真を掲載します。

たまたま近くにいた人が話しかけて来て「鶯」と言われていたのですが、鶯はいわゆるウグイス色はしていずまた鳴き声も全く違います。

正に字の如く「眼が白っぽいのが目白の特徴」だと思います。

とても可愛いのですが撮影泣かせです。


目白①




近くの公園の白梅にも目白が来ていました。




href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160220/17/elegantdragon/80/5f/j/o0800120013572260969.jpg">目白②


俳句をしていると結構「難読漢字」に出会うことがあります。

それは季語になっていることもあれば俳句の中で使われている言葉であったりといろいろですが、時に「ヘェー」とそのセンスに感心したり、何故この漢字を当てはめるのか不思議に思うこともあります。

でも日常でも案外本来は「難読漢字」と思われる漢字もたくさんあるように思われます。
例えば「梅雨」はもちろん「つゆ」(「ばいう」と読むこともありますが…)ですが、通常の訓読み、音読みではとても「つゆ」とは読めない訳で、ごく普通に本、テレビ、新聞などで出て来るから何の不思議もなく読むことができるわけです。

因みに、この「梅雨」は調べたところ、梅雨(つゆ)の語源は、「つゆ(汁)」や「露」、ものが湿り腐ってくずれる「潰(つ)ゆ」などから、あるいは雨が降る「露けき時(『露けし』は露に濡れ湿っぽいの意味の古語)」であるからと言われているそうです。
またちょうど梅の実が熟す頃の雨であるから「梅雨」、黴を生じさせる頃の雨であるから「黴雨(ばいう)」の字が当てられたようなのです。


実は私はつい最近自分の俳句にたまたまある本で見かけた「産土」という言葉を(強引に)使ってみました。
これは「うぶすな」と読み「生まれた土地、生地」を意味します。
「産着」は「うぶぎ」と読みますから「うぶ」は何とか読めたとしても「土」は「すな」とはなかなか読めないと思われます。

難読漢字は先ずは単純に「クイズ」的な面白さがある上に何となく情趣やロマンを感じることや、正直に言えば多少それを知っていることの優越感みたいなものを覚えることもあります。


私の場合、句会で10~15分程度の限られた時間で多くの句から選句している最中難読漢字が出てきた時には漢和辞典を調べる余裕もなく勝手に「意味不明」で飛ばしてしまうこともあり、後から他の人がその句を選び選句理由を説明した時に知らなかったことを恥じることがあります。


ここで2月4日の立春以降、俳句では「春」ということになりますので、難読漢字の「春の季語」をいくつか挙げていきたいと思います。
(参考にしたのは『覚えておきたい極めつけの名句1000』(角川文庫)です)

【長閑】(のどか)=のんびりと落ち着いている様子。天気が良くて穏やかなさま。➡何となく読めても漢字で書けと言われたら難しい

【春北風】(はるきた・はるならい)=春の強風・突風。➡「風」の部分を読まないのは他の季語でもある(「北風(きた)」「南風(みなみ・はえ)」など)

【佐保姫】(さおひめ)=春をつかさどる女神とされ、秋の竜田姫と対をなす。➡旧かな「さほひめ」、すごくロマンチックなイメージを受ける言葉、謂われが知りたくなる

【薄氷】(うすらい)=うすごおりのこと。解け残った薄い氷もいう。➡読み方が特徴的で柔らかい響き

【鞦韆】(しゅうせん)=ブランコのこと。➡美しい響きがする

【海猫渡る】(ごめわたる)=「海猫帰る」は秋の季語➡文字通り「うみねこ」のこと

【囀】(さえずり)繁殖期の雄鳥の鳴き声➡旧かなでは「さへづり」

【細魚】(さより)➡「竹魚」「針魚」などとも書くので、要は「さより」の形を表すもののイメージ?

【公魚】(わかさぎ)➡江戸時代に将軍に献上されたことから「公」の字が当てられるようになったとのこと

【桜蝦】(さくらえび)

【蛍烏賊】(ほたるいか)

【土筆】(つくし)➡形が筆に似ていることからこの字となったらしい

【海雲】(もずく)➡旧かなでは「もづく」、「水雲」とも書きなかなか洒落た字の当て方

【勿忘草】(わすれなぐさ)➡漢文で読めば「忘るることなかれ」で見るからにロマンを感じさせる

【紫雲英】(げんげ)=レンゲ草の別称➡何故これを「げんげ」と読ませるの?といった難読の中の難読


他にもたくさんありましたがここまでにしておきます。
みなさんはどれくらい読むことが出来ましたか?
私は俳句をやってきたおかげもあり半分くらいは読むことが出来ました。
(ちょっと自慢してしまいました)
私が通っているジャズ・ヴォーカル教室の今度の課題曲は「ベサメ・ムーチョ(Besame Mucho)」となりました。

ジャズで「ベサメ・ムーチョ」と聞くと少し意外な感じを持つ人が多いのではないかと思います。

私自身もジャズでシャンソンの曲として良く知られている「枯葉」や「シェルブールの雨傘」が出て来たリ、アンディ・ウイリアムスの歌で聴いたことのある「シャレード」が出てきたときにはジャズの曲目にあるの?と意外に思いました。

しかしかれこれ3年弱ジャズ・ヴォーカル教室に通っていると、案外ジャズは柔軟というか結構何でもOKみたいな自由なジャンルであると次第に分かってきました。

さて「ベサメ・ムーチョ(Besame Mucho)」ですが、私は若手演歌歌手の川上大輔が歌う「ベサメ・ムーチョ」という曲をライブで聴いたことを思い出しました。
もっともこれは曲名は同じですが曲自体はまったく違うもので、むしろかつて桂銀淑などが歌っていた「ベサメ・ムーチョ」が歌詞の内容は全く違うものの原曲に近いものといえそうです。

ただそれにしても「ベサメ・ムーチョ」がどうもスペイン語らしいというのは分かるのですが、意味が分からずに聴いてきたと改めて思い出しました。
何となく直感的に「I love you」のような意味かと思っていましたが、今回教室で配布された楽譜の歌詞と訳を見て「Kiss me much(a lot)」と分かりました。


帰りがけに本屋でスペイン語辞典を立ち読みしたところ、それぞれ英語に該当する単語は「besa→besar(ベサル)が「kiss」、「me(メ)」が「me」、「mucho(ムチョ)」が「much」になるようなのです。
(スペイン語はどうもローマ字読みでほとんどよいみたいです)
もっとも私はスペイン語は全然知らないのであくまで多分そうではないかと思うとのレベルです。

今回はスペイン語の原曲を英語訳した曲を教室のみんなで歌うことになっています。
英語圏の歌手でもスペイン語で歌う人が多いだけでなく、日本でもスペイン語で歌う人が結構いるようでジャズ・ヴォーカルの先生の生徒の中にも今まで何人かいたとのことでした。


直訳ではなく意訳あるいは全く別物の歌詞になっているのかもしれませんが、以下に転記してみます。



Bésame Mucho

Bésame, bésame mucho
Each time I cling to your kiss  I hear music divine
Bésame, bésame mucho
Hold me my darling  and say that you'll always be mine

This joy is something new my arms enfolding you,
never knew this thrill before

Who ever thought I'd be  holding you close to me
whispering "It's you I adore"

Dearest one if you should leave me
Each little dream would take wings  and my life would be through
Bésame, bésame mucho
Love me forever  and make all my dreams come true


キスしてもっとたくさん あなたにしがみついてキスしているとき
素晴しい音楽が聞こえてくるの
キスしてもっとたくさん 私を抱きしめて あなたが永久に私のものだと言って

これは初めて感じる喜びね あなたを抱きしめるこの腕が
今まで知らなかったトキメキなの

私があなたをしっかり抱き寄せて “私が好きなのはあなたなの”と囁くなんて
誰が想像したでしょう

ああ あなたが私を置いて行ったら 私の小さな夢はみな飛んでいってしまい
私の人生はそこで終わってしまう
ああ キスしてもっとたくさん いつまでも私を愛して
私の夢をすべてかなえてちょうだい





なかなか情熱的というか官能的な歌詞だと思います。

YouTubeで英語詞の「ベサメ・ムーチョ(Besame Mucho)」を探した時も画像は結構官能的なものがあったのは歌詞内容からするとそういうことになるのかもしれません。


これから2ヶ月くらいかけて課題曲として練習し歌っていくことになりますが、メロディは何となくなじんでいるものの歌詞が音符に上手く乘るか、また息継ぎが上手くできるかなかなか難しそうです。

今日は節分ですね。
節分は「雑節」の一つとなります。


雑節とは、今までも何回かこのブログで書いてきました二十四節気・七十二候といった季節ごとの区切り(決め事)が基本的に中国の気候に基づいて名付けられたものなので、一部改訂はされているものの日本の気候と合わない名称や時期もあり、そのため日本で暦に季節の移り変わりを的確につかむため特別な暦日を設け補うようになったもののひとつです。

日本特有の季節変化や日本人の生活習慣や農作業に照らして作られたもので、一般に、今日の節分の他、彼岸、八十八夜、入梅、半夏生(はんげしょう)、土用、二百十日、二百二十日といった季節を表す暦日があげられます。


さて節分ですが、元来節分とは文字通り「季節を分ける」ことから「節分」といわれるわけです。

現在では節分といえば立春(今年は2月4日)の前日の2月3日頃(今日は2月3日ですが節分がこの日以外の2月4日のこともあります)だけを指しますが、それぞれの季節の改まりを示す立春、立夏、立秋、立冬の前日はいずれも節分ということになります。

現在のように立春の前の節分が特に際立って意識される理由は、旧暦では一年の始まりを立春付近に求めたことから、立春の前日は年の最後の日(いわば大晦日)という意味合いを持ったため、このように季節というより年を分ける「節分」ということで他の三つの節分より重要な位置を占めたと思われます。


節分には、年男(今年は申年生まれの人)が神社やお寺などで「福は内、鬼は外」と声を挙げながら豆をまき、多くの家でも豆まきをします。

「鬼は外」は、中国から伝来し宮中で行われていた邪鬼を払って春を迎える「追儺(ついな)」という行事と節分に行われた「豆打ち」の儀式が融合したものだといわれ、江戸時代には一般庶民にも広まりました。

穀物には「邪気を払う力」があると考えられていて、豆をまくことで季節の変わり目に集まる鬼などの妖怪・悪霊を追い払い、福を呼び込もうと考えたのであろうと思われます。


私も今日はスーパーで恵方巻の太巻と豆を買ってきました。
私の小さいときは恵方巻などという言葉は聞いたこともなかったのですが、いつの間にか一般的になったようでスーパーでも山のようにいろいろな種類の太巻が売られていました。
(関西では以前から盛んな行事と聞いたことがありますが…)
バレンタインのチョコレートのように商売上手の人が上手く仕掛けたのでしょうね。

豆は家に持ち帰ったところ妻から蒔くのは散らかるから駄目、食べるのも中国産の豆だと怖いから嫌といわれ出番がなくなりました。
そういえば昔は私も遠慮がちではあるものの「福は内、鬼は外」と言って豆をまいていましたが、最近は近所でも「福は内、鬼は外」の声が聞こえないようになった気がします。
(もともと鬼を追い払うのですから大声でやらなくてはおかしいのでしょうが…)

もっとも豆そのものは遺伝子操作なしの北海道産の大豆だったので明日あたりおやつ代わりに食べようと思っています。
豆は年齢の数か、地域によっては年齢プラス1個というところもあるようですが、いずれにしても私には少し多すぎるので半分くらいにしておきましょう。

ところで、私の父の故郷は群馬県の鬼石(おにし)町というちょっと変わった地名なのですが、ここは「全国から閉め出された鬼を迎えてくれるところ」なのだそうです。
今晩あたりは普段人の少ない田舎町ですが鬼がたくさん集まり賑やかになるのでしょうか。



  節分や海の町には海の鬼   矢島渚男

  節分や昔の闇は深かりき   勝田みつ子

  鬼やらひ二三こゑして子に任す  石田波郷

  年の豆わが半生のひと握り   長田蘇木



今回の男の料理は、いつもとは違い生徒の一人のアイデアに基づく料理とこの料理教室をボランティアで手伝ってくれている女性のレシピで作ることになりました。

これまでは生徒が次回のメニューを話し合いで決め、それを受けM先生が具体的なレシピ(材料の仕入れ量指示を含む)を書いて事前に提供してくださるという流れでした。

実は先生から地元のC級グルメ大会に参加してみないかと生徒に打診があり、生徒の内とても真面目な若干名がメニューを考え(一人ではなく奥さんとの共作かもしれませんが)、申し込み提出したのですが残念ながら書類審査段階で落選してしまいました。

今回の教室のメニューはその落選したものの内Sさんのメニューを生徒みんなで作ろうと決まったものです。
先生いわく「いつもは大雑把な簡単レシピだけれど今回のレシピは手取り足取りの丁寧なレシピなので手を入れていません」と。


それでは以下にそのレシピを転記します。


メニュー  
『野菜とお肉がびっくりポン!(白菜ロール)』・『白菜と大根のさっぱりサラダ』・『きなこもち』

材料 (1テーブル分4人分)
合い挽き 400g、 白菜 (葉6~8枚)、 大根 1/8本、 ジャガイモ 1ヶ、 人参 1/2本、 ブロッコリー 1/4ヶ、 玉子 1ヶ、 玉ねぎ 1/2ヶ、 牛乳 30㏄、 パン粉 1/2カップ、塩・コショウ・ナッツメグ 少々、 スパゲティ 4本、ブイヨン 1ヶ、ツナ缶 1缶
きな粉 100g、砂糖 120g、塩 適当、白玉粉 60g、水 150㏄ 

<白菜ロール> メニュー名『野菜とお肉がびっくりポン!』
① 玉ねぎをみじん切りにして、合いびき肉、パン粉、牛乳、玉子を入れこねる
② 塩(小さじ1)、コショウ(少々)、ナッツメグ で味を調える
③ 上のタネを4等分にしてまとめる。タネを落ち着かせる
④ 白菜をゆでる(4枚)
⑤ ゆでた白菜で③のタネをくるみ、茹でたスパゲティでとめる
⑥ ジャガイモ、ニンジンの皮をむき一口大に切る
⑦ 上記⑤とニンジンにブイヨンをいれ、煮込む(水はかぶる程度)
⑧ ニンジンが少し柔らかくなったら、ジャガイモを入れる
⑨ ブロッコリーを一口大に分け、さっとゆでる
⑩ ジャガイモが柔らかくなったら、グラタン皿に盛り付けブロッコリーを添える
⑪ 上の⑩にとろけるチーズをのせて、オーブンで適当に焦げ目がつくまで焼く。(→我がチームは230度で5分オーブンしました)

<大根と白菜のさっぱりサラダ>

① 白菜を5~6センチ程度に切る 芯の部分はタテに、葉の部分は横にそれぞれ荒い千切りにする 大根も皮をむき洗い千切りにする
② 上記①に塩を振り、混ぜてしんなりするまでしばらく置く
③ しんなりしたら軽く水洗いをして、軽く絞る
④ ツナ缶あけ軽く絞り上にかける

<きなこもち>
 A きなこ・砂糖・塩 
 B 白玉粉・水・砂糖
① 大きめのボールにAの材料、を入れてよく混ぜ合わせ、おいておく
② 鍋にBの白玉粉・水をいれ、しゃもじでかきまわして粒がなくなる程度に溶かす
③ 上の②の粒がなくなる程度に溶けたものを中火にかけ、砂糖を入れる
④ 沸騰させないように弱火にし、かきまわし続けると段々に餅状になっていく。少し透明になる程度まで混ぜ続け、火を止める
⑤ 上記④の鍋から餅状になったものを①のボールに移し、しゃもじでまぜていく。最初はパラパラだが、だんだんになじんでいく(途中から手でまぜた方がなじみやすい)
⑥ ひとつの塊になったらできあがり。棒状にまとめたり、ラップで包んでからまき簾でまくと、まわりが波型になる。団子状に丸めてもよい。お好みです。ラップに包んでおけば、2,3日は食べられる。少し時間をおいた方がしっとりする




<白菜ロール>は意外に簡単にできました。
ただし茹でたスパゲティで白菜ロールを巻いて結ぶのは難しく何本かのスパゲティは途中で切れてしまいました。
またオーブンで敢えて焼かなくても普通の「ロールキャベツ」のように十分美味しいと思いました。


<大根と白菜のさっぱりサラダ>もあっという間にできる料理で、本当にさっぱりしていて浅漬けの漬け物感覚でした。
大根はレシピにある千切りというより味噌汁にいれるような太さだったのですが却って食感が良くOKでした。


<きなこもち>はボランティアの女性Sさんのお母さんのアイデアお菓子なのだそうですが、これまた簡単で砂糖控えめの素朴な味で、さらにもう一人のボランティアの女性Kさんが抹茶を点ててくれたのでとても美味しくいただきました。
ただ実は、我がチーム(というより私)はSさんが見本の実演をしてくれた時に「きなこもち」が多少パラパラしていた感じがして少し水が少ないのではないかと思い、レシピの150㏄ではなく170㏄にした結果ベタベタして団子状にはできませんでした。
味は全く問題なかったのですが、余分なきなこもなくて修正できず余計なことをしてしまったと反省した次第です。


M先生はこの教室の場だけで料理するのではなく自宅で実際に料理することが大事だと思うとこれまでも何回か言われていて、今回も正月に作った料理を写真に撮って持ち寄ることが宿題になっていたのです。
しかしながら私を含め3/4か4/5の生徒は不提出という有様で先生の嘆きは如何ばかりかと。
でも正直私は同じような仲間が多くてとても安心しました。





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今年初めての句会(初句会)がありました。
兼題は「新年の季語」です。

私が一番好きな句はRさんの

  去年今年宇宙を翔ける光あり

でした。

「去年今年」は「こぞことし」と読み、「元日の午前零時を境に去年から今年に移り変わること。一瞬のうちに年が変わることへの感慨がこもる」と季語の解説にあります。

この季語は、

  去年今年貫く棒の如きもの  高浜虚子

の句で季語としての価値が定着したといわれています。


Rさんも当然虚子の句を意識して「時間とは結局何なのだろう?」と考え宇宙に至ったということを説明されていました。

私は「去年今年」を「一瞬の時間の変化」というよりも「永続する時間」「永遠性」の方が個人的にはピタっとくるのではないかと思いRさんの句の「時空の壮大さ」に惹かれました。

「翔(か)ける」も「天翔(あまかけ)る」のように天空を光が飛ぶニュアンスに相応しく、また遠い宇宙の果てから届く138億年前の光もあれば月から届く1.3秒前の光など地球にはあらゆる方向から様々な光が降り注いで溢れている訳ですから「光あり」という言い方もピッタリだと感じました。



さて、その句会でいつも意表を突く句で存在感を示しているNさんにブログのネタを提供してくださいとお願いしたところ、早速に次のようなメールをいただきました。


「そうそう、こんな句は知ってますか?

『You might think but today's some fish.』

漱石が作ったといわれてますが、真偽の定はわかりません。

訳は、『言ふまいと思えば今日の寒さかな』です。」


夏目漱石は、英語の教師であるとともに芥川龍之介などとともに優れた俳句を残していることで知られています。

そしてNさんは外国暮しもされているので、英語力があり「Fish」のスラングを知っていて即座に意味が分かったのだろうかと、私も早速辞書で「Fish」を調べてみました。
でも、日本語訳に相当するような意味は載っていません。


暫くしてふっと「You might」は「ユー マイト = 言ふまいと」 の頓智みたいなものだと気付き、更にまた時間を置き、「some fish」は、「さむ さかな = 寒さかな」とようやく分かりました。
加えて、「but」は、「ば(っと)」と読めば、浮世絵の「判じ絵」ではないですが、とてもひねりの利いた「英語俳句」の出来上がりとなります。


  『You might think but today's some fish.』

  (『言ふまいと思えば今日の寒さかな』)


Nさんは、ブログのネタにこれ以上ないものを提供してくれたわけです。

俳句というのは時々感じますが、語数が少ないので一種の推理小説のように推理力を働かせることがあります。
その醍醐味の一端を違った角度から教えてくれたNさんに感謝です。



因みに「判じ絵」というのは、下の絵のように例えば 「肘の上に木があるので食べ物の『ひじき』」 のように絵解きするものです。







佐藤美術館で開催されている「岩田壮平日本画展」に行ってきました。


先ず佐藤美術館ですが、千駄ヶ谷駅あるいは信濃町駅から歩いて5~6分のところ、慶応病院の裏手のあたりにある目立たない地味な美術館です。
私は今回で3回目の入館となります。


今回改めてパンフレットを読み、もしやと思ってネットを調べたところ創立者の故佐藤行雄氏(1924~2009年)がかつてバブルの頃不動産担保ローンで華々しい存在だった「第一不動産グループ」の創業者だと知りました。
私は同氏が派手な高級外車ジャガーに乗っていたことを実は見たことがあり、その業務内容からも正直あまり良い印象は持っていなかったのですが、この美術館の創立者と知り不遜な言い方かもしれませんが社会貢献的なこともしていることで見直しました。


佐藤美術館は、その「趣旨と活動」のなかで

「佐藤国際文化育英財団は、美術館の運営、美術を専攻する国内外の学生への奨学援助、美術を通じた国際交流による相互理解の促進に貢献することを目的とし1990年3月に設立しました。
当財団の事業の中で特に力をいれていますのが奨学援助事業です。
本事業は1991年よりスタートしたもので、全国の美術系大学より推薦された邦人学生と海外からの留学生を対象とし、奨学金の支給や研究発表の展覧会を開催するものです。
また、当財団の育英事業は奨学金の支給が終わったあとも、様々な形で若い彼等がアーティストとして活動していくための手助けをしております。」

とあるように、所蔵作品が少ないこともあるのかもしれませんが若手の画家を熱心に支援している美術館で、私も以前来た時は気鋭の若手の画家の個展だったのです。
入館者も少なく採算ベースに乗るような美術館ではないことは明らかで良心的な趣旨を掲げている美術館だと理解していました。



さて本題の「岩田壮平日本画展」ですが、予備知識が全くなかったのでその描かれた豪華絢爛たる花の圧倒的存在感にびっくりしました。


チラシの「岩田壮平日本画展」の横に副題として「『野馬荘(やばそう)』という名の画室より」とあり最初意味がよく分からなかったのですが、岩田壮平が「いつでもヤバイほど心にとどまる絵を描くように」という意味を込め名付けたパンチのきいたアトリエの名称と知り見終わった後納得するものがありました。

岩田壮平は、1978年生まれだそうですから現在37歳か38歳だと思いますが、今回佐藤美術館で個展が開かれたきっかけは2015年「第6回東山魁夷記念日経日本画大賞展」で大賞を受賞したことだと思います。

日展の準会員でもあるようで、今回の展示されている絵の中で何年か前に日展に行ったときに見た記憶のある絵が2点ありました。
でもその記憶にあった絵のひとつは東日本大震災直後の情景を白い絵の具一色で描いたもの(作品名「白‐03.11」)で大賞を受賞した一連のど派手な花の絵とはまるで異質の鎮魂を描いたと思われるものです。
もう一つの絵(作品名「すべての花が開くまで」)も暗い基調の絵で同じく全く印象の異なるものです。


この美術館は3階、4階、5階が展示室になっていますが、最初3階から見始め記憶にあった絵を見つけたのでしたが、4階に行って本当にびっくりしました。
華道家の假屋崎省吾の世界を凌駕するかのような鮮烈な花の世界が描かれていたからです。

濃密な花の匂いが立ちこめているような錯覚を起こすくらい花が官能的で迫って来るのです。
特にそれぞれの階で一人だけの見学者であった時間が10分程度あり絵と1対1の関係から一層そのような感覚を持ったのかもしれません。

間近に見ると蕊(しべ:おしべとめしべ)がどぎつい程に丁寧に描かれ、また大きな花に包み込まれるように(あるいは逆に無理やり入り込むかのように)何故か硬質な自転車と作品名からすると花泥棒(画家自身?)が描かれています。

「雪月花時最憶君‐花泥棒」という作品は、縦は2メートルですが横は10メートルもあり壁一面を占めていて圧倒されます。

またいくつかの絵の中には花の上、あるいはまるで空中を小さな小さな蟻がご愛嬌のように描かれています。

花の名前は展示リストを見ると「ポピー、アマリリス、バラ、ダリア、チューリップ、ボタン などなど」で実際の花よりは大きく誇張され描かれています。

花ばかりの中で少し異質なのは錦鯉が2匹重なった絵が屏風仕立てで描かれていました。
鮮やかな青色でとても美しく屏風のせいかより立体感が増幅されているようでした。


なかなか面白い美術展(3月6日まで開催)だと思いますので時間のある方はご覧になってはいかがでしょうか。






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立教大学 活字文化公開講座に行ってきました。

テーマは「絶望を書く、希望を描く ~芥川賞、直木賞作家からのメッセージ~」となっていて、ゲストはともに2015年第152回の芥川賞と直木賞を受賞した小野正嗣さん(45歳)と西加奈子さん(38歳)です。
(以下、敬称略)


最初にパンフにあった二人のプロフィールを記しておきます。

【小野正嗣(おのまさつぐ)プロフィール】
昭和45年(1970年)大分県生まれ。作家、仏語文学研究者。東京大学で学んだ後、パリ第8大学で博士号取得。2015年『九年前の祈り』で芥川賞を受賞。現在、立教大学文学部文学科文芸・思想専修准教授。


【西加奈子(にしかなこ)プロフィール】
 昭和52年(1977年)イランのテヘラン生まれ。大阪やエジプト・カイロで幼少期を過ごす。関西大学法学部卒業後、さまざまなアルバイトを経て平成16年(2004年)『あおい』でデビュー。平成19年に『通天閣』で織田作之助賞、平成25年に『ふくわらい』で河合隼雄物語賞を受賞した。平成27年(2015年)1月、『サラバ!』で第152回直木賞の受賞が決定。著者に『舞台』ほか、エッセイ集『まにまに』、最新刊の絵本『きみはうみ』など多数。


私は二人の作品を読んだことがないのですが、時々作家の対談などに聴衆として参加して結構話が面白いので機会があれば参加の申し込みをしています。

今回の会場は立教大学のタッカーホールというところでしたがほぼ満員で全員が二人の愛読者ということでもないと思いますので、私と同じような動機で参加している人も多いのではないかと思います。


ところで私は西加奈子という作家の名前を初めて耳にした時、私の好きな歌手の「西野カナ」を連想してしまい変なところで関心をもってしまったのです。
実は今回西加奈子の話を聞くのは2回目なのですが、彼女は大阪弁で独特の親しみやすさを感じさせます。

西野カナも私の耳では大阪弁のような雰囲気で語り(出身からすると三重弁とか松阪弁とでもいうものかもしれませんが…)、しゃべり方も西加奈子と乗りやリズムが同じようで妙な共通点を個人的には感じています。

今回のトークでも小野正嗣の話に「ウン、ウン」と相槌を打ちながら熱心に頷いていて(人によっては年上の話にする相槌としては失礼と思う人もいるかもしれませんが…)、私としては率直な印象を受け好感を抱きました。


話の内容ですが、プログラムでは「改めて小説を書く、読むことの魅力について考えます」となっていて一応は次のような構成でした。


【第一部】「異文化と創作」
小野正嗣氏、西加奈子氏がそれぞれフランス、中東での暮らしから得た異文化体験が創作活動にどのような影響を与えたのか。また創作意欲をかき立てるモノやコト。小説を書く動機とは何かについて語り合っていただきます。


【第二部】「言葉と感性」
文学に関心のある(作家志望)学生3名を交えて、小野作品・西作品の魅力を探ります。感性を磨くために必要なこと、表現力を伸ばすためにどのようなことを心がければよいかなどについてお話いただきます。また小説を読む意味についても考えます。


ただこのような舞台でのトークは当然のことながらきっちり筋道だてて展開していくわけでなないので以下では私が印象に残って話を脈絡には欠けると思いますが書き出してみたいと思います。
(聞き取り違い、記憶違いも多々あると思いますので正確ではないと思いますがご容赦ください。なお今回の内容は後日読売新聞に掲載されるということです)


最初に私の全体を通しての感想を述べておきたいと思います。

少し突飛なのですが、昔素粒子物理学の入門書を読んだとき出てきた「ウロボロスの蛇」を想起しました。
「ウロボロス(ouroboros)の蛇」というのは巨大な蛇が自らの尻尾を呑み込んでいる様を指し、ある物理学者が「素粒子物理学研究を進める事によって宇宙の全体の構造がわかる」と考え, それを古代神話に出てくる「ウロボロスの蛇」になぞらえたというのです。
宇宙という超マクロのものと素粒子というこれまた超ミクロのものが一つの輪のようにつながっているという事だと私は理解しました。

つまり今回の講座になぞらえれば、異文化を突き詰めれば日本文化の本質が分かり、また日本文化を突き詰めれば異文化全般しいては人間の有する普遍的な文化の本質がわかるのではないか ということ、ある意味しごく当然のことを改めて考えたしだいです。



それでは二人のトークの印象的なものを書いていきます。

<小野> 大分県の人間関係が濃密な小さな集落で育った。話し言葉は豊かだが本を読んでる人を見たことがないようなところ。フランスに留学している時多文化に接する機会があったが、改めて自分自身の小さな集落、故郷を思うきっかけとなった。


<西> 父の仕事の関係からエジプトで小さいとき育った。そこは肌の色も言葉も貧富でも日本と違い実に様々、全然違うと感じた。自分の手柄でないのに圧倒的に恵まれた生活をしていることに後ろめたいものを感じた。
そんなことからかフラットでありたいという気持ちが強いし、マイノリティーを書くことが多いのはそんな体験があるのかもしれない。


<小野> 地方は閉鎖的なイメージが強いが一方で他所から来たものを受け入れるという面もある。そして閉じられた世界から異質なものにつながっている、開かれているという感じを持っている。


<西> 高校生の時自分が衝撃を受けた文学(モリスンというアメリカの黒人女性作家)は友達に言わなかった。小説はシェアするという感覚はなく、自分だけに語っている大切なものと感じた。


<小野> 大学で初めて留学生を含めて様々な人間の集まっているところに居て自分の生き方、文化を振り返ることになり再発見をすることになった。


<西> アメリカの作家アーヴィングの影響をすごく受けている。その小説にはまるですべてのことが書いてあるように思えるしそれも「ジャーン、ドーヤ!」といった風ではなく改行なく淡々と書いてあることで却って「何故、何故」といろいろ考えさせられてしまった。
『サラバ』では小説の筋のための不自然な展開は絶対にしないように、ナチュラルにしようと心に決めていた。


<小野> カリブ海を舞台にした海外文学で気づいたのは一般的にはイメージとしては明るいものがあるのだろうが、陽が強い故に却って影が濃くなるという面があるということ。


<西> 大阪に帰って来た時カイロと生活の乗りのようなものがすごく似ていると感じた。東京に来ると大阪がエキゾチックに思える。
ローカルなものドメスティックなものを突き詰めていくと世界文学、グローバルなものにつながっていく気がする。


<小野> 作品の中でステレオタイプの母親に愛されている子供ではなく、ネグレクトされ見放された子供が出て来るが事前に書こうと思って書いているのではなく作品が要請してくるような感覚。社会の周辺に追いやられた人を書くことが多いようだが何故なのかよく分からない。
また登場人物として様々な人物を描いているようでも実は同じ人物を描いているのではないかと思う事がある。
「作家性」例えば「西加奈子的なもの」というのは同じテーマとか人物像を書き続けているのかもしれない。


<西> インタビューを受けた時に、書いている時には思いもしなかったことをインタビューに同じように答えるうちに後でそうだったんだと思いこむような気がする。


<小野> ナチスのアイヒマンが自分に都合の良い綺麗なストーリーを作ってあたかも自身でもそれが真実であったと思いこむようなことを次元は違うかもしれないが多くの人はしている、記憶を捏造しているのかもしれない。


<西> 本を読むことが楽しくなくなったら地獄だと思うが幸いそのようなことはない。作家になってからの方がメチャメチャ読むようになった気がする。ワクワク感は変わらない。


<小野> 作家になってから注意深い読者になったと思う。その作者の心情がより分かるようになった気がする。自分が書いたことにしたいと思うような気になることもある。


<西> 東京は「女子アナ」のような感じがしている。大好きだが例えば中央線の沿線が画一化されていくような気がするのは残念。


<小野> 地方の方がもっと均質化が進んでいるような感じがする。東京の劣化コピーのような印象を抱いているような人もいる。根が田舎のオジサンだから息苦しい感じがして田舎の風通しの良さが恋しくなることがある。


<西> 就活はしなかった。就職氷河期だったので就職せずアルバイトすることが劣等感にならなかった。これだけが世界だ、すべてだと思うとしんどいことになる。


<小野> 自作で老人と子供の境、自他が曖昧なのは外観だけでは分からないものがたくさんあると思っているから。また田舎での子供時代を思うとオッチャンが実は今老人であるが自分にとっては相変わらずオッチャンであり客観的な時間と自分の時間とは少し違うような感覚と似通うものがあるのかも。


<西> 昔は田辺聖子の作品のように書き言葉の大阪弁があり話し言葉とは違っていたらしいが、今は話し言葉の大阪弁がそのまま書き言葉になっている。ストレスがない。


<小野> 大分の方言は通じないので書き言葉としての大分弁になっている。
英語でも実は放言があるが綴り自体が変わりその方言が表現される。



メモから多少当日のトークの再現を思い出し思い出しして書き起こしたのですが、音楽のライブ以上にその場の雰囲気を出すことが難しいと思いました。

二人の会話は結構真面目で深い話をしているのですが、ユーモアがあり大らかな語り方をしている部分もあるのですが字面にすると(もちろんこれを書いている私の非力が大きいのですが)臨場感が全く伝わりません。

多分後日掲載される新聞の記事も同様かなと思っています。
ただ内容は抜粋でしょうが当然そちらの方が正確だと思いますのでご覧になってください。


下記の写真が、西加奈子さんです。西野カナにちょっと似ていませんか。