今年(2025年)の5月上旬に、自分が精神修業の為に滝行をさせて頂いた某お寺のご住職さんに「生きていく上で何事に対しても盲信をしてはならないよ。盲信は、邪教の始まりだ。」との御教授を頂いた。ご住職さんはその意味を深くは語られなかったが「盲信は邪教の始まり」と言う言葉の意味を自分自身の解釈で噛み砕き、例として挙げてみる。
例えば、アニメや映画の登場人物によく出てくる頭の堅いタイプのモブキャラが「○○さんは絶対的な正義の存在!!○○さんが仲間を裏切る筈がない!!過ちを犯す筈がない!!」と、そう確信に至る明確な根拠も曖昧ながら盲目的なまでに尊敬する人物を最後まで信じ抜くんだけど、結局は簡単に裏切られて惨めに捨て駒にされる「アレ」に近い感覚のものだと思っている。
この例えなら「モブキャラの尊敬する○○さん=教祖」「頭の硬いモブキャラ=盲信者」と言う関係性からご住職さんの仰有った「邪教」と言う言葉のニュアンスにも合う気がする。
ところで以前、某人物から「お前は風水や幽霊の存在を信じているような奴だから変な宗教にハマりそうだな。」と言われた事がある。「自分に限っておかしな宗教にはハマらない」と言う過信や楽観も「盲目的、盲信的」である事を踏まえた上で敢えて言わせて貰うなら「少なくともそれ(過信と盲信)が起因して致命的な事態にまで至る」ような事は無いと、今のところは思っている。
確かに自分は「幽霊や神様の存在を信じている」んだけど、これは主観的に見て人生の経験上「幽霊や神様が存在する根拠の方が大きい」からと言う理由であって無根拠に妄想や盲信をしていると言う訳ではない。
だから逆に「存在しない確実な根拠と証拠を納得出来る形」で示してくれるのであれば自分はあっさりと手のひらを返し、次の瞬間にでもこれまでの「幽霊や神様は存在する」と言う主義主張を驚く程簡単に撤回するだろう。
自分は昔から「何かに対する執着や固執」がとても薄い。好きな音楽を漠然と何年にも渡って聴き続ける事はあってもアーティストそのものに対して尊敬や愛情を持ち続けている訳では無いので、そのアーティストに関するスキャンダルのニュースを見れば「真偽に関係無く」普通にドン引きするし「これには何か理由がある筈」だとか「何かの間違い」だとかの希望的観測や深読みをしたりもしないし、かと言って表立って批判をするような事もしない。正直「どうでも良い」から。
今回は自身に関する深い事情に関しては語らないが、客観的に見て自分は昔から普遍的な欲や感情の一部が欠落している傾向が見られ、これまでの人生で異性に限らず誰かに対して「恋愛感情」を持った事が一度として無い(但し性欲及び性癖や好みの傾向はある)。
今でも誰かに対して「尊敬しています」とか「憧れています」と言った発言をする事は時々あるが、その言葉自体は決して嘘では無いと思っている。
ただ、次の瞬間「そうでもなくなった」或いは「どうでも良くなった」と言うだけの話で。
それと、このブログで宗教に関してネガティブとも取れる話題やワードを幾つか出したけど個人的には「宗教」に対して批判するに足る何の知識も持たなければ実害を被った事も無いので何の偏見も無いつもりだし、何なら本当に「良い」と感じたなら極端な話、入会する事すらも厭わないくらい。
ただ、自分は馬鹿なりに「考え方」に関しては常により良いものを良いとこ取りしてアップデートしていると言う自負があるから、旧態依然と言うか「1つの考え方に固執する」と言うのは無理かな。ついでに「集団」での活動も無理。