日常において滾るような想いを抱く瞬間はそう多くありません。自らの性格を省みても引火点は低く保ちつつあるもののそれを継続的に燃やし続けるための、或いは大きく爆発的に燃焼せしめる何かが足りないのかもしれません。徒只管に薪をくべるようなことはなく、手を止めて温度を確認し、残りの薪を数え、隣の釜の様子に気を散らす。そのくらいが丁度いいと思っているのかもしれません。但し一方ではその自分すら俯瞰し、足りない何かを路傍の人に見出し、嫉妬にも似た思いを胸の内で焦がしている自分もいるのです。

好きなだけ。楽しいだけ。嬉しいだけ。一片の曇りもなくそれだけで続けられるすべてはとても幸せです。何れ差し込む光で、陰る日差しを寛容できるならそれもまた然り代え難い喜びです。熱情は瞬間的に燃え上がる炎のようであり、永続的な僅かな灯のよう。

32歳になりました。良くも悪くも変わらぬままに。





31歳、経験者に○をする。





日曜にフープワンの大会がありました。もう何回目の大会になるでしょうか。
会場も対戦相手も意気込みも気負いも喜びも悔しさも帰り道の興奮もビールの味もその度に違います。
それはバスケをする自分自身が変わっていくから。変化の度合いを感じることは出来ないけど、確かにそう。


その場にいるみんなでよろこぶと、その分だけよろこびも大きくなります。
その場にいるみんなでくやしさを分け合うと、その分だけ心も軽くなります。
この感じ。身体に沁みます。


バスケだから楽しい。というより楽しいからバスケ。
ボールひとつで紡ぐ喜び。
言葉にするには惜しいくらいの。






31歳、働き盛りにバスケを嗜む。


ここ最近は毎週いつもの体育館でバスケに励んでいます。
目下の課題は体力。
まだこれから暑くなるというのに、こんなにも汗をかき、こんなにもバテてていいのでしょうか。
嗜むなんてスマートなものではないですね。

ただ、1週間に1回バスケができる。
先週より今週、今週より来週。確かにバスケが身体に馴染む貴重なリズムです。
いろんなもののバランスを取りながらそれこそ嗜むなんて言葉が使えるのは、ほんとはバスケがあるからこそ。
今はそのくらい大事なものです。




インターフェア


これはHPの「頭の体操」にもありました。
少し前まではバスケット・インターフェアと言われていたそうですが、

シュートされたボールがリングの上にある時に、ボール、リング、ネット、バックボードに触れた場合に課せられます。ネットの下から手を突っ込んでボールに触れた場合なども含まれます。

こんな感じです。ちなみに「頭の体操」のインターフェア、選択肢がいいですね。
ボール、情熱、障害物。とりあえず情熱選びます。



パスを繋いだ。相手をかわした。狙いを定めた。力を込めた。
幾重の段階を経て放たれるシュート。
ある一定の高さまで触れられることなく到達したボールにはもう誰も触れてはいけない。
ボールはおろかその先のリングやネットにさえ。

というルール。いいですね。
と勝手に解釈し勝手に納得しています。




意識から離れて身体が反応する時ほど、ボールはありのままの弧を描く。
結晶のような放物線です。
だからインターフェア。
触れないで。



31歳、足がつる。



そうです、練習で足が攣りました。

筋肉はスジと連携して伸縮することで体を動かしているので、筋肉内の酵素とグリコーゲン(筋肉や肝臓に貯えられる炭化物エネルギー源)が枯渇した時に痙攣が起こるとみられています。
また、また肝臓に貯えたグリコーゲンが枯渇し、筋肉に供給できなくなった時に起こる場合もあります。
さらに、体内の水分が汗で失われ、体液濃度が上昇することで細胞間を行き来する経路のエネルギーが途絶えることでも発生します。

みたいです。
水分補給には充分気を使ってますが、滝のように流れ出す汗が足の攣る原因かもしれません。
夏に向けて不安が募るところです。




練習の前にプレーを描く。そして練習後にプレーをなぞる。
ただ練習中、疲労困憊で繰り返すプレーの中では思考の入り込む余地はないようです。
今のところ。


やみくもに走っているわけではないし、ただただみんなのプレーを目で追っているわけではないので、当然そこに思考は働くわけですが、その伝達速度というか科学反応というか身体の瞬間的な閃きを繋いでひとつのプレーが完成する感じがとても好きです。



身体が覚えてる。


この感じ。憧れます。
パスを繋いでボールを運ぶ。身体で覚えたものすべてでゴールを目指す。
得点を重ね、試合に勝利することを頂点とするバスケの過程はボールが絶えず誰かの手を経由する。
チームメイトであっても対戦相手であってもそれは会話であり対話です。
思考や感情の及ばないある意味極限で交わす言葉です。




きっと。
繋いでいるのはボールだけではないはずです。




31歳、家に帰るまでがバスケです。



金曜は2週間ぶりに練習がありました。そして筋肉痛です。
長い時間を培って体に染み込ませたものではないから、それが失われていくもの早い早い。
技術であったり、体力だったり。






その昔、部活に3年間を捧げました。1年、365日練習してました。
思い出すだけで、息切れがするような練習を朝、夕と繰り返し、部活が終わってから
近くに体育館に行ったりもしました。
試合に負ければ、烈火のごとく叱咤され、試合に勝っても「勝ち方が悪い」などと詰られ、
3年間で3回、坊主になったりもしました。
手が出るわ、足が出るわ、とにかく厳しく恐い先生でした。
でもどこかで感じてました。その真剣さみたいものを。

今でも覚えています。
2年の冬、招待されて参加した大きな大会であっさり負けた時、先生は隠れて泣いていました。
3年の夏、僕らが東京都代表の決まる3位決定戦に勝った時、先生はとにかく嬉しそうでした。



3年間を通じて、けなすことはあってもほめることをしない先生に一度だけ褒められた記憶があります。



「よくがんばった。」



それは、関東大会2回戦に負けた時。引退となる最後の試合のあとでした。





技術でも体力でもなくて、体に降り積もる色褪せないものがあるなら。


今でも覚えています。
最後の試合がどんな試合だったか覚えていなくても、
その時の先生の言葉とその時の言葉にできない気持ちを。
バスケのユニフォームを手にした時や、試合で初めてシュートを決めた時の湧き上がる喜びを。



刻む。というより刻まれる。
強く。というより深く。





来週も練習です。
できれば技術も体力も後退してほしくはないけど、だからこそってこともありますね。
バスケをしていて、喜びに勝るものは今のところありません。
おそらくこれからも。




31歳、バスケは夢の中でしています。


上達したと言われます。
自惚れでも不遜でもなく自分でもそう思います。

どこまでいけるのか。まだ限界を知りません。
初心者の初心者たる喜びのひとつですね。



限界を決めた時、人は限界を知る。
そう、誰かが言ってました。



ただ、
上達することだけがバスケの楽しみではないことも知りました。
価値を見出すなら、その始まりから終わりまで角度の違う喜びが交差しあう。
プレーにしてもそう。
それぞれに個性があって、真似出来ない良さがある。

でも思う。
何か特別の、人にはないものを持ちたい。
これだけは他の誰にも負けない。そんなプレーを。



あなたにできることのすべてはあなたにしかできないことです。
そう、誰かが言ってました。



同じ想いを抱くすべてのひとへ。


31才、さすがに仕事の後は疲れます。



とは言いつつも、金曜は喜び勇んで練習に向かったのでした。
ただ残業に足を絡めとられ、残すところ1時間での参加でした。正直悲しい。

バスケをする人、いや何かしらスポーツをする人であれば、
尊敬するプレーヤーや理想とするプレーのひとつやふたつあるのではないかと思います。
多分に洩れず僕にも思い描くプレーがあり、目を閉じた世界では華麗なプレーの数々が日々繰り広げられているわけです。
もちろん実際には簡単に出来るものではありません。
救いなのは、理想と現実のギャップに苛まれるまでもないこと。
ギャップというには開き過ぎて完全に別物ですから。



それでも確信に似た、見つけた。という感触。



揺らぐことがないのは、
きっとそれがまだ遥か遠くにあるから。
それでもわずかに見えるから。


でしょうか。
31歳、忙しくてもバスケします。


明日はひさしぶりの練習です。大会以来のバスケです。

近頃は始めたばかりの感触とは少し違うまた別の期待と不安みたいなものがあって、
もっとうまくなりたい。
いろんなことを知れば知るほど、気持ちが傾倒していきます。

ひとつの確信は、
基本は大事。

連鎖する確信は、
そう思うと、基本を育む練習がすごく楽しい。


いつか繋がる。
そんな気がして、胸が高鳴る。





バスケを知って早1年。
31歳、仕事もするし、バスケもします。



少しずつバスケをする仲間が増えていって、
会社近くの体育館で定期的に練習をし、ついには部活動として会社より承認される。

会社にバスケがしたいという人達がいて、
その想いを昇華する場所があって、ついには会社という後ろ盾ができる。



こんなにも恵まれた環境があります。偏に感謝です。
きっとバスケがしたくても、思うようにはできないひともたくさんいるはずなのに。


バスケがしたい。


その気持ちのすがたかたちがどんなものか。
今は少しだけわかる気がします。
あの時。三井寿の言葉も。




バスケができない理由も、バスケに対する想いも、バスケに触れてきた時間も、
まだまだ誇れるものではないけれど。
これだけは胸を張って言えます。


安西先生、もっとバスケがしたいです。


きっかけはユニフォーム。



会社の喫煙所でみんなが話していました。今度バスケチームのユニフォームを作る。

思いました。なんだか欲しい。


今までバスケとは何の縁もなく興味もなく生きてきましたが、この突飛で唐突な出会いがはじまり。
それがちょうど一年ほど前のことでした。





5月3日は大会でした。フープワンのゲータレードカップ。
2チームに分かれて出場しました。結果は4位と6位。8チーム中です。
結果はこれでも大善戦。下手な自分が言うのもなんですが、参加当初に比べればずいぶんバスケしてます。

それはともかくとして、とにかく楽しい。いろんなことが楽しい。
大会に出ることが決まって、大会に向けてチーム分けをして、練習すること。
夜寝る前に思いを巡らすこと。その日だけコンタクトをすること。
会場近くの待ち合わせ場所に着くとどきどきすること。
初めての会場や初めて会う人たち。強そうだとか、上手そうだとか口々に飛び交う言葉とか。
大粒の汗をかくこと。一生懸命走ること。声を出すこと。応援すること。
嬉しいと悔しいがせめぎあうこと。それをビールで流しこむこと。

今の自分にはそのすべてがバスケをすること。
みんなでやる。いろんなもの共有して。
だから楽しい。