1847年、エジソンはアメリカのオハイオ州に生まれました。
エジソンは、小さいころから、なぜそうなるのかという好奇心で溢れていました。
なぜ、ダチョウは卵の上に座っているの? 卵を温めると赤ちゃんが生まれるのよ じゃあ、ぼくもやってみよう! といって、何時間も自分で温めたりしました。
なぜ、火は燃えるの? やってみよう! といって、自宅の納屋で火をつけて納屋が火事になりました。
小学校に入り、1+1=2と習うと、なぜ1+1=2なの? 粘土で1+1をすると大きくなるだけで1になるよ?
小学校では先生に、なぜなぜを問いかけ続けて、3ヵ月で学校に来ないで下さい、と言われてしまいました。
『自然界の秘密を解き明かすのに、人間の理性に頼っていては駄目だよ』
『アインシュタインのような、常識にとらわれない発想の持ち主が多ければ多いほど、世の中はよくなる』
『大事なことは、君の頭の中に巣くっている常識という理性を綺麗さっぱり捨てることだ。もっともらしい考えの中に新しい問題の解決の糸口はない。』
『悪魔が存在したとすると、新しいものに目を向けないという意味での無知の悪魔である』
『完全に満足しきった人がいたら、それは落伍者だ』
それからは、お母さんがエジソンに勉強を教えました。
なぜ?という好奇心の強いエジソンに、お母さんは「自然科学の学校」という本をプレゼントしました。
それから自分でもやってみたい!と実験をするようになりました。
エジソンの家は収入が少なく、エジソンも収入を得るための仕事を始めました。
電車の中ではみんな退屈している。それじゃ、新聞を売ってみよう!自分でも新聞を書いてみよう!という具合に、商売でも自分で新しく発案しました。
その収入を家に入れながら、自分の実験道具や本なども買っていました。
自宅では、地下室を自分の実験室にしていました。
この頃、病気の後遺症や怒られて耳を殴られるなどで、耳があまり聞こえなくなりました。
15歳の頃、駅長さんの娘さんが、電車にひかれそうになったところを助け、それをきっかけに駅長さんから電信技術を学び、17歳の頃から電信技術者としての仕事を始めました。
電信技術者の仕事にはとても退屈な夜の仕事もあり、それを自動化させる発明をしたりもしました。
21歳の頃から、本格的に発明家として活動し始めました。
初めて特許を取った「電気投票記録器」(議会での賛否の数を自動で集計する装置)を作りました。
ところが、議会では賛否の時の意見討論が大事なのでその機械は必要がない、と言われ、売れませんでした。
それからは、相手のニーズをちゃんと聞いて、発明をするようになりました。
『まず世界が必要としているものを見つけ出す。そして、先へ進み、それを発明するのだ。』
『売れないものは発明したくない。売れることが実用性の証明であり、実用性が成功を意味する。』
『私の発明は、すべての人にとって役に立つ物でありたい。そして、世界の平和に貢献するような物でありたい。』
次に発明したのが、「株式相場表示機」(紙テープに銘柄と価格情報を刻印する機械)でした。
この機械は大きなニーズがあり、約2500万円で売ろうと考えていましたが、約2億円で売れました。
この2億円の資金を元に、ニュージャージー州メンローパークに、自分の研究室を建てました。
そこで発明集団をつくり、エジソンのアイデアを実験し、試作機を作り、商品化しました。
30歳の頃、蓄音機(音を録音する機械)を作りました。後にエジソンは、最大の発明は何かと聞かれ、蓄音機だと答えています。
『いちばん気に入ってる発明は蓄音機だ。コンサートに行かなくても家庭で楽しめる。』
蓄音機の発明により、発明家としての大きな名声を得ました。
その後も発明をし続け、1年間に40ほどの特許を取り続けました。
そして、エジソンは「メンロパークの魔術師」と呼ばれるようになりました。
エジソンの発明するための仕事は、とても意欲的でした。
『私は一日たりとも、いわゆる労働などしたことがない。何をやっても楽しくてたまらないからだ!』
『自分は毎日、18時間働くことにしている』
『私が成功することができたのは、仕事場に時計がなかったおかげである』
『今取り組んでいることに関心を持ち、全力を傾けてそのことだけを考える。時計を気にせず、ひたすら続け、休みたくなったら必要なだけ休む。休んだあとは、また同じ集中力で作業に取り組む。』
『ウィスキーなどで紛らわすのではなく、何かを生み出す仕事をした方が悩みの解消になる』
更に白熱電球を発明しました。この白熱電球に適した素材を見つけるまでに、何度も何度も失敗を重ねつつ、1年以上を費やしました。そして、日本の京都の竹が適していることを見つけ、商品化できました。
これにより、夜は暗くて寝るだけの生活が、夜の時間も有効に使えるようになりました。
『私はこれまで、偶然のひらめきで、価値ある発明をしたことなど一度もない。全ての発明というのは、その発明に関わった人の想像を絶するような熱意が注ぎ込まれているものなんだよ。』
『失敗したわけではない。それを誤りだと言ってはいけない。勉強したのだと言いたまえ。』
『私は失敗したことがない。ただ、1万通りの、うまく行かない方法を見つけただけだ。』
『私たちの最大の弱点は諦めることにある。成功するのに最も確実な方法は、常にもう一回だけ試してみることだ。』
『絶え間なく、粘り強く努力する。これこそ何よりも重要な資質であり、成功の要といえる。』
車も発明しました。この発明により、行ったことのない所へ、自由に手軽に行けるようになりました。
この車事業は、エジソンの元で働いていたヘンリー・フォードが、事業化しました。
『自動車の重要な使命は、新しいチャンス、新しい機会を切り開いてくれるというところだ』
それ以外にも、映画を作る機械類、蓄電池、電話機の実用化、などを発明しました。
『機械によって人間の思考が解き放たれ、もっと創造的な時間を大切にできるようになるだろう』
『機械は生活を便利にした、将来はもっと便利になるだろう。しかし、用心しなくては人間が機械に使われるようになってしまう。』
エジソンが発明し取った特許は、2,186件にもなりました。
『他の発明家の弱点は、ほんの一つか二つの実験でやめてしまうことだ。わたしは自分が求めるものを手に入れるまで決してあきらめない。』
『私は、ひとたび自分が正しいと思う道を歩きだしたら、ゴールに到達するまでペースを崩さない』
晩年には、霊界通信機(死んだ霊人さんと話をする機械)の発明に乗り出していました。そして、実験を繰り返し、エジソンのなかでは理論はある程度できていたようです。
『亡くなった人の霊、あるいは意識と言える「魂の波動」を捉えるために機械である』
『死後の世界を探求しようとする人たちが、きちんと科学的な基礎、土台に則って研究ができる。そういうことを私はサポートしたい。』
『私がこれまで手掛けた最も繊細な機械だ』
エジソン自身、自分の発明のアイデアは、霊的な世界からのインスピレーションを受けながらやっていました。
『1%のインスピレーションと、99%努力(初めのアイデアが間違っていると、それを元にする努力が無駄になる』
しかし、霊界通信機が発明される前に、84歳でこの世を去りました。
現在、エジソンが遺した多くのメモ(3,500冊もある)から、まだエジソンが形にしていない発明を形にしようとしていますが、霊界通信機のように、現代の科学技術をもってしても、理解不能なものもあります。
エジソンの多くの発明によって、私たちは多くの恩恵を受け、便利で楽しい生活が実現し、新しい体験をどんどんとできるようになりました。
音楽を家で楽しみ、夜でも明るい生活ができ、映画という大きな楽しみを体験し、車で行ってみたいところへ好きに行けるようになりました。
『新しいことがどんどんなされていかないと、世の中は進歩しない』
『機械をうまく使いこなせば、人間の持っている能力や時間、価値が非常に高まる。それにより、人間の知的レベルが進歩していく。』
『変化なくして、前進も進歩もない』
『機械を自由に使いこなす分だけ、人間の心も進化する』