2014年7月8日
AM 10時16分
父が亡くなりました。゚(゚´ω`゚)゚。
58歳でした。
葬儀も無事に終わり、
いろんな手続きで
バタバタしていますが、
私はどうにか頑張っています。
7日の朝、血圧が70前半で、
看護師さんに
いつどうなるかわかりません
と言われました。
夜、病室で身内会議をしました。
我慢強い父で、痛いも苦しいも
あまり言わない父ですが
ここ最近、しんどそうでした(´;ω;`)
私はもう寝させてあげたいと
4日頃から思っていました…
先生や看護師さんの提案は
モルヒネ(このとき1.2ml/h)を増やして
アタラックスP(うとうと薬)を増やす。
または
鎮静剤(ミダゾラム)で意識を下げる。
血圧がもうかなり低いので
スーッと逝ってしまいます。
私は鎮静剤がいい!
苦しんで生きんでいい!
と言いました。
兄も叔母ちゃんも黙っています。
朦朧としながらもハッキリ意識のある父。
お父さん聞こえとるやろ?
どっちがいい?
「鎮静剤でええ」
ハッキリ言いました。
お父さん!ごめんなぁ。゚(゚´ω`゚)゚。
「何で謝るんや」
またそんな会話をしました。
●20時15分 鎮静剤
朦朧とする時間が増えていたのに
このときハッキリ戻ってきていて
0.5ml/hから初めて、
急ピッチで上げましたが
なかなか眠りにつけず…
めちゃくちゃ焦りました(T_T)
苦しむ父を助けたかったです。
結局アタラックスPを追加してもらい
痛みや苦しみに約2時間耐えました。
孫2人とは最後のお別れと
父は分かっていたようです。
苦しいけど一生懸命手を振り
お別れをしたのです。
姪っ子はまだ11ヶ月で
まだ手を振ったり振らなかったりですが
このときは病室を出るとき
満面の笑みで手を振っていました。
やっと眠りについて
何の反応もなくなったとき
私は安心と同時に、
父の死を早める自分の
無力さを悔やみました。
誰も私を責めはしません。
それはわかっていますが…
私が鎮静剤がいいと言ったから(´;ω;`)
夜中、
干潮時間付近、特に気をつけていました。
酸素を3ℓからはじめました。
血圧が50まで落ちました。
反応はありませんが
耳は聞こえている。
…と言われています。
独り言を言いながら
お父さんに付き添いました。
目は完全に閉じておらず
たまに瞬きをさせてあげないと
乾燥するので
「目痛いやろお父さん」
言いながら、まぶたを下げます。
酸素マスクの耳にかけるゴムが
少し痛そうだったので、
「耳痛いやろ?ゆるめるよ~」
言いながら、ゆるめます。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20140711/18/el-luna-le/d1/5f/j/o0480052113000102689.jpg?caw=800)
お父さんと手を繋ぐのは
何年ぶりでしょうか?
私が握ってるだけですが
最後に撮っておこうと思いました。
朝になると
叔母ちゃんが来てくれました。
顔を洗ってコンタクトを入れて
お父さんを見ると、呼吸がなんか浅い!
看護師さんを呼ぶよりも先に
叔母ちゃんに叔父を呼んでもらい
私は兄に連絡しました。
看護師さんに先生を呼んでもらいました。
「私が鎮静剤がええって言うたから
お父さんの寿命を早めてしまった…
ごめんな(´;ω;`)」
今にも呼吸が止まってしまいそうな父に
私がこう言うと、
「違う!違うよ!LUNAちゃんの
せいじゃない!本人が選んだんよ!」
と叔母ちゃんが否定してくれました。
叔母ちゃんのこの言葉がなかったら
どこかでずっと自分を責めたまま
この先を生きていたかもしれません。
救われました。