
かえって怖いような気もするけど^^;(本文とは関係ありまへん)
先日のひな祭りは、フランスでは「おばあちゃんの日」(3月の第一日曜)だったようだ。
おばあちゃんが家に来て、花をあげたらすごい喜んでくれたんだと・・・
おばあちゃん子だったと宣言しているようなJulienの弁(笑)
昨日、いまどんな勉強をしているの?と問うと、
「現在は過去にどのように働きかけるのか?」と突然の質問文。
一体、こいつは何を言い出したのかと思えば、
このような論証を求めるのがフランスの試験だという。
数学的、そして非常にフランス的だとも。
確かに以前聞いたことがあったのだけど、やはりそうだったんだ。
ただ、フランスの医学部ではこのような問題はないと付け加えていた。
日本でも同様。あえて言えば小論文形式の受験問題に近い。
しかし、非常に難しいというか、目からうろこが落っこちた感じだった。
ここら辺にフランス人の何かが潜んでいそうな気がする。
今日は晴れていて寒いけれど、外に散歩に行くと言っていた。
私と一緒に行きたいと冗談でいうのだけど、
その顔には、何かこころの晴れない憂いがある。
試験をクリアして学校へ通い新たな仕事に就こうとしている。
いつゴールへたどり着けるのかは彼自身もわかっていない。
気持ちが折れないことを祈っている。
元気のないときに、会話の中によくでてくる
「僕は多くの人との関わり合い方がわからないんだ」という
セリフは人とのコミュニケーションにトラウマがあるようで、
孤独を感じているのが伝わってくる。
私には多くを話してくれるので、全く心配していないのだけど、
彼のこころの奥ではやはり大きな問題であるようだ。
話し方も目つきもまったく問題ない。
(精神を病んでしまっている場合は、明らかな徴候が認められるため
この2点だけでも重要な手掛かりになります)
こころに偽りのない澄んだ目を見るにつけ、
何がいけないのだろうと職業柄つい探ろうとしてしまうが、
一時の情緒不安で終わってもらえるよう願っている。
唯一必要なサポートはひとりにさせないことだ。
かつて生きることをやめたいと追いつめられていたことが
何度かあったため、やはり目が離せないでいる。
私たちは、異言語を持ちながら、
ほとんど不確かな言葉で認識し合っている。
それでも、言葉には魂が宿っているかのように
互いが理解しているように思える。
言葉がなくともこころを震わせられる音楽のように
通じ合うものがあるのかも知れない。
Julienは非常に耳がいい。
音の持つニュアンスで感情を感じ取っているのか、
あるいは、私のメッセージの行間まで読み取っているかのように
思えてしまうことがある。

空間を漂う音楽
静かであって そして情熱的に流れる
Phillip Glassが語るものは人の生そのもの