独りおのれを守って妄動せず、外からの刺激に対しても無感動なので背中の肉に例える。背中の肉は人体の中で最も不動無感の箇所。このような態度であれば人を感じさせることができぬまでも人の感じにひかれないから悔いはない。志が瑣末なことである。天下の人が皆おのれを損してこの君を養おうとつとめる。貝貨20枚分つまり価値の高い亀甲で占っても外れるはずがないほどに元吉の象である。人のみならず天からも助けてくれる。陽剛中正、君主の高位に在ってその徳力で在下の小人(初六)をおおらかに包容する。たとえて言えば杞(杞柳・かわやなぎ)の枝で編んだ籠の中に美味しくて潰れやすい瓜をそっとしまい込むようなもの。また剛中の徳を持ちながらも、その徳の美しさ(章)を包んで晦まし、かくして小人を包容することにつとめれば、やがて天の時が至って、彼自らが転落して、剛正の君主に包容せられる。これが陰柔の小人を遇するゆえんである。中正の徳を備えているからである。志において天命を忘れないで天の時を待って小人を包容するのである。陰柔居尊、いまだ陰陽の調和よろしきを得た状態とは言えぬから、我が西郊より密雲が起ってもまだ雨にならぬとたとえられる。そこでこの君公としては弋(矢に糸をしかけて鳥を捕らえる道具)で穴にひそんでいる鳥を捕らえるように、下位の穴の中に居る六二を探し当てて自分の補佐としなければならぬ。陰陽の調和を得られぬからである。四陽の最上位、つまり大過陽の勢いの過ぎることの極地であり正応がないのですぐ上に居る上六の陰と比しもうとする。盛りを過ぎた陽がさらに年老いた陰と親しもうとするのであるから例えていえば枯れかけた楊柳に仇花が咲き、年老いた婦人(上六)が夫(九五)を得たようなもので、しょせん夫婦生育の功はおぼつかない。咎もない代わりに誉れにならぬことである。