こんばんわ。
このブログが皆さんの目にふれているという事は、
すでに私はこの世に存在していないだろう。
ウソです(´・ω・`)バルバソです。
なんかカッコイイセリフが言ってみたいお年頃です。
「あの人ってダンディーじゃない?」
とのウワサを、
自ら流し始める時期を伺っております(`・ω・´)
そういやあれっすよね。
「眼球を圧迫しながら寝ると、目覚めた時にあまり見えない。」
ですよね。
ロダンの考え事してるふりしながら寝てたら、
起きて本読み出した時に全然見えないで困りました(´・ω・`)
・・・え?そう。仕事中に・・・
というわけでこちら
- いつもの朝に(下) [ 今邑彩 ]
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今邑彩さん著、「いつもの朝に(下)」です。
母の過去。自分達の出生の秘密を知った兄弟。
ただでさえ受け止めがたい真実に、追い討ちをかける隠された事実。
それは14歳の少年にはあまりにも過酷な現実だった。
書き置きを残し家をあとにする兄桐人。
兄の行き先に気付き後を追いかける弟優太。
二人に起きたことを知るも、二人の身を案じ受け止める母沙羅。
家族の絆は時に強く時に優しくそして時に厳しい試練を与える。
家族の迎える結末は全ての人に大事なものを考えさせます。
面白かった!!
真実に隠された真実。少年達の心の葛藤。
母の愛、そして全てを包む家族の絆。
私はこの作品を
「人として大事な事が書かれているので是非読んで下さい。」
と薦められました。
ありがとうと言います。
絆
常日頃から感じていますか?
私はそんなに強く絆というものを感じていません。
何故か?ですよね。
おそらく私にとって絆とは当たり前の様に存在し、
それはシナプスの様に広がっていくものだからです。
必要に応じ繋がり、途切れ、そこに信号を与え活動します。
絆は家族や友人は勿論、不仲な間柄にさえ存在します。
自分を許し、讃えてくれるものだけが絆とは私は思いません。
元々、家畜を立ち木に縛るための縄の呼び名が、
人と人の繋がりを表す言葉へと姿を変えてきた意味がそこに在ると思います。
私は、私に関わる全ての人に絆が結ばれていると思います。
皆さんは私にとって、
この世界に私を繋ぎ止める立ち木なのです。
たくさんの方々と結び付き、繋ぎ止めて頂き今の私が存在します。
それを常日頃から当然の様に感じているのは、私の怠慢だと解っています。
正直、ブログを始めた当初は、このネット世界に心を置く事など、
性格上有り得ないとまで思っていました。
しかし、皆さんと関わりを持つにつれ、
私と同じ様にこの世界に存在し、笑い、喜び、敬い
また時に悲しみを背負っている人間なのだと解りました。
私はいつしか、例え顔の見えない相手であろうと、
せめて私の周りにいる人は幸せになってもらいたいと思うようになりました。
今ではそれこそが当然の事なのです。
私は人に悩みを打ち明けられても、それを受け止める器量も解決する術も持ちません。
それでも私の言葉を拙い文章に乗せて、せめて立ち木になる事は伝えられます。
あなたが私に繋いでくれた絆が、
どうかほどけてしまわないようにと。
バルバソという一本の雑木に、
ふと絆を繋いでくれた偶然に感謝をこめて。
おわり