携帯で記事を書くと不便だ。
まるで文字数が足りない。

タグなどを使う事を最近覚えたが、言いたいことが書ききれないくらい幅をとる。
解っている・・・このくだりもムダだという事を。



旅行については触れないでおく。
思い出は美しく在りたいものだ。


私は旅行を満喫し、羽田からの帰りのバスにいた。
携帯電話が不釣り合いなベルのレトロ感で着信する。
相手は父だ。

「帰りか?風呂に電気無いから何とかしろよ。」

!?

何を言っている?
サッパリ理解が出来なかったが、とりあえず了解した。

地元に着いたのは既に夜。
ダルい体を引きずって、砂っぱらいもそこそこに解散した。
私は我が家へ足を向けた。


はずだった・・・


何故だと思われるだろう。
私が目にする「はず」の物が見当たらなかったからだ。

我が家とおぼしき場所には「何もない更地」があり、
隅っこにポツリと風呂場らしき建物が残るだけだった。


軽く泣いた。


灯りはない・・・
そういえば両親も見当たらない?


なんだこれ?

フフフッ
・・・なんだか笑えて来た。


昔から私は良くない事があると笑ってしまうようだ。

幸い我が家は薪で湯を沸かしていたのでお湯はでる。
私は物置小屋から電気をひき、投光器を点けて入浴した。

風呂から出ると物置小屋に作っておいた部屋で寝た。
11月半ばの夜だった・・・



翌週の私は削岩機で風呂場の解体をしていた。
風呂場の解体が終ると、ユンボで土地をまっ平らに整地し、
地鎮祭の準備をした。


・・・ああ、両親ですが、
家が建つまでの間。両親は何処かで平和に暮らしているらしかった。



やがて新居が完成し、私も新居に移ったが、
一年程度でまた物置小屋に移住した。

私は物置小屋での生活が忘れられなかった。
そこには自由があった・・・



PS
物置小屋での暮らしに、やがて問題が発生した。
世に言う「地デジ化」である。

私はTVを買い換える事にした。
そこで、50kgのTVを物置小屋の二階から下ろす為にこうちゃさんを頼った。

張り出しのドアの上から私がロープで吊るし、
こうちゃさんが下でキャッチする算段だ。



・・・まあ、
大方の予想通りロープははずれた。


下で「大丈夫すか?」と、警戒気味なこうちゃさん目掛けて落下した。

ゴシャッ!!
「ッウォ!?」

下からなんか聞こえた。



バルバソです。