便利な国、日本。

外国から来る友達はみなそう言う:サービスはすごい!何でも人のため!と絶賛している。確かに、これは事実 - 日本は生活するにはとても良い国・・・かもしれない。

何で「かもしれない」かというと、”暮らす(滞在)する”ことだけ考えたら、最高の国だと思う。しかし、自分が働くとなると・・・・現実は、淡いバラ色ではない。

言い換えれば、日本は、サービスを受ける人の立場から見たら、最高の国でしょうが、いざ自分がサービスを提供する側へまわってくると、この環境で働く大変さを実感する。ヨーロッパなどの海外に行くと、サービスのレーベルは一目瞭然。店員などの態度にイライラしたらリ、唖然としたりすることもシバシバ。「日本じゃ、ありえない!」と思うことも多いでしょう。ただし、どっちが良いでしょうか、そんなに簡単に言えない。

良いサービスを受けたいのは当然のこと、しかし、そのサービスを提供する人を考えたら。その人になってみたら。どれだけのストレス・疲れを抱えて仕事をしていると思うと、大変。 24時間のサービスなんて、便利だね。夜遅くでも、休・祝日でも家に荷物届けてくれるサービスも。

自分だけの都合に何もかも合わせてくれるサービスも。どれもとても便利で、最高。だが、そのサービスを支える人はどれだけ大変だと考えてみて:顧客のニーズに合わせる為、残業は当たり前、夜中の仕事も、土日の仕事も、体調悪くても。。何もかも仕事ばかりの「仕事人間」の社会になってきている日本。

外国人の私は、外国に比べ、日本のサービスの良さを感じながら、日本で長年働いている人として、それを支えている働く人の苦痛も痛感している。すべては仕事の為。。。。家族と殆ど会わない。家で会話が少ない。飲みに行っても、仕事の話ばかり。「男の世界」(仕事)と「女の世界」(家)の二極化。悲しい・・・とはいえ、日本は駄目で、外国は良いということを良いと言っているわけではない。

外国はどちらかというと、日本と逆パターン:家族・プライベートが一番で、仕事はその次。その結果、サービスはご存知の通り - イマイチ。だが、気になるのは、外国の人って、なぜか日本人よりストレスがないように見える。気のせいでしょうか。。。

最近気になるったことは、このサービスの良さに慣れてしまうと、サービスを提供する側ばかりストレス溜まるではなく、ちょっとだけでも期待はずれのサービスを受けた側でもかなりのストレスを感じる。その一方、外国は、そんなに良いサービスを鼻から期待していないので、日本で考えられない対応を受けても、サーほどのショックはない。不思議な感じ。。。。

サービスの適度ってどこにある? 提供する側、される側も満足し、ストレスフリーの生活が出来るその境目を見つけたい。

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何語?!の巻


「バリバ」って聞いたことがありますか。

ないよね、知りませんね。何語かしら?!と思うでしょう?。


私も子供達から始めてその言葉を聞いた時は、おそらく保育園で呼んでいる絵本に出てくるキャラクター(怪獣っぽい名前だな)だと思いました。

そして、ある日、保育園の先生は「二人はよく「バリバ」と言うけど、それって何語?どういう意味?」と聞きました。っえ?!?!?

こちらで呼んでいる絵本じゃなかったの?!?!?!

そこからは「バリバ」の存在が気になって、二人の話を良く聞くと、どうも、都合が悪くなった時に謎のバリバが出てくるみたいです。

「うっわ!!!これ誰がやったの?!」と細かくちぎらりれて部屋中に雪のように散らかっている絵描き用紙を見て聞くと、「バリバだよ」と二人が声を揃える。。。。。。

「バリバが来て、やったょ」バリバっかよ?????


二人は二人だけに分かる「バリバ」という存在を作り出し、それをうまく利用していた。子供の知恵が恐るべし!!参りました、バリバくん。・・・お片づけの時は、いくら呼んでもバリバが来なかったので、仕方なく皆でやりました・・・


(今度は、「バリバの絵本」でも書こうかなぁ~)


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一応、国際結婚の我が家です。。。

なぜ「一応」かというと、外人の私はかなり”日本人化”してしまい、最も恐ろしいのは、日本を外国として思わなくなりました(詳しいことは、後ほど、後日に~)。

仕事は一日、日本語&英語、家は日本語only。。。母国語を話す時間は、土日、実家と電話するときだけ、とかなり悲しい実態です。。最近気付いたのは、母国語こそ、一番話しづらくなっています(涙)――――言葉が出てこない!!助けて!!!!


Japanese onlyの根から侍的なダーリンには、過去にも何度も何度も「せめて、英語を勉強しようょ」とアプローチをしましたが、いつも「やろうね!。。後で。。」で終わってしまいます。

この調子で何年も経ってしまい、3人の子供達(―双子の姉ちゃんはもちろん、1歳児のチビすらしゃべりだして-)は言葉(日本語わね)が随分マスターをして、ピチクパチクとずっと何かをしゃべっている有様です。

~時たま、「静かにして!!」と叫びたいが、そっと我慢・我慢!!これも成長の証なので。我慢・我慢~


特に、上の子達は日本語がもう何でも言えるようになりましたので、最近、英語とロシア語を教え始めました。 Bilingualの子を育てるにはいろいろ理論がありますが、多くの場合は、「1人の親 - 一つの言語」が主流でしょう。母親は日本語だけ話し、父親は英語だけ話せば、子供が自然と話す人と言葉を使い分けるようになります。私の友達の多くは国際結婚して、世界中の色んな国にすんでいます。話を聞くと、殆どの人はこの方法で子供達を育てます。その経験から言えるのは、子供が父親と過ごす時間、母親と過ごす時間に関係なく、住んでいる国の言葉の方が先に話し始めます。


我が家は、先に生まれたのは今3才になった双子の姉ちゃん達でした。そこで問題一つ:”母の言葉”と”父の言葉”の他、二人だけに通じる”双子の言葉”に発展する恐れがあるので、私は一先ず日本語だけに育てることにしました。日本語を十分に話せるようになったら、次は”新しい言葉”を足していこうと思いました。今は、出来るだけ英語、ロシア語の絵本を読んであげたり、アニメも英語などで見せたり、話しかけも少しずつ日本語以外の言葉に切り替えます。しかし、子供の頭の中はすごいです!!!!ちゃんと切り替えボタンが在るかのように、日本語も、英語も、ロシア語も使い分けています!!


1歳のチビは、お父さんに英語の絵本を持ってきて、「ヨム。ヨム。」と差し出したら、それを見た双子の妹は、「これはね、英語なので、お父さんは読めないの!」とチビに説明しました。

そして、本を持って、自分で英語(!)で読みかけせをしました。


別の日に、皆で絵本を見ていたら、双子の姉ちゃんはいきなり:

[お母さん!コレ(蜂の絵を指して)は英語で、何というの?]と聞きました。

[Bee]

眉間にしわを寄せて、一生懸命何かを考えてから:

[だけど、このBeeは蜂とソックリだね。。。]

たしか、そっくりだなぁ~;=))


英語には関係がないけど、ちょっと前は車でパチンコの前で通りました。きらびやかな建物が子供の目を引きます。「お母さん!お父さん!コレ何?!」「パチンコだよ」

一秒程度の沈黙。

その後は、拍手一回。「中は、皆はこうやっているの?」っえ、どういうこと?と聞くと、「パァチン」(一回手をたたいて)だそうです。


さすが子供の発想!!!!大人の固い頭が負けました。。。

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我が家の3姉妹の通う保育園は、とてもアットホームな保育園で、どちらかというと「おばあちゃんの家」的な感じです。ただし、一つ残念なことに、3歳までなので、今年度いっぱいで双子の姉ちゃん達は卒業となります。


そして、そして、先日は来年度の保育園申し込みに区役所へ行ってきました。

まずは、我が家が抱えている事情といえば、今現在、3人を11時間も預かってもらっています。家から園まで歩きで30分程なので、毎日朝7時に家を出て、19時に帰ると小さな子にはあまりやさしくない生活です(泣)。3歳の姉ちゃん達だけを新しい保育園に転園させたら、朝・晩は2ヶ所の送り迎えの時間が更に足されて、いったい何時間預けることになるでしょう?!?!通り道に保育園がないということもあって、3人別々の園となったら、物理的に通えないとのことで、3人同時転園を申し込みました。

受付の人は、2回位聞きなおしました:「3人ですか?3人?!」。。。「ハイ。。すみません~」


そして、事情を説明して、一応、「3人同時転園」を受け付けていただきました。結果発表される2月まではドキドキ・ハラハラの待機モードです。


その時思ったのは、決して私だけではなく、毎年毎年多くの人は苦労して保育園を申し込んだりして、やっと入れるラッキーな子がいれば、何年も待機している子もいます。その中、やっと”手に入れた”念願の保育園生活はいざスタートをすると、始まるょ:「来週は遠足なので、子供と一緒にいかが?」「明日は、○○会なので、早めに迎えに来て」「土曜日は○○イベントだから、出席お願いします」。。。。。。。。??????????。。。。。。。。


私には不思議に思う一つだけのことがあります:こんなに苦労して、申し込むには山ほどの書類を集めて、必死に「日中の保育が出来ないので、預けてください」と証明した後。。。。「休んで・休んで・休んで」の連続です。3人の子がいる我が家では、風邪などの休みだけでもかなりの日数を休んでしまいます。子供の体調のことなので、いたってしょうがないなので、それだけを優先にしてもちろん仕事を休んで看病しますが、それ以外のも全部休んでいたら、申し訳ないけど - 働く意味もないし、保育料を払えなくなります!!(心の叫び)


最後は、愚痴ではないが、土日だけは家族だけのために”残してほしい”です!!!平日は朝から晩まで園で過ごす子達は、せめて、土日を家族だけで過ごさした方が良いので!!

・・・とは思いますけど・・・

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>>・本でも書こうか。。。。ブローグで良いっか?!


今日は、ネットで記載されているCeline Dionのインタビューがたまたま目に留まりました。双子を生んでまだ間もないけど、雑誌にすばらしい写真を載せ、家族が増えた後の生活について語ります。本当に綺麗な人だ!!と心から思います。見た目だけではなく、生き方も含めて、とても素晴らしいと思います。

記事には次の言葉に心が動いた:「"Did you sleep well?'" she said. 'I'm like, '"You must be kidding! There is no sleep!'"'. "I am breastfeeding the babies every two-and-a-half hours, then sometimes I have 25 minutes and I think, do I shower, eat or sleep? "」


思い出すわ~!!!


我が姉ちゃん達はもう3歳になり、随分と手間が減りましたが、生まれたばかりの時は、最初の子供とのこともあって、25分ところが、10分あれば、良い方でした。。

旦那の実家も遠いし(私のは海外なので、更に遠い)、家事も含めて、ぜーーーーんぶ自分でやるしかありません。退院当日、先生は「手術(帝王切開)を受けたなで、一ヶ月くらいは安静にしてね」と言って、私を送りました。安静?!安静ですか?!と思いながら、当日の夜に不慣れな二人の子守の時間の合間を抜いて、炊事・火事・洗濯をしてました。。今となって、思い出すと笑ってしまうが、当時は笑い事でありませんでした。力尽くまでは突っ走るしかないと本気で思いました。

生き抜きました!!!!

一年経って、仕事復帰までしました。(それも、フルタイムの週5日体制で…何を考えていたでしょうね(笑)。)。。。

そして、生き抜いたところで。。。。。もう1人が生まれました。。。。(チビの誕生は別のストーリです。聞く人全員は「世界びっくり仰天ニュース」に応募したら!と声を揃います。自分のことではなければ、私だって絶対に信じない話ですが、いつかは大きくなったチビに教えてあげたいです~)今は良く思うのは、過去って何でいつもバラ色に見えるでしょうか。(私だけでしょうか?!)当時は辛かったこと、悲しかったことは少しずつ色あせて、良いことばかり思い出します。辛い・辛いと思ったその日々からもまだ数年の年月しかたっていないのに、「その辛さ」を笑いながら思い出せることは私の唯一の救いです。その力は、私の幸せのかもしれません。

きれいになりたいの巻


私の一日:

5:30起床

そこから分刻みに:自分の支度、子供の保育園服の準備、朝ごはん支度、子供を起こす(意外と大変な仕事)、3歳双子&1歳の妹なので→着替えさせる×3、髪を結う×3、食べさせる、歯を磨く×3、食器洗う、家片付ける(さーっと)、出かける準備

7:00保育園へ出発、登園終わったら、駅までダッシュ、電車乗って50分、会社到着たっぷりと8時間仕事をして、今度は”巻き戻し”モード:

子供のお迎えへダッシュ、 19:00家到着、手を洗う×3、鼻を拭く×3(数え切れない)、夕飯支度、ご飯食べされる、寝る支度、皆で遊ぶ、お風呂に入れる×3、パジャマを着る×3、頭を乾かす×3、寝かせる

21:00から大人の時間:明日のご飯を作る、洗濯する、片付けする、保育園の連絡帳を書く×3(死にそう叫び)、自分がご飯食べたかどうかは記憶がないが、もはやどうでも良いので、急いでお風呂に入る

00:00-5:30 1歳のチビは未だ夜中に数回起きるので、適当にあやして”寝る”。。。。。。。


上記は本題のプロローグにすぎません。

こんな中、私はあるファッション誌を購読しています。毎月家に配送されるので、お買い得、尚且つ便利ですが、今月号が届いてから、慌てて先月号を読み始める有様です。(その理由については、プロローグをご参照。) 一時期、雑誌を辞めようかと思いました。どうせ見る時間もないし、と悩みましたが、継続を選びました。寝る時間を削って雑誌を見ているが、それもなくしたら、「女」を完全に失う気がして。。綺麗なものを見るだけでも、自分もちょっとでも綺麗になった気がします。綺麗な洋服、輝くジュエリー・・ほしいというより(・・ほしいけどなぁ~・・)、もはや見るだけで十分です!この時間が良いです!自分も雑誌のモデルになった気分で、華やかで、優雅で、綺麗です!とこの幻覚&妄想に救われ、パワーをもらっています。

イクメンの巻 育児に参加するなんって、なんと素晴らしいことでしょう!!!!頑張れ、お父さん!偉いぞ!拍手!!皆さん、大きな拍手を送りましょう!

(独り言:というっか、そもそも精子を提供するだけの為でしたら、「旦那」「お父さん」という存在は要らなくない?!と思います。育児に参加すること自体は当たり前のことのはずでしたが。。。)


ちょっと前、テレビで見た番組では、いけているイクメン達はお仕事が終わって、「お父さんの為の育児スクール」へ急いでました。仕事でお疲れのはずにもかかわらず、抱っこの仕方、あやし方、赤ちゃんとの遊び方を一生懸命学びました。講習の後、イクメンばかり集まって、居酒屋で交流会を開きました。育児に対する不安、難しさについてビールを片手に語り合いました。

(独り言:その中の名言:「公園に連れて行ったら、危険が多いので、心配だね」と1人のイクメンは不安を洩らしていた。。no comment)


そして、イクメン達は、疲れ果てて家に帰る時は大好きな我が子が夢の中、自分の為に頑張ったお父さんの苦労を知らずにスヤスヤと寝ています。

(独り言:スクールに行くような余裕があったら、早く家に帰って、子供の世話をちょっとでも良いから、してみたらいかが?!)


イクメン達は自分の存在を社会にアピールしている間、育児・家事・仕事を背負って静かに頑張っているその奥さん達に感謝&感謝&感謝したいです。


お・し・ま・い

自己紹介の巻



昔・昔・大昔(ちょっと言い過ぎかも)とある外国の町に私という女の子が生まれました。夏の暑い日、日差しがしゃんしゃんと青空から注ぐ日でした・・・と思いますが、(自分が生まれた日を覚えている人なんかいないから、今回は勝手な想像の元で『天気の良い日』にしてみました。) その後は、親の仕事とその他の様々な事情の都合で町を、国を、転々とした私は、雪の降る肌寒い日に日本北国のとある町のホームに降りました。
・・・な~んて、思い出すと、「津軽海峡景色」が身に沁みます。泣きそう!!です。若かったあの頃は懐かしく愛しいです。
その時からは更に11年の年月が流れ、私はすっかりHAMAKKO(元々外国原産の為、ローマ字表示にさせて頂きます)になりました。3年前は双子の女の子か生まれて、1年前はさらなその妹が生まれました。3年間の間はなんと!3児の母となりました。チョキ

毎日の生活というと、「家」→「会社」→「家」→「会社」のぐるぐる”山手線”人生になってしまいました電車。常に「何かしなくちゃ」の永遠と続く繰り返し:会社へ行かなくちゃ、子供のお迎えへ行かなくちゃ、ご飯を作らなくちゃ、洗濯・掃除しなくちゃ。。。「くちゃくちゃ」電車は全力試走中です。
不満か?と聞かれると、不満かもしれないけど、幸せかと聞かれたら、きっと「幸せだ!」と答えるかもしれません。女が矛盾だらけの生き物です!!。。。(男もそうかな~と女の私にはそれだけがきっと一生分かりません。)
正直な話、たまには、今乗っている[育児・家事・仕事]の特急電車を降りて、ゆっくりと身体を伸ばして、空気をたっぷりと吸って・・・したいところが。。。。。当面は出来そうもありませんので、また”電車”に乗り込みます。パー

そして、「あぁぁ、もう頑張れない」と思う瞬間を笑い飛ばせる為にこのブログを始めました。
辛いことでも、視点さえ変えれば、きっと笑いごとになる(はず!!)ですょ。