前回
2017.9.29
絢爛豪華な極彩色の陽明門をくぐり内宮へ
唐門は、対照的に貝殻をすりつぶした故粉で塗られた繊細な小さな門
本社の正面で正面3m側面2m正面の扉は唐木寄木細工の両開桟唐戸
江戸時代には将軍に拝謁できる身分の幕臣・大名
祭典と国賓相当の参拝者にしか 許されなかった
動画編
タイムライン
豪華絢爛の陽明門
神輿舎(しんよしゃ)【重文】
春秋渡御祭(5月18日、10月17日)に使われる、
三基の神輿(みこし)が納められています
|
寛永12年(1635)に建てられ、桁行3間、梁間3間、入母屋、
銅瓦葺き正面には軒唐破風が設えられる建物で反対側にある神楽殿と対
黒と金を基調とし高欄は朱色、組物、彫刻、欄間は極彩色で彩られ、内部には千人行列で渡御する徳川家康(中央)、豊臣秀吉(左)、源頼朝(右)
を祭った神輿が安置されています
往時の神輿は1トン以上あり担ぐ事が困難になった為、昭和40年に800キロの神輿が新調され、例祭である「千人武者行列」は元和3年:1617年、久能山から日光に徳川家康の御霊を遷す際行なわれた行列を模したもの
天井には狩野派が描いた天人舞楽が描かれていて、
神輿が無い時真下で手を叩くと鳴き竜現象が起こるそうです
天女の天井画として日本一の美人画とされ、鳴き龍は「天女のささやき」
とも言われています
透塀【すきべい】
唐門から左右に延びて本社を囲む透塀 全長160メートル 北側(本社の背後)の中央には、北唐門(背面唐門)、また、西側には、通称西唐門と呼ばれる潜り門があります
両下造、石垣の上に石造の土台を据え、柱は角柱で、黒漆塗 長押の表面には亀甲花菱紋を、金箔地に密陀彩色で描き、胴羽目には花狭間格子を設け、
格子は金箔地、透し彫の 花弁の表面は緑青、内側を朱塗
彫刻総数260、腰羽目は、波に数種類の水鳥と水草、欄間は、山野の植物と
鳥類がテーマで、花鳥の彫刻の宝庫です
日光東照宮・唐門は、日光東照宮の唐門は本殿を守護する真正面の門であり、四辺に「唐破風造りの屋根」が備え付けられていることから
「四方唐破風造」と呼称されます
唐破風の大きな特徴として、弓なりのアーチ型の屋根の形状が特徴
創建年 1617年(元和3年/江戸時代前期)
昇龍・降龍以外にも寄木造りの龍が存在しており、この龍は屋根上の棟の部分の左右両端に備え付けられています さらに 両端の龍の間の破風の頂には
「恙(つつが)」と呼称される「唐獅子」が備え付けられています
「龍は昼を守護する霊獣」で「恙は夜を守護する霊獣」
正月元日に舜帝に会いに大勢の役人たちが拝謁する様子
舜帝の「舜(しゅん)」とは、中国の紀元前403年・春秋時代の空想上の人物であり、貧しい家庭に育った人物
舜は、親孝行者で慈悲深い性格を併せ持ち、多くの人々や民衆から慕われ、
最終的には推薦される形で君主にまでなった人物です
舜帝が治めた国は舜が崩御するまでの間、繁栄を極め続けたそうです
家康はそんな舜帝を敬愛し、自らの子どもや家臣たちにも模範とすべき姿として説き聞かせたと云われております
陽明門と比べると見劣りする印象を受けますが、実はこの唐門に施されている彫刻の数はなんと!611 うち人物が6体で64人もあり、
この数は陽明門を上回る数で、陽明門:508体です
「七福神」「八仙人」「竹林の七賢人」などの彫刻も彫られています
唐門の大きな特徴として、左右にひときわ目を惹き付ける昇龍と降龍の彫刻
この龍は別木による寄木造りで造立されており、別木の種類としては
「黒壇(こくたん)」や「紫壇(したん)」が使用されています
尚、龍は屋根上の左右両端にも備え付けられており、
屋根上の龍はヒレが切られた龍になります
屋根上正面の「恙(つつが)」
本殿は「外陣(幣殿)」「内陣」「内々陣」の三室に分かれています
もちろん、昇殿はしましたが、入室は出来ません
神職の方でさえ、祭典や御煤払の奉仕のとき以外は入れないそうで、
外陣の天井は格天井で、122の格間には鳳凰が描かれています
内陣は、最奥の内々陣をコの字型に囲んでいて欄間などの彫刻は、すべて花鳥を主題としたものですが、特に内々陣側は、鷹の彫刻が施されて内々陣の内部には、御空殿と呼ばれる神座がありますが、この御空殿こそ、
東照宮の中で最高の建築だそうです
千木・勝男木をのせた本殿の屋根は、老杉の間に秀麗な曲線
|
-言わず語らず深秘の御殿-
|
祈祷殿(きとうでん)【重文】
結婚式や初宮などのご祈祷が行われます
眠り猫(ねむりねこ)【国宝】
左甚五郎作と伝えられ牡丹の花に囲まれ日の光を浴び、うたたねをしている
ところから「日光」に因んで彫られたとも言われています
これより奥宮に通じます
|
次回