erikappaのブログ



  スモモが逝ってしまって早1ヶ月。

  楽しかった思い出を振り返る日もあれば、苦しそうな病院での

 悶絶や、息をしてないと分かり、震撼した瞬間を思い出す日も

 あります。


  母は、今だにスモモの写真を見ることができません。

  倒れてから入院。そして退院直後の死。

  最後の叫び声を自分だけが聞いたせいもあるでしょう。



  私は...自分の家庭の方にスモモの遺影を飾りました。

  元気だった頃の写真と最後の柩の中での写真と。

  そして、好きだった鰹節を小皿に入れてお供えしています。



  実は、私は妊娠してからというもの、嗅覚が異様に鋭く

 なりました。


  夫には「犬並み」と揶揄されています汗

  なぜ、妊娠を境にそうなったのか未だに分かりません。

  以前は、アレルギー鼻炎体質ということもあり、むしろ鈍かった

 ぐらいです。



  幽霊など生まれてこのかた見たことないし、第一、魂ににおいが

 あるものなのかあせる

  読まれる方は、自分の思い込みだと思うかも知れませんね。


  でも、「会いに来てくれたらいいな」とか「においがしないかな」

 などとは毛頭考えてないのに、フワッとにおいがしてきたというのは

 まぎれもない事実なんです。



  最初は3年前の父の時でした。

  ICUで見た父は脳がほとんど死んだ状態で、声をかけても返事を

 しませんでした。

  「状態から言ってもそう長くないと思います」と辛そうに看護師さんに

 告げられました。どんなに悲しかったか。

  でも、当時1歳半の娘が熱を出し始めていたため、後ろ髪を引かれ

 る思いでしたが、一旦家に帰ることになりました。


  その夜、家でのことです。

  廊下を通ると父の体臭がフワリとしました。


  びっくりしてそこに戻って必死に目を凝らしたりにおいをかいでも、

 見えないし、においもしません。

  ???と思いつつリビングに移動すると、またそこでフワッとにおい

 がします。

  「お父さん!?ここにいるの?お父さん?」

  と思わず(夫の前でしたが)天井に向かって言っていました。

  (夫が変人扱いしないで黙って見守ってくれたのが有難かった~)


  そのにおいは、よく嗅いだ父のにおい。

  会いに来てくれたのでしょうか? 最後の挨拶だったのでしょうか? 


  翌早朝、父は息を引き取りました。

  病院は横浜、私はその後高熱を出した娘の看病で千葉から離れ

 られず、死に目に会えませんでした。




  スモモの時は、逝って丸一日が経った晩にありました。

  においのした家は、スモモがいたことは一度もありません。

  私の服がスモモといた時の服だったということもありません

  まして、「父の時のように、においがしたら...」となんて願う気持ちも

 ありませんでした。

  そんな心の余裕ありませんでした。


  そのにおいは、やはり廊下とリビングでしました。


  スモモのにおい。。。

  懐かしい。でももう二度と嗅ぐことのない筈のにおい。



  自己満足かも知れません。

  けれど、「会いに来てくれたんだ」と思ったら心が癒されました。

  そのにおいは、父の時もスモモの時も一晩きりでした。

  だから余計思うのです。

  最後のお別れに来てくれたのかな、と。


  今は、父とスモモと過ごした時のことを、いっぱいいっぱい

 思い出しています!

  私の中で父もスモモも生き続けています。

  もう新しい思い出は作れないけど。。。

  でも、いろんなエピソードを思い出すと、生前よりも親密にさえ

 感じるのです。 






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2日の月曜日、逝ってしまいました。
16歳と2ヶ月、人間で言うなら80歳。

長寿だね。天寿をまっとうしたねと言われ、
そうだね。そうだよね。
と返事して自分に言い聞かせてみても、

自分にどこか無理がある。



病院で沢山の注射と点滴を受け、鳴き叫んでいました。
もがいてもがいて、先生三人がかりで抑えつけられて。

(先生も治療してあげたくて一生懸命だったのですが)

年に一度のワクチンでも、震えてはいたものの鳴きもせず

じっとしていた子が・・


動物病院のICU(酸素室)に入れられて、顔を壁の方に向け、

うなり続けていました。

声をかけるとさらに喚いて「誰もこっち来るな!」と言っている

ようでした。

2日間とは言え、最後にあんなに苦しい怖い目に合わせて

しまいました。


後悔は尽きません。


 土曜日、すももが鳴いて腹ばいになっていたのを、

 軽い熱中症かなと勘違いしていなければ・・・


 もっと早く病院に連れて行っていたら・・・


 違う病院に連れて行き、治る見込みがないと診断されていたら。

 苦痛を少なくしてもらい、家で静かに最後を迎えられていたら・・・


後悔は尽きません。


できることなら、時間を取り戻したい。




入院中、先生の手を焼き、食事も水も全くとらず威嚇し続けてたすもも。


「退院予定日より早く引き取ってご飯を食べさせて下さい。

 でないと大変危険な状態になります。」と言われ帰されました。

でも、家に連れて帰っても唸り喚き暴れ、食事も勿論水も飲まず、

もうトラウマで傷ついた獣のようになったスモモは、以前のスモモには

戻りませんでした。

それでも、スモモ....と声をかければ一瞬だけど静かになりました。


そうこうするうちに翌朝になり、気がつくと、



スモモは十字架のような不自然なうつぶせ姿勢で息絶えていました。



目が腫れるくらい泣きました。

3年前逝った父の時のように。


母も私の前で泣いていました。



すももの死に顔・・・

目も口も少し開いていました。

何かを見たそうな、何かを言いたそうな感じに。


唯一救いだったのが、ヒゲです。
下にだらんと垂れていていました。

調べたらリラックスしたり眠い時にする形と出ていて・・・


最後の最後は苦しくなかったの?と。


そうだったらどんなにいいか・・・



今頃は、もう何の苦しみもなく、もちろん4本足でスタスタ歩き、

じいにゃん(私の父)に以前してもらったように、大好きな鰹節を

いっぱいもらっているのかしら。

そう思うと少し心が軽くなります。


※このブログは、同じチンチラを飼う知り合いの方へ送った手紙を、

 少し文章を変えて作成しました。


※すももの最後をブログとして載せる気力もなかったのですが、不思議な出来事があり、

 やはり最後まで書いておかなくては、と思いアップしました。

 その不思議な出来事は、また次回載せてみたいと思います。 

 

今年の六月で16歳のオカマにゃん「すもも」。

生まれてこのかた風邪ひとつひかず、病院に行くのも予防注射くらいなものでした。

尿結石を心配して検査を受けたことはあるけれど。(その傾向はあるとしてストルバイトケアで対応)



でも、昨日の朝から玄関で寝そべっていたすもも。

異様な声あげて、まるでよその猫を権勢してる時のようでした。

変だと思いつつも、暑い日だったし玄関で寝そべってることは何度もあったしと、夕方までそのままに。


でも、何かを求めるように鳴く声。

暑いんだと水を浸したタオルで身体を濡らすと、鳴き声が元のようになってきて、ミルクをあげてみると

飲んで、うつらうつら寝そう。。。


これで大丈夫。熱中症になりかけていたんだ...危ない危ない、と思っていました。


でも、抱っこしてみて

??!

後ろ足がダラン。歩かないしまた鳴き叫ぶ。

それに、前足は片方の爪から流血。

これはただ事ではない。急遽、病院へ行きました。


血液・レントゲン・エコー色々した結果、

原因は心臓にありました。


かなり心臓が肥大してました。


先生曰く、長毛種は大抵の猫がその因子をもっていて、いづれそうなる可能性が高いそうです。

心臓が肥大すると、心臓の壁が肉厚になりポンプの役目がうまくいかず、流れにくくなります。

「血は流れないと固まると思ってください」

これは、先生の言葉です。

固まった血=血栓です。


そう、すももは血栓が心臓から足の付け根で詰まって歩けなくなったんです。

猫の場合、血栓が詰まるのは、ほとんどが足付け根だそうです。

「相当痛かったはずです」

異様な声で鳴いていたのは悲痛な叫びだったのに、よく家の敷地内に入ってくる外猫のせいだと

思い込んでしまったんです。


今、点滴と注射でこれ以上血栓ができないような治療をしています。

今日から3日間、鎮痛剤なども投与して回復するかはすもも次第だそうです。

助かる確率は50%。

助かっても、後ろ足が歩けるようになる確率はさらに25%。

そして、助かっても3ヶ月以内に同じ血栓でどこかがまた詰まるのは80~90%。


16歳は人間で80歳近い老猫。

でも、一昨日まで元気に鳴いて歩いてモリモリご飯も食べてました。


ストレスで肥大が促進したり血栓も流れやすくなるそうです。

今、病院の酸素室で先生はおろか、私や母を見ても「ウ~ウゥ~」と唸るすもも。

無理ないことだと分かっていますが、人が覗いていなくても唸るようであれば治療以前に

ストレスがたまるので治療は断念すると今朝先生に言われました。


心の整理がつかない。

すももがまた歩けるようになって欲しいと祈るしかありません。