
ナミマガシワ。二枚色ちがいでくっついたものははじめて。
明日香野さんの記事で
強く儚い者たち
という歌をはじめて聞いたのですね。
"飛び魚のアーチをくぐって、宝島がみえるころ"
というフレーズにやられてしまって、何度も聞いていたのですが、これはセイレーンの歌だなぁ、と。
セイレーンとは、上半身が美しい女性、下半身が鳥の幻獣です。美しい声で船乗りを誘って、惑わし、船を難破させるのですね。人魚の姿で描かれることもあります。
全編にわたって、海の美しいイメージが散りばめられているのですが、歌い手は、海に出た冒険者を、言葉巧みに港へ残るよう誘っています。
"飛び魚のアーチをくぐって、宝島がみえるころ"
曲調の盛り上がりとは、裏腹にこの後に続く言葉は、
"何も失わずに同じでいられると思う?"
"あなたのお姫さまは誰かと腰をふっているわ"、
など、ふいに頭をよぎる不安を言葉にして、囁いてきます。
一方で、冒険者には、人は弱いものよ、と、冒険者を待つお姫さまを、人は強いものよ、と。
歌い手は、二人を引き裂き、港に、自分のもとにとどめおこうとしているのです。Coccoの美しく繊細な声とあいまって、船を難破させ、船乗りの旅を挫く妖しく美しいセイレーンを思わせます。
ただ、このセイレーンは、妖しく誘いながらも、人全般の弱さや強(したた)かさを、悲しみ愛おしんでいるのですね。
誘惑に堕ちる人を憂いながら、その強かさを知り、その儚さに美しさを見る。彼女は誘惑を振り切った英雄オデュッセウスを待っているのかもしれない。
このような女性像は、ファムファタル(運命の女)として、昔から、芸術家たちが追い求めて、その姿を形にしようと、生涯をかけたものでした。
これはホロスコープでいう金星にあたります。自らのうちに統合すれば、強いインスピレーションと美の感性を手にすることが叶い、外に求めれば、芸術や、あるいはいくつもの終わりのない恋愛を経験することになります。
この歌は、私たちの中のファムファタルに強く呼びかけているのかもしれません。
気になる方は、明日香野さんの美しい解説とあわせてどうぞ!