前回は「これからの少子化」について私の見解を話ました。
最終回の今回は平和の基礎を造ったのは秀吉かもしれないについてです。
“秀吉の子宝問題”の話が“少子化問題”に発展し、驚いた私ですが、もう1つ、秀吉つながりで考えさせられたことがあります。それは
平和ボケ。
ことの発端は先日「アメリカ人、武器持ちすぎ」というSNSを見たからです。
投稿者は日本に住んだことがある日本好きアメリカ人で、その投稿では
「アメリカではみんな普通にナイフとかカバンに入れて持ち歩いてる。日本に来て、アメリカ人は武器持ちすぎと思った」
と言っていました。
私は「アメリカ怖っ!」と驚いた同時に「コレが平和ボケってやつ~?」と思い
「そもそも、なんで日本人は相手も武器を持っていないと思っているんだろう?」と疑問を持ちました。
当たり前ですが、日本でも事件は起きています。世界的に見れば頻度は低いかもしれませんが、それでも凶悪事件はありますし、それに巻き込まれる可能性もゼロではないです。
なのに「鞄にナイフ入れとこ」と思う日本人は少ない。むしろ「カッターや包丁などを買って帰る時の方が緊張する」と言う人のほうが多いのではないのでしょうか?
そんな ≪武器を持たない世界≫ の始まりは
1588年 刀狩令
と、私は考えています。
天下統一が見えてきた秀吉が行った、テストにも出る重要事項です。
これにより、農民は武器を持つことができなくなりました。逆に言うと、それ以前の農民は武士と同様、刀などの武器を持っていたと言いうことになります。と言うか、戦国時代までは武士も農業を担っていたので “農繫期には戦ができない” という状況だったそうです。
そこに改革のメスを入れたのが織田信長。武士は武士、農民は農民。そう分けることで武力向上と農作物の安定化を図ったそうです。そして、それは成果を示した。
それを見てきた秀吉にとって、兵農分離を完成させる ≪刀狩り≫ は当然の発想だったのかもしれません。
こうして ≪国民の大半が武器を持たない世界≫ が出来上がりました。
もちろん、その後の江戸幕府が ≪武器を持たなくてもいい世界≫ を続けたから、
「みんな武器持ってないよね~」
の感覚が定着したのだと思いますが、そのキッカケを作った豊臣秀吉は日本史と日本文化の両方において、重要な人物なのだと感じます。
※ちなみに今の大阪城は徳川家康が造ったそうです。