竹中直人、ムロツヨシ、草彅剛などなど、、、
「誰が演じるか?」が楽しみの1つにもなっている戦国武将、豊臣秀吉。今回はこの人物について話していきたいと思います。
とは言え、私は歴史学者ではないので “秀吉の実は・・・“ はありません。
管理栄養士からみて「秀吉ってこうだったのかも?」の推測の話です。
というのも、大人になって思ったことがあります。
秀吉って、女好きなのに実の子どもの人数、少なくない?
人生の終盤で2人生まれるとか、タイミング良すぎじゃない?
皆さんはどう思われますか?
当時の武将は良くも悪くも、子沢山。織田信長は20人以上、徳川家康は16人の
子どもがいたと言われています。でも、秀吉は・・・ということで、ネット検索したところ、3男1女と出てきました。
長男:石松丸秀勝(ほかの秀勝と区別するためにそう呼ばれているらしい)
長女:名前不明
次男:鶴松
三男:秀頼
まず、長男・長女がいたことに驚きです。
この2人の母親はともに南殿(側室)だそうで、出生時期は秀吉が近江(滋賀県)を治めていた30代の頃らしいです。ただ、実在の確証はなく、生まれていても早くに亡くなったとされています。
いずれにおいても、史実上で秀吉の子を産んだ女性は南殿と淀殿の2人だけ。長年連れ添った高台院(正室)との間には子がいません。「相性が良かった」と一掃することもできますが、腑に落ちない部分があります。それは
たくさん居たであろう女性(一説には側室13~20人とも)の中で、なぜ南殿と淀殿だけが
妊娠&出産できたのか?
大人になったからこそ、気になる部分です。
そんなこともあり私は「2人が産んだ子どもは本当に秀吉の子ども?」と疑問視しています。
実際、当時からそういう噂はあったようで ≪秀頼の父親、石田三成説≫ は今でもネタとして取り上げられます。
2人が産んだ子どもの父親は本当に秀吉なのか?
はたまた別の人物か?
その真相は歴史学者さん達に任せるとして、今回、私が取り上げたいのは
秀吉は子どもが作れない体だった可能性がある
ということです。
もちろん、生まれつきそうだった可能性もありますが、管理栄養士の目線で秀吉の生涯を追った場合、「作れない可能性大だなー」という箇所に気づいてしまったのです。
それはナニか、次に、続く。
豊臣秀吉について考えてみた(2)に続く