個人懇談会って、先生に褒められる会だと思っていた。だって、うちは、いっつも褒められることしかないから。

褒めてもらえてありがたいな〜。最近の先生は褒めてばかりなのね。って思ってた。

個人懇談の終わった時期はママ友に、
「個人懇談どうだった?」と聞かれる。

私は、褒められたことはたっくさんあるけど、いちいち言わない。返答に困る、毎度。
「特に何もないよ」と答えることにしてる。

すると、あるママ友は、
「漢字が丁寧と褒められた」
また別のママ友は、
「九九をすぐ覚えたと褒められた」とか。

うちも、漢字はいつもはなまるだし、九九はクラスで一番早く合格してるんだけど。。。と思いながら。。。すごいね〜なんて反応しなきゃいけないのがめんどくさい。笑

反対に、出来ていないことも指摘されるらしい。
うちは言われないだけで、やっぱりみんな結構指摘されているんだと、年々わかってきた。

でもって、
担任の先生の至らないところを見つけて、
「もっとこうしてほしいよね〜」ってのがママ友定番の会話。

私は
「もっとこうしてほしいよね〜」ではなく、
「こういう人もいるのだから、自分はこうしよう」
という思考にならない限りは何も変わらないと思う。

自分の子供が至らないことを、無意識に先生が至らないせいにして、結局人任せ。

たしかに、子供は大人の手が必要なときもある。
でも、それは、自分で変わろうとしないままの手助けでは、その子の成長を妨げることになる。ほんとの意味での手助けかどうか、親がきちんと判断していないと、いつまで経っても人任せ。先生より、親。

この手の話を聞くと、そう毎度毎度思う。
ママ友と話していると、
宿題の話がよく出てくる。

「宿題ちゃんとやれてる?」とか
「宿題を丁寧にやらなくて困る」とか
「宿題に時間をかけ過ぎる」とか。

私からしたら、みんな、すごい宿題にとらわれてるんだなーって感じることが多い。

てか、学校の宿題で悩むっていうことが
私にはまるでない。

「心葉ちゃんとこは二人とも言わなくてもさっさと丁寧にやるからいいよね」ってことに片付けられるけど、

そうじゃない。

宿題が〜とか言ってる人の子供を見ていて思うのは、一つ一つ丁寧にきちんとやる癖を、小さい頃からつけてないから、そうなって当たり前じゃん。ってこと。

例えば、片付け、おやつ、何を優先しなぜそうするか、教えずというか考えず、おもちゃいっぱい、おやついっぱい。いっぱいあってきちんと収納もしてなくて、無意識にいいよいいよ状態。むしろ、おもちゃいっぱいなことを自慢げとか。

挨拶、例えば、ありがとう、ごめんなさい、お邪魔します、お邪魔しました、頂きます、ごちそうさまでした、をきちんというということを教えないとか。無意識に人にやってもらうことが当たり前とか。

きちんと言えよ、きちんと片付けろよ、
小さな頃は出来なくても、ママが放置せずきちんと教えてさえいればいいのだけど。
どうせわからないから、みたいな感じで、きちんとやらせないのが前提なママが多いこと多いこと。やってあげちゃって、言ってあげちゃって、助けを求めちゃって、人に頼る、人任せ。

生まれてからそういう癖をつけてきちゃってる子に、宿題だけきちんとやれと言っても伝わらないのも当たり前じゃん。と私はいつも思う。

宿題
にとらわれてるんじゃなくて、

人を育てる
ことに目を向け、何を優先しなぜそうしたいか、
自分にとって何が幸せか。

宿題だけが人生じゃない。
勉強だけが人生じゃない。

子供の人生は子供が自分で切り開くもの。
そのために親はどうすべきか。

そういうことを日々考えていたい。
と私は思う。

けど、そんなこと言えない。。。
だってきっとママたちは、共感してほしいだけだから。。。
約束やルールを守ること、
を子供に教えたいのは誰もが一緒なはずなのに、

親が守らなかったり、ズルかったりしたら、
伝わらないと思う。

ちょっとくらいいいや、
バレなきゃいいや、
そこまで見られてないからいいや、

みたいな、無意識に
自分の得のために、人の損は気にしないでおいて、

子供には
約束守れだの、やるべきことはきちんとやれだの、
と言う人を見ると、まぁ、説得力がない。笑

自分のことは棚に上げて、人に求めることは
したくない。

子供がどうしてきちんとやれないか、と愚痴ってる人を見ると、
それは、あなたに似てるから。と思うことが多い。

人を変えたければまず自分が変わること。

ほんとにそうだなと毎度毎度思う。