「私は、ただ笑っていてくれればそれでいいの。それ以外何も求めてないの。」

よく聞く話。
ん?何も求めてない?

「笑っていてくれれば」という条件つき。

その条件、笑って過ごすって、
それほど難しいことはないと私は思います。

すごく幸せそうに輝いて見える人は、
苦しみ悲しみ努力、いろんなものを背負って、
自分と戦っているからこそだと思います。

ただ単に、笑う…。
それで本当の幸せをつかみ取れるという価値観は
私にはありません。

生きること自体、当たり前ではない。
生きていることに感謝しています。
私は、子供たちが生きていてくれること、
それだけで嬉しいこと、ありがたいことだといつもいつも思っています。

でも、何も求めずには笑えない。

何も求めてない、というのは
死んでもいいという人以外有り得ないと思います。

生きるためにどうするか、です。
無、では生きていけない。
無、では笑えない。

心から笑って幸せを実感して生きる大人になってほしい、という願い。

それこそ、本当に本当に難しいこと。

私はとっても難しいことを求めています。

そのためにどう親は接するか。
そこを常に考えたいと思っています。

「それ以外何も求めてない…」そりゃそうだ。
だってその条件を満たすこと=すごーくすごーく
すごーくすごーく求めてるわけなんだから。
「担任の先生が全然宿題出してくれなくてー、うちのこ全然漢字やらなくなっちゃってー、やばい。先生サボらないでほしいよねー。」

ん?漢字やらないのは、担任の先生のせいなんだ?

別にやりたければ先生関係なく、やったらいいのです。
要するに、やらない理由を探しているだけ。
やれない理由を探しているだけ。

漢字を覚えようという意欲がさほどないだけ。

担任の先生が宿題だしてくれれば、やるのに。
なんて、子供が人任せなことを本気で思っているのだとしたら、社会に出てからもきっと無意識にいろんなことを環境のせいにしてしまいます。

そして、その子供にそういう考えを植え付けているのは、あなたです。
あなたが、担任の先生のせいにしているから、子供もそう思うのは当然です。

やばい、と思うのなら、どうしてやばいのか考えて、子供と話し合って一緒に漢字の練習をしたらいいのでは?

そこまでしたくないのなら、そこまでのこと。

担任の先生は、どっちでもいいのです。
「うちのこ、成長するにしたがって、全然言うことを聞かなくなって困るー」

よく聞く話…。

ん?前は聞いてたんだー。

もしとっても聞き分けの良い子だったとしたら、きっとそれは聞かせてただけ。
聞き分けの良い子=いい子、と親が思い、それをよしとしてきたんだね。

小さいころでも、親がその子の意思を尊重しようと心掛けていれば、言うことを聞く、聞かないという発想自体が出てこないと思います。

物事の善悪、人とのコミュニケーション、
親が子供に教えることはたくさんあります。

でもそれは、押しつけてやらせることではないと私は思っています。
例えば、悪いことをしたとする。
ただ、やるな、やめろと言うのではなく、
その子自身が、どうしてダメなのか理解して自分からやめようと思うようにサポートするのが親の役目だと思っています。

自分の意志で、自分はどうするか、どうしたいか、
を判断してほしい。

気にするのは人の顔色じゃない。
人の意見じゃない。

それを念頭において子育てをすると、
「言うことを聞かせよう」としなくなるのでは?