私は記憶力がいいみたい。

だって、私が普通に鮮明に覚えてることも、
みんな、「そうだったっけ?」みたいな反応だったり。

私は人の発言もよく覚えている。
あのとき、あの子は、あの人は、
あー言った。こー言った。と。無意識だけどね。

自分で言ったこと、みんな忘れちゃうみたい。
私は忘れない。あー言われたことを。

なのに、なぜ、今になってそんなこと言うの?
っていうモヤモヤが多い。

あのとき、あー言ったくせに、あんなに断言したくせに、考えが変わったなら仕方ないけど、なら、変わったんだよね、とかの一言があればいいけど、また、さも当然のように断言しちゃう…そんな人ってたくさんいるものだ、世の中。

悪気はないのはわかるけど、私のモヤモヤ、
やり場ないよね…。

記憶力がいいってのも損なこともたくさんあるよね。モヤモヤが増える。

あと、記憶を自分の都合のよいようにすり替えちゃう人の多さにびっくり。
きっと本人たちは気づいてない。

そうじゃないでしょ!のモヤモヤ感を自分の中で消化して、こういうふうにblogに書いて、すっきりさせてくしかないんだろうね…笑

みんながやってるから
という理由ではなく、自分の意思で決めよう

っていう人に聞きたい。

なぜ、あなたは服を着てるの?
なぜ、あなたは日本語を話しているの?
なぜ、あなたの子供は学校に行くの?
なぜ、生きているの?

考えの根底には
誰もが、みんながやってるからっていうこと、
無意識にあるんじゃないかな。

それがなかったら、
どうなっちゃうの、社会。

人間の誰かたちが大昔に決めたことを
知らず知らず守るから、従うから、
成り立っている社会。

自分の意思、大事なこと。
それも当たり前だけど、

自分だって全て自分の意思って訳じゃないよね。
知らず知らず。

みんながやってるから、が、自分の意思。

それもいいよね。
それがどこまでか、多かれ少なかれ、
それを自分で判断すればいいよね。

親と子は違う人なんだから、
親がどちらを選択したって、

小さな子供の意思なんてわからない。
それはどっちだって誰だって一緒。

どのデータを信じるか、だって、
自分がとったデータじゃない限り、
ほんとなのかどうかって、どっちだって一緒。

なんでもいいよね。
その人がいいならば。
息子のお友達のお母さんが、息子に、
「休み時間、○(お友達の名前)は誘われないから鬼ごっこ入れないみたい。×くん(うちの息子)誘ってあげて。」
と言った。

あれあれ?
自分でなんとかしようとするのではなく、
人にお願いするんだー…。

うちだったら、「入りたいなら入れてって言うようにしよう」って、自分の子供が自分の力で解決するよう促すけどな。

別に間違ってるわけではないし、正解はないんだから、いいんだけど、自分を見つめ直さずすぐ人に求めてるのにそこに気づいてない言動が多い人とは、なんだか話が合わないな~。